見出し画像

こわいものがいい意味で好きなんだ。いい意味でお化け屋敷に行くことはないけれど。

こわいものが、いい意味でまあまあ好きなんだよ。

そういう感覚がない人にはいい意味で共感・理解されないかもしれないけれど。


例えば、

ハチ(米津)さんの

とかも好きだ。


こわいものもいい意味でまあまあ好き、という感覚がそもそもない人とは

いい意味でたまに価値観のズレを感じることがある。

そういう感覚がそもそもない人とは

センスに任せて話していても

純粋にズレが生まれるかもしれない。

いい意味でこわいものもまあまあ好きなんだけれど、

お化け屋敷に行くことはないな。

こわいけれど、いい意味で文学性があるものが好きなのかもしれない。



【陰】の気持ちが原動力だったりして、

明るくてシンプルなものを好む人を見ると、

こっちが気を遣ってしまう。

価値観は自由なんだから、

人に迷惑かけなければ、

【陰】の気持ちを原動力にしてもいい。

例えば、明るくてシンプルなものを好む人と会話を共有する時、

【陰】の気持ちを原動力にしている自分が

いい意味で理由なく悪いな、と思えてきてしまい(悪いわけじゃないのに)

心がいつも試されるように揺らぐんだ。

わかるかな。

だけれど、【陰】の気持ちを原動力にするのが自分軸だと思うから、

その場の流れで、気持ちが試されるように揺らいでも、

【陰】の気持ちを原動力にするのは変えない、とする。

それを変えたら、人生はいい意味でおもしくなくなってしまう。

【陽】の気持ちを原動力にすることが、

【陰】の気持ちを原動力にすることよりも

優れた価値観であるとは思わない。

全ての価値観は正しい。

価値観に貴賎はない、かもしれない。



まあ、自分は【陰】の気持ちを原動力にしている、と

しょっちゅうしょっちゅう言うものじゃないし、

声を大きくして言うものでもないかもしれない。

逆に、【陽】の気持ちを原動力にしています‼️

なんていうフレーズは

しょっちゅうしょっちゅう言ってもさらに好印象を与えるかもしれないし、

大声で言っても、いい目立ち方をするような気がする。


【陽キャ】【陰キャ】というものは

やっぱ【陽キャ】って目立ち力があるから

(何割かは陽キャの皮を被ったイキリもいるかもしれないけれど)

【陰キャ】よりも優れてそう、なイメージは持ったりする。

(いい意味で陰キャは目立つことが上手じゃない、

あるいは好印象を与えることが上手じゃないイメージを持っている)

だから、ひとはついつい、【陽】と【陰】だと

【陽】が優れているように思ってしまうかもしれない。

私もそういう考えをついつい持ってしまう。



ただ、【陰キャ】でも目立つのが上手な人、

好印象を与えることが上手な人もいる。



そもそも【陰キャ】【陽キャ】で分類しようとするのが

上から目線な感じがするんだが。

人をカテゴライズする前に、カテゴライズする人自身も

なんらかの属性を持っていると思うんだが。

分類する人は、自分自身がなんらかの属性を持っていることを

一瞬忘れてしまうんじゃないかな。


無駄の人を分類して、踏ん反り返っている人は

イキリだ。

中身が薄っぺらい。

【陽キャ】【陰キャ】と【イキリ】の違いは、

中身があるか、薄っぺらいか、という違いかもしれない。

【陰キャ】もいい意味で悪くはない。

中身が薄っぺらい【イキリ】よりかは

いい意味でいいと思う。


私は【陰】の気持ちを原動力にすると落ち着く、というのだから

いい意味で【陰キャ】要素もあるかもしれない。

(【陽キャ】要素も持っているが)

でも【陰キャ】要素があることは悪いことだとは思わない。

中身が薄っぺらい【イキリ】よりはいいと思う。

だからこそ、【陽キャ】要素が強い場合も【陰キャ】要素が強い場合も

中身を大事にすることがいい。



そのような気持ちを踏まえて描いた絵⭐️⭐️🗼🔮🌈


楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈