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【ギヴン~8巻】上ノ山立夏と「雪の残像」(ネタバレ)

ギヴン8巻が刊行された。柊mixの続きである(9巻もまだ続きそうだが)。
7巻は柊と玄純がメインだったが、8巻はふたたび真冬と立夏中心のストーリーに戻っている。

今回もまたなんとももどかしいところで話が終わっているのだが、ここ数巻の真冬のモダモダの理由が少しだけわかった気がしたので、そのあたりを中心に考察を残しておきたい。
これまで少し避けてきてしまっていた、吉田由紀についても触れていくつもりだ。

今回も大いにネタバレと妄想を繰り広げる予定である。苦手な方は引き返して欲しい。繰り返しになるが、本誌は読んでいない。
また、記事中の画像は全て© キヅナツキ・新書館からの引用である。

以下、7巻の考察を踏まえての内容となるため、未読の方は前記事を読んでいいただくと、いくらかわかりやすいかと思う。



1.ぶりかえす雪―真冬の場合

7巻終盤から8巻序盤に顕著だが、真冬は明らかに、由紀の晩年を追体験をしている。
つくづく由紀の問題は、まだまだ多くの人の心に重くのしかかっていると感じる展開である。

恋人が自分以外の人間とバンドを組む→すれ違う

簡単に言えば、上記のような展開の繰り返しなのだ。
立夏との関係は、由紀とのものとはまるで違うはずだったのに、なぜか同じ軌道をたどりはじめている。真冬は無意識にそれを感じているからこそ、立夏とのすれ違いを生む「音楽」に消極的になり、柊たちのライブに行くのを躊躇するのだ。

立夏はそれを「音楽への迷い」だと思っているようだ。
たしかにそれもある。
しかし、それよりもなによりも、真冬の心に楔のようにささっているのは、「また由紀のときと同じようなことが起こるのではないか」という不安であろう。

その不安を払拭しない限り、真冬は音楽を作れないし、メジャーデビューに踏み切ることはできない。よくも悪くも、立夏との恋愛と、バンドとが、リンクしてしまっているのである。

奇しくも季節は
あの「冬のはなし」が、もう一度繰り返されるのか。
それとも、別の形になるのか。

全てはライブ当日にかかっている。

2.とけのこる雪―柊と玄純の場合

6巻7巻の考察記事で、柊および玄純にとっての「由紀」については整理した。
特に柊にとっては、真冬とは別の意味で、由紀の存在は絶大だ。
メジャーデビューを目前にして、柊の中で「由紀」にどう決着をつけるかというのは、かなり大きな問題であることは間違いない。

繰り返しになるが、柊が由紀と組んだバンドの目的は、「由紀が真冬のために曲を作るため」であった。由紀を失い、その大義を失ったのである。
そこで柊は、由紀と真冬という「聖域」を、自分の歌に閉じ込めた。
まるで、「雪がとけないように」と、守るように、である。

ところが、立夏の参入と、玄純との関係の進展により、柊にも変化が。
由紀が未完成のまま残した曲を、完成させて、演奏したいという。

7巻前半では「由紀がいなくて寂しいから曲を完成させたいのでは?」と思っていた柊だが、8巻ではもはやその領域にはいないだろう。

乗り越えてみたかったこと」
「わがまま」
「俺のために真冬に聴いてもらいたい」

断片的なことばを繋ぎ合わせてみれば、「真冬と由紀という「聖域」への憧れ」、その昇華であろうと思うのだ。

真冬と由紀だけの専売特許のように思っていた「強烈な想い」を、玄純との関係で得た柊は、もう「聖域」を再現する歌は作らなくていい。

そのかわり、とけのこった「聖域」は、きちんと作り上げて、そして鎮魂せねばなるまい。

だから、由紀の歌を完成させ、真冬に聴かせたいのだ。
なぜなら、由紀の歌は「真冬に聴かせる」ために作られたのだから。真冬の耳に届いたことを確認できない限り、柊の中でそれは終わらない

柊が、とけないように守ってきた「由紀(雪)」。
それはもう氷のように固くなっていたのかもしれない。
立夏という熱が参入したことで、それが少しとけたのだろう。だからもう一度、欠けた部分を作り直して、完成させようと思ったのだろう。

3.雪をとかす熱―立夏の場合

柊の思い、真冬のトラウマ…
それらによって、はからずも立夏は、「由紀をなぞって」しまっている。
「真冬に聴かせたい曲」を作る行程に、深くかかわっている。

音楽を拒否するような態度を見せた真冬が、立夏の背後に「由紀の残像」を見ているとは、立夏自身は気が付いていないようだ。
それをわかってしまったら、もっとショックが大きいのかもしれないが…

由紀をなぞっている意識がないままに、でも、立夏は真冬に、柊(と自分が作った由紀)の音楽を聴かせようと動く。
柊たちとは、異なる目的で彼は真冬にライブのチケットを渡す。


なら、もう音楽で、真冬を殴る」

のだという。

これは由紀の音楽とは、似て非なるものであるといえよう。

由紀は、真冬を自分の音楽の中に巻き込もうとはしていなかった。あくまでも、自分が真冬のために作り、それをギフトとして贈ろうというスタンスだった。

立夏の場合は、そうではない。
立夏は、玄純のように真冬の音楽に殉じることはできないという自覚がある。
そして、由紀のように、真冬にただ音楽を贈ることもできない

真冬を巻き込んで、真冬と同じところで、同じ音楽を奏でたいのである。
一方的に殉じるのではなく、二人で一緒に、二人の音楽と心中しようというのである。

立夏は、真冬にとっての音楽を塗り替えようとしていると言っていいかもしれない。
「由紀から贈られる」音楽からの、脱却である。

その証左であるかのように、完成した由紀の曲のタイトルは、立夏がつけるのだという。

真冬にとっての音楽に、新たな価値を、新たな熱を、付与しようとしている
それはまるで、雪をとかす、真夏の太陽のように。


4.それぞれの「羽化」―雨月と真冬

巻末には、村田雨月のその後が描かれていた。
気になっていたので、大変うれしい。

奇しくもタイトルは「羽化
5巻の巻末に収録されていた、秋彦の「羽化前夜」のアンサーといったところだ。

ネタバレになるので詳しく言いたくないのだが、ぜひ読んでいただきたいということで、ほんとうに少しだけ考察。


俺も秋彦も皮膚の下にずっと小さな翅はあったのだ」

そして回想される、あの地下の部屋。背中を触り合う二人

翅はあっても、それを開いて飛び立つことはできなかった。いや、しなかったのだ。
二人は溶け合うように、音楽に浸り、二人の世界で過ごしていた。
さなぎ」の時間を過ごしていたのだ。

そして現在の海外での雨月の住居のカット。


空が見えるではないか。

秋彦が春樹の部屋で空を見つけたのと同じように、雨月もまた、空を見るようになったのだ。
そしてその傍らには、地下の部屋のものとは形の違う「マグカップ」
同じ形と色を拒否した、あの「マグカップ」とは、別のものを、雨月はもう手にできている。
(※マグカップについては、劇場版の考察を参照していただきたい)

この変化はきっと、秋彦との「さなぎ」の期間があったからこそ。
だからこそ、雨月も秋彦も、空を見つけて、翅を広げる準備ができたのだ。
そして、その空は、離れていても繋がっている。

これ以上ない、雨月から秋彦へのアンサーであるといっていいだろう。

そしてこの「羽化」は、形を変えて真冬のもとにもまもなく訪れることになる。
由紀と共に「さなぎ」になっている真冬を、立夏が敢えて暴いて、引き上げて、熱を与えて、羽ばたかせるのだ。

「羽化」する方法は違えど、ライブ直前に、雨月が真冬の前にあらわれたのは、彼が「羽化」の経験者だからだろう。
雨月が、真冬を「羽化」へと導く存在だからだろう。



ということで、「由紀(雪)」を切り口として、真冬・立夏・柊の立ち位置を整理してみた。
ここにきて存在感を増す由紀。9巻ではどのように描かれるのか楽しみである。
その一方で、そろそろ真冬と立夏を、由紀から解放してあげたい…しかし由紀の最期を思うと、それも寂しい。なんとも複雑だ。

8巻で何よりもうれしかったのは、雨月の「羽化」が垣間見られたことだ。
秋彦と過ごした時間が、雨月にとっても「必要だった」ことが改めてわかって、本当によかった。
過去記事でも触れているが、秋彦にとっても雨月は「必要だった」と私は強く思っている。それが否定されることなく、それぞれが「羽化」できているのは、本当によかったなと思った。

9巻ではついに柊mixが完結であろうか。
ギヴンのメジャーデビュー含めてまたひと悶着ありそうだが、楽しみに待ちたいと思う。

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

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