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【星合の空~5話考察】「狭間」の少年たち(ネタバレ)

現在5話まで配信されているアニメ「星合の空」。


初回を視聴した際に思ったのは
「なぜ高校生ではなく、中学生なのか?」
だった。スポーツ部活ものといえば、その大多数が高校生がメインである。それが今回は、中学生のソフトテニス部が舞台。ソフトテニスという競技を選ぶ以上中学生でないと…というところもあるのだろうが、ではなぜ「ソフトテニス」なのか?という疑問に戻る。

5話まで視聴したところで、
「これは中学生でなくてはならないアニメだ」
という考えにまとまってきた。小学生でも、高校生でもだめなのだ

小学生は、義務教育の初歩段階かつ幼さゆえに、個人の活動か集団かの二極化になりがちで、アニメ1クールで描き切れる程度の人数のドラマが生まれにくい。また、個々人の活動の大半が「家庭」に縛られる。
高校生は、義務教育を終えて個人の活動に縛りがなくなるが、その人そのものの個性が際立ってくる。一人で動ける範囲が広がるため、「学校」「家庭」の縛りが薄くなる。

このちょうど狭間にいるのが「中学生」なのだと思うのだ。
まだ「家庭」に紐づけられている度合いが高く、それを断ち切ることは当然できない。「学校」でも高校ほどの自由がない。とはいえ、小学生よりは自分の意志で動けるようになっている。
さらに、「家庭」と「学校」の狭間に存在する「部活」をメインステージにすることで、より「境界」にいる存在としての中学生を描けるのだと思う。

ということで、今回は「星合の空」5話までを、「境界」「狭間」というポイントに注目して、考察していきたい。


1.「水門」の存在


1話から、毎回必ずといっていいほど登場するのが、「水門」である。
大変印象的なデザインの建物だが、どうやら多摩川近くの「六郷水門」という実在の場所であるらしい(聖地巡礼がはかどりそうだ…)

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         ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会より引用

川と住宅地との境界に立つ「水門」
柊真が眞己を待ち伏せするスポットとしての印象が強いが、この建造物は本作の全体を象徴するものではないか…という気がしている。

言わずもがな、川は海につながる。大きな世界へ踏み出す第一歩だ。
水門の内側は、アニメでも実際の場所でも団地っぽい建物が並ぶ生活圏になっている。
つまり水門がつなぐのは、「社会」と「家」であろう。
その水門そのもので中学生たちのドラマが展開すること自体が、彼らがその二つの世界の狭間でうごめいていることを示しているようなのである。

海=社会
川=学校
水門=境界(≒部活)
水門の内側=家


このような整理ができよう。
中学校も、いわば社会と家との狭間
さらに家と学校の狭間としての、部活がある。
その部活を描くアニメに、境界としての水門がサブリミナルのように登場する。
個人的に、この作品は「狭間の物語」を切り取ろうとしているのだと考えているのだが、そう思わせてくれたのは「水門」の存在が大きい。


2.「ソト」と「ウチ」

イマドキは小学生も成熟しているので、家のソトとウチでは、性格や態度をすみわけしている子もいるのだろうが、やはりそれが本格的に実践できるのは中学生からだと思う。
本作の登場キャラクターもまた、家のソトとウチでは、性格や態度が違う描かれ方をしている。そのソトとウチがちょうど交じり合うのが、部活なのである。完全なウチではない、完全なソトではない。だから人は葛藤し、そこにドラマが生まれるのであろう。境界を描く物語だからこその魅力がそこにある。

各キャラクターのウチとソトをざっくり見ていこう。

・桂木 眞己→学校(クラス)では、淡々と、ストイックでマイペースな印象る。転校生扱いにも「そういうのいいから」といった態度。ところが、家では働く母親の家事を一手に担い、家庭を運営している。マイペースとは程遠い。さらには、離婚した父親相手には怯えきっており、冷静さを欠くのである。

・新城 柊真→学校(クラス)では、頭がいい、強い、リーダー…的な存在であることがにじむ。部活においても彼が部長である。ところが、家では母との性格の不一致から、「頑張り」が認められず、「俺にはできない…俺だから…」といった自己否定的な思考に陥りやすい(3話)。

・布津 凜太朗→学校(クラス)では、不真面目優等生といったところである。部活では副部長というポジション同様に、調整役という印象が強い。ところが、樹が同級生をラケットで殴った際は、「ざまあみろって思った」(3話)とのことなので、完全ないい子ちゃんではない。養父母の恩に報い、期待を裏切らないことに徹した結果が優等生面であっただけである。

・雨野 樹→学校(クラス)では、家庭の事情をからかわれるシーンから察するに、毒舌なところは貫かれているものの、カースト上位という感じではなさそう。背中のやけどの秘密を明かしている点で、学校(クラス)に比べて部活は「ウチ」に近いのであろう。父・姉との関係は良好そうで、家庭においては素直になれている片鱗が見える(3話)

・飛鳥 悠汰→学校(クラス)では、中性的な容姿や態度からいじめられている。彼の場合は「ウチ」が登場していないが、部活においてはいじめの対象になっていない点が差異として描かれ始めている(5話)。

・春日絹代→ウチとソトの違いではなく、「ウチ」の中で人格が3分裂しているという特殊事例。祖母の名づけによる「絹代」、母の名づけによる「るりは」、本当に自分である「香織」。言い換えれば、香織だけが「ウチ」であり、他は「ソト」。絹代の「ウチ」は全登場人物の中で、最も限定的である。

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         ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会より引用

翅・晋吾など、当番回が来ていないキャラクターについても、何らかの「ウチ」と「ソト」があるのだと思う。登場後に改めて考察したい。


3.それぞれが持つ「ウチ」の問題

スポーツアニメであると同時に、「家」や「親」というウチの問題に深く(深すぎるほどに)切り込んでいるのが本作の特徴であろう。しかもそれが、ソトである学校や社会には「露見していない」のが重要である。
そして、それが部活内ではじめて、漏れ出てくるのである。ここにも狭間、境界といった概念が貫かれているように思う。やはり部活は狭間だ…

それぞれのキャラクターの抱える問題をざっくり見ていこう。

・桂木 眞己父親による暴力、カネの問題。母親が父親の存在を振り切れない部分があるようで(金を用意してしまっていて、招き猫の下に置いている)、そのしわ寄せがすべて眞己に来ている。2話で登場した焼き鳥を食べている男性は、母親の新彼氏なのか…よくわからない。今後、クズ父親の遺伝子が自分に組み込まれていることへの嫌悪にどう対峙していくかが注目である。柊真との関係については後述。

・新城 柊真母親からの疎み、恐れ、存在を否定されるという問題。父親の存在は今のところ不明だが、母親をビビらせる存在だとは思う。母は兄を溺愛、兄に劣る存在として柊真を扱い、嫌悪しているようだが、怯えている一面もある。個人的には、柊真が父親に似ているがゆえに、畏怖の対象になっている可能性は高いと思う。
ただし、食事を与えないなどのネグレクトには至っていない。期待されていない、自分には価値がない…といった思考に陥りがちなのは、間違いなく母親の影響。兄の存在が唯一の救済にもなっている一方で、「兄と同じようになれれば、母の愛を受けられる…?」という期待が柊真を苦しめる一因になっている。

・雨野 樹→母親の育児ノイローゼに伴う、離婚、父子家庭。家庭内は今のところ良好そうだが、「なぜこの部活にいるのかわからない」といった発言からにじむように、実の母親から熱湯をかけられた(いわば存在を消されかけた)過去が、自己という存在の落ち着かなさの原因になっていそうではある。

・布津 凜太朗→両親が養父母。血のつながりがないという不安定さからか、両親の「本当の子供だったら」という想定のもと、優等生をキープしている。4話での母親とのシーンから察するに、養父母からの愛は感じているものの、それに対して「素直」にこたえられているかどうかは微妙なところである。「そんなに愛される資格がある人間ではないのに…」といった思考に入りそうである。ただし、上記3名に比べると安定感はかなりある。


眞己・柊真、樹・凜太朗は、新ダブルスのペアだが、それぞれの「ウチ」の問題が絶妙にかみ合っている点が興味深い。


眞己:父の暴力・金銭(ハード面)
柊真:母の言葉・態度(ソフト面)
樹:生みの親(母)の育児放棄→からの、やさぐれモード
凜太朗:生みの親(父母)の育児放棄→からの、優等生モード

おそらく残る4名についても、「ウチ」問題が噛み合うペアになっているのだろう。
5話では主に眞己・柊真の「ペアってこういうもんだろ?」が注目されたが、4組すべてに共通するのが「ペア」という関係性なのだろうと思う。ダブルスのペアと「ウチ」問題がどうかかわってくるのか、眞己・柊真の例から考察してきたい。


4.欠落を埋めるものとしての「ペア」

眞己・柊真の物語が大きくうごいたのは5話だった。
これまで「ソト」には漏れ出ていなかった、眞己の父親の問題が、はじめて柊真に明かされたのである。
柊真の「ウチ」の問題は未だに眞己に明かされていないが、少なくとも柊真には

眞己は父親という問題を抱えている
自分は母親という問題を抱えている


ということが確信できたはずである。
しかし、二人のシンメトリー…というか対照的な部分はもう少し前からちらついていた。

①柊真と「食事」
柊真の食事シーンは2種類出てきている。ひとつは家での朝食、もうひとつは眞己家での夕食である。

眞己の家で、家庭料理という味を初めて知ったような雰囲気であった。その食事を作ったのは、ほかでもない眞己である。感情のこもらない実母の料理を味わってきた柊真にとっては、いわゆる「母の味」を初体験したにも近いものがあっただろう。食べ物というハード面から、愛情というソフト面を補完した瞬間だったと言える。

ちなみに柊真は家事全般は全然できないらしく、上手に眞己を手伝えない。そういったあたりも、対照的に造型されている。

②眞己とお金
5話のハイライトと言っていいだろう。
父親が取りに来るというカネを、柊真が前払いという形で建て替えた場面だ。いつも一人で父に対峙し、屈服して、父に母の金をとられるばかりだった眞己にとっては、大きな転換点であったといえよう。
5話中盤で眞己父親と二人が対峙するシーンは、もう一段階工夫が施されていると思う。眞己に暴力が向けられないように、柊真が親子の間に割って入っているという行為自体が重要なのではないだろうか。その状態で柊真が、「俺があんたを殺してやる!」と言い放ったことで、眞己は人生で初めて父親に対抗するという行為に踏み切れたのだろう。この時の父親の驚きの表情から察するに、これまでになかった反抗だと言ってよいはずだ。息子の成長を少し脅威に感じたような…そんな場面であった。
従順で弱い幼子ではない、かといって圧倒的な存在ではない…狭間の「中学生」なのだ


結果的に金はとられてしまったが、眞己は殴られなかった。そして、リビングルーム(眞己にとっては聖域)に、土足で踏み込ませなかった。これは大きな一歩である。
この変化を促したのは、柊真のカネと、体をはった行動であった(父に殺意をほのめかされても、眞己の前から退かなかった)。眞己は父に奪われ続けてきた情のこもったハード面を、柊真によって補完したのである。

このように、眞己柊真ペアは、明確に役割分担がなされ、互いに欠落を埋めあっている。2人の抱擁シーンは一定層をザワつかせたかもしれないが、欠落を抱えたふたりがそれを埋め合う表象のようになっていて、かなり意味深いものである。
何しろ5話序盤で眞己はラケットを抱えて初めて涙していたのだ。それが柊真本人に縋れたこと、この意味はかなり大きい。もちろん、柊真も自らの手で「眞己を救えた」という経験は、自己肯定できる貴重な経験となったであろう。
二人は、互いの存在によって、己の欠落を埋めあっているのだ。

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         ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会より引用

気にかかるのは、眞己の父親が柊真の名前をしつこく聞いてきたことだ。息子から息子の(金持ちの)友人に、ターゲットか移行する可能性はかなりある。その時、ふたりがどのような対応を迫られるのかが見所である。
眞己は父を乗り越え、柊真とともに狭間を抜け出し、大海原へ踏み出せるのか否か…


5.「契約」の行く末

今後の見通しについても少し考えておこう。
おそらく今後も、「ウチ」の問題と並行する形で、ソフトテニス部再生の物語が展開していくだろう。それぞれがどんな形で着地するかは、今の所まったくわからない。

今後火種になってきそうなのは
眞己が「契約」でソフトテニス部に入部していることだろう。
これが露見した時に、一体どんな化学反応が起きるのかは要注目である。特にソフト面に欠落を抱えた柊真が、部長としてどのように立ち回るのかはかなりきになる部分である。
「ウチ」の問題としては、眞己家が一番騒動になりそうだし、長期化しそうである。最終話で完全決着とはいかずとも、救済がある最後だとありがたい。

おそらく本作は、「中学」「部活」という狭間の空間で、「ウチ」でも「ソト」でもうまくいかない中学生たちが、なんとか状況を打破しようともがく話なのだろうと思う。「ウチ」も「ソト」も中学生一人の力ではどうにもならないことばかりだ。でも、「部活」なら、自分たちの力で何かを変えられる
欠落を抱えた中学生たちが、それを埋めあって、「部活」という狭間の空間で、何かを変えようとする話。とでも言おうか。
だから、3話で柊真が部活に来なくなった時、眞己は

「俺たちは一緒にいたほうがいいんだ!」

と電話で必死に訴えたのだ。
一緒なら、欠けた部分を補い合って、きっと歪ながらも何かができる……はず、と直感的に何かを悟っていたのかもしれない。


水門の外で自由を得たはずなのに、何かと生きるには制約の多い大人が数多いる現代には、こういう物語が必要なのかもしれない。「ウチ」も「ソト」もうまくいかずに苦しくなったときに、幸も不幸も入り混じるグレーゾーンを描いた作品ほど、共感できるものだ。


久しぶりに展開が読めない、先が楽しみなオリジナルアニメに出会ったので、拙いながらも考察を散らかしてみた次第である。
作画も美しく、丁寧な作品作りが感じ取れる良作である。音楽も声優さんの演技もとてもマッチしている。今からでも十分追いつける話数なので、未見の方にはぜひご覧いただきたい。

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

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