【ギヴン~7巻】鹿島柊の「欲望の形」(ネタバレ)
前回ギヴンの考察記事を書いたのは、6巻発売時…もう1年半前ということになる。ずいぶん間があいてしまった。
このたび7巻が発売になり、本誌未読勢の私は、ようやく鹿島柊および八木玄純のその後を読むことができた。
ひとことで言うと、
思った以上に、柊が難解であった…
という感想である。
7巻ですべて丸く収まった感じはしないのだが、玄純と柊、主に鹿島柊について、7巻を通じて考えたことを書き散らしていこうと思う。
今回も大いにネタバレと妄想を繰り広げる予定である。苦手な方は引き返して欲しい。繰り返しになるが、本誌は読んでいない。
また、記事中の画像は全て© キヅナツキ・新書館からの引用である。
以下、6巻の考察を踏まえての内容となるため、未読の方は前記事を読んでいいただくと、いくらかわかりやすいかと思う。
1.「聖域」を見つめる柊
6巻では明確でなかった、柊→由紀の思いが、本人からやっと語られた。そこから確認していこう。
「あいつらは、―由紀は、俺にとって聖域だったから」
柊の回想シーンで頻繁に出てくる構図とあわせて考えたい。
由紀と真冬の2人が触れ合っている様子を、一歩離れたところで見つめる柊。彼は常に傍観者だ。
確かに、これだけ見ると、柊が「由紀(か真冬)に対して叶わぬ想いを抱いている」と思える。
しかし、7巻の彼の言葉にもあるように、そこに恋愛感情はないと思う。
柊は、「真冬を想って見つめている由紀」を、「聖域」だと思って見ていたということなのだろう。
由紀単体ではだめなのだ。たとえ単体だとしても、彼が「真冬を想って行動する」ときに、ある種の神聖さが宿るのだ(少なくとも柊にはそう見えていた)
それはもしかしたら、「そういう想いを抱けること」への憧れに近かったかもしれない。
2.柊の音楽―「聖域」への想い
柊が由紀に向けていたまなざしを踏まえて、柊が作り出す音楽のことを考えてみたい。
まず、6巻の「バンド紹介」を確認しよう。
柊の作る曲の説明である。
「多作派でどんどん曲を作れるタイプ。キャッチーは世界を征服できると思っている」
真冬とは正反対である。(もちろん真冬は作曲はしないのだが…)
メジャーデビューするバンドとしては、この上ない才能である。
しかし、ここで少し考えたいのだ。「どんどん曲が作れる」…とは?
私は音楽に詳しくないので素人考えになるが…
由紀への想いを作詞に込めるときの真冬は、それはそれは時間がかかっていた。それは真冬の個性なのかもしれないが、「それだけ、強烈に想いを刻み込んでいた」ということになるまいか。
決して柊の曲を貶めるわけではない。
だが、柊の曲には、「強烈な想いが込められていない」…のでは?
別の角度から考えよう。
由紀がいたころ、柊は作詞作曲をしなかったという。
由紀の曲とは何か。
「由紀が、真冬のために作った曲」である。
言い換えれば、由紀のバンドは
「由紀の真冬への想いをカタチにするためのバンド」である。
柊は、由紀と真冬を「聖域」だと思っていた。
由紀のバンドで由紀以外の曲を演奏すること
―それは「聖域」を汚す行為に近かったのではないか。
では由紀亡きあと、どうなったのか。
「真冬を想う由紀」が消失してしまったため、柊にとっての「聖域」は消えてしまった。そして、柊は作詞作曲をはじめた。
柊が作った音楽とは、「聖域」の代替…
つまり、「由紀が真冬を想っている」ことを音楽にしたものではないのか。まるで「聖域」を再現するかのように。
「聖域」を再現するのだから、そこに「聖域外」である柊の私情が入るのは好ましくない。曲の中にあるのは、由紀の想いだけでいい。
そして、誰よりも近くで、由紀と真冬を見つめてきた柊なら、むしろ、自分の気持ちよりも、由紀の気持ちを曲に乗せるほうが、すんなりできたのではないか。
だから柊は、「どんどん曲が作れた」のではないかと思うのだ。
そして曲を量産する限り、「聖域」を見続けることができる。
「聖域」を失ったさみしさを埋めるために、バンドを、音楽を続けたのだ。
しかし、それは6巻から行われている、「由紀のデモ曲を完成させる」作業の中で、にわかに崩れ始めているように思う。
3.「欲望」を欲する
話題を少し変えて、玄純との関係性を見ていこう。
「長期戦を覚悟している」と言っていた玄純だったが、今回はかなり強引なアクションを起こしている。
柊に対して「おまえも由紀を好きだっただろう」と、禁断の一言を言い放ち、勢いに任せて「お前が好きなんだ」という柊に応じるようにキスをするかに見せかけて、劣情を見せつけて去っていく。
「どうする?」と判断を委ねられた柊は、ぐずぐずになって、翌日から学校を休むほどになってしまう。
簡単にいえば、玄純は柊の求めるものを与えなかった、ということだろう。そうなると柊は、「何が欲しいのか」わからなくなり、「欲しがる」こともできなくなった。
6巻までの印象では、「柊が決定権を持ち、それを忠実に全部受け止める玄純」という雰囲気があったと思うが、それは全くの思い違いであったと思い知らされた。
圧倒的な受動。実は「オレ様」だなんて、程遠いのが柊である。
7巻の柊は、いつもとちがう玄純を目の前にした途端
「なんでもいい、言え!」と心で叫びつつ、結局何も言えない。
玄純に「好きだよ!お前が何か言えよ!」と言いたくても言えない。
極めつけは、玄純の家に押しかけたにもかかわらず、
「欲しいって言えよ」
である。
彼はそれを「求められる優越感」と思っているようだが、もっと切実だと私は感じた。
結局のところ、柊は、自分で自分の欲望がわからない、言語化できない。できたとしても、吐き出せないのである。
(それゆえに、自分の「欲」の表現するような音楽なんぞできないわけだ)
求められれば、欲望の「形」がわかる。
相手の欲によって、自分の欲もわかる。
だから、応じられる。自分の欲もぶつけられる。
だから、「欲望されること」を欲するのだ。
4.与えられた「欲望の形」
6巻のときから、玄純は、本作の登場人物のなかでも特に、フィジカルに重きを置いた人物造型になっていると感じていた。やたら柊に身体的な接触が多かったからだ。
そして、7巻ではついに、玄純と柊は肉体関係を持つことになったわけである。
こんな下種な言い方になってしまって申し訳ないのだが、秋彦と雨月、秋彦と春樹…とこれまでのベッドシーンに比べて、もっとも激しく、獰猛で肉欲的であったと私は思った。
もう「捕食に近い」とさえ。
(これは、6巻考察記事でも書いた、玄純の「飢餓感」に根差す部分だと思うが)
柊は7巻を通して、とにかく玄純の「形」というものに多く触れている。
ちょっと書くのがはばかられるが、ガードレールのところでは、「キス」ではなく、もっとあからさまな部分を押しあてられている。
そして、玄純宅では、肉体的につながったのはもちろんだが、何よりも「歯」だ。
玄純は最終的に
「好きだ、そばにいさせてくれ、死ぬまで」
と言っているので、「欲しいと言った」…認定になるのかもしれないが、これは、情事の翌朝なのである。
つまり、先に肉体という「形」で、柊に「欲望」をわからせたことになる。「歯」なんて特に、食欲のシンボルみたいなものである。
どこまでもフィジカルの男、玄純…
前述したように、柊は自分の「欲望の形」がわからない。
玄純が、先に「形」を与えたからこそ、
「べつに…舐めていいよ、全部」
と言えたのだ。
5.「脱聖域」の音楽へ
さて、玄純の欲望と、自分自身の欲望の「形」を理解した柊には、どんな変化が訪れるのだろうか。
後日、彼らとスタジオに入った上野山は、すぐに気が付いている。
「こいつらなんかあった?それに例の曲も、歌い方が今までと変わった気がする」
「例の曲」とは、由紀のデモ曲の完成版だ。
玄純と肉体関係を持つまでの過程で、柊はこの曲を聞きながら、真の意味で由紀の想いを理解している。
そして「その感情を自分も知っている」、と。
それは、玄純への想い、玄純からの想いである。
とはいえ、その「とくべつな想い」に、まだ名前や形、生々しさはなかった。
そこへ、玄純が「形」を与えたことで、ついにそれは、強烈に柊の中に根付いた…と思うのである。
だからこそ、歌が変わった。
これまでは、「由紀が真冬に寄せる想い」を柊は歌っていた。
今は、「(由紀と同じように)柊と玄純がお互いに持つ欲望」を歌っていると思う。
「聖域」の歌は、「脱聖域」の歌になったのだ。
きっとそれは、強烈に聴衆の心に響き、抉るだろう。
キャッチーに聞こえて、ポップに見えて…
しかし、柊の歌が孕むのは…「ふりきれた」玄純の欲望と奉仕であり、それを求める柊自身の欲望なのだから。
…ということで、今回は鹿島柊を中心に考察を試みた。
6巻の段階では、この作品で最も難解な人物は玄純だと思っていたのだが、とんでもない、柊だって十分難解であった。
7巻で落ち着くところに落ち着いたというのは、早計かもしれないという気がしている。今回は深く考察しなかったが、「赦し」というキーワードが、今後もこの二人を縛り上げていくように思う。
2巻で柊は「真冬に許されたい」と言っていた。
そして、7巻では玄純が「(柊に)許された」と思っている。
このあたりが、玄純お柊の次なるすれ違いにならなければいいのだが…
8巻では真冬と上野山に物語の中心が戻りそうな予感。そしてデビューをめぐって一波乱ありそうである。まだまだ目が離せないギヴン。
そして、柊mixもぜひぜひアニメ化を検討してほしい、そんなことを思った7巻であった。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!
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