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最近、思ったこと。(こういう超個人的なベクトルの内容でも、人が集められるnoteってすごい/映像にはない文章の特権を感じる)

・1000人に1人でも共感してくれればいいと思って
(そう思うしかない)、作曲する。

・作詞よりも作曲の方が難しくて価値あると思っている。
しかし、巧い作曲をできたことはないと思うけれど。

・同じところに留まらず、常に新しい挑戦をするから、
自信のなさと自信ある部分が常に半分ずつ住んでいる感じ。

・たとえ優れていたとしても、現時点の実力に胡座をかいてしまうと、
盲目になり、修正が効かない間違いをしてしまうように思う。

・現実世界では昭和のノリもわかる(共感)するから、
正面衝突で分かり合うことが美しく思える。
かといって、現代において、
正面衝突はしないに越したことがないと思い、
正面衝突を避ける。

・代わりに、SNSで正面衝突の気を匂わせるような雰囲気を出すことを好む。
SNSでも正面衝突しないにこしたことはない姿勢だけれど、
実際に会っていないやりとりだからこそ、
正面衝突してでも分かり合う(昭和のノリ)ことは
美しいと思う。

・SNSしない人あるある、として言えるのは、
ネット上のつながりを過小評価しているところがあると思う。
「ネット上で繋がった仲なんてたかがしれている」
と考える人もいるようだ。
しかし、それはその人の価値観で合って、
それが絶対的に正しいわけではない。
たかがネットのつながりで終わるのか❓
生涯、SNSを楽しむフレンドとして交流できるのかは、
ぶっちゃけその人次第。
SNSを否定する人は、挑戦してもないのに、
否定している。
まあ、noteのように対話がある交流と、
アプリゲームのフレンド
(アイコンと名前しか知らないような)
などで、違いがあり、
SNSの繋がりを否定する人は、
アプリゲームのフレンドのことが意識にあり言っているのではないか❓
と思う。
それなら納得するけれど、
それは一つの意見に過ぎないと考える気持ちは曲げずに、
SNS上でのつながりが、
どの程度のものになるのかは、
ぶっちゃけ、使う人次第、と提示する。
相手といい関係でいられるように頑張るけれど、
頑張りすぎていい意味で燃え尽きないような
関係でいようとしている。

・(生まれた時から/障害のため)現実の関わりでストレスを抱えやすい
私だったから、SNSが心の隙間に埋まる可能性が高かった。
年代的に、興味関心を自然に持ったことも理由かもしれない。

・映像で人、集めるっていい意味で難しいだろうな〜。


楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈