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計画的偶発性で、楽しい人生をデザインする

新しい人と話すのは楽しい。
もちろん緊張したり、話がまとまらなかったりはする。
でも、今までと違う発想が聞けたり、思わぬ指摘をもらえたりする。

こないだは「リスクを重んじるタイプですね」と言われた。
それは自覚があった。
結婚式でも、石橋を叩いて渡らないと紹介したくらい。
(妻は、石橋を叩き壊すと言っていた)

今日は「WhatよりHowの方が得意な感じですね」と言われた。
これは自覚がなく、はて、と思った。
こういう思っていなかったことを指摘されると面白い。

確かに、改めて考えると、専門性みたいなものがない。
でも課題が目の前に来て、あぁそれはこうしたらいいよね、みたいな引き出しは割とあるような気がする。
長らく社内でコンシェルジュ的なポジションをやっていることが影響しているのかもしれない。
(これってどうしたらいい?を回答したり、適切な担当を紹介する仕事)

「Canはわかりましたが、Willは何ですか?」と聞かれた。
つまり、自分のやりたいことだ。
これは難しかった。
常に、何のために生きてるのか、を考えてきた。
結論として、生きることに意味はない、というのに行き着いた。
だからこそ、「楽しく生きる」ことを、意味ではなく、人生の目的にした。

なので、何がしたいか、と言われると、楽しく生きたい。
死ぬ瞬間に、あー楽しかった、と思いたい。
その目的のために、今、できることをする。
改めて考えてみたけど、自分の中ではそういうことらしい。

つまり、例えばいつ南海トラフが来ようとも、「あー楽しかった」と思う必要があることになる。
ということは、今の時点で「楽しく生き」ていないといけない。
ほぅ、そりゃ困った。



今、楽しいのか?



だから色々取り組んでるんだね。
掘り下げていくと、自分の行動の真意が見えてくる。
自分のことを理解しきれていないのかもしれない。

生きていく上で、時間配分からすれば、仕事、家庭(プライベート)、睡眠の大体3等分。
家庭はおかげさまで満足な状態なので、OK。
睡眠…もうちょっと改善したいかな、じゃあ寝る前にnote書いちゃ頭冴えるからダメね。

そんで、仕事。

楽しく仕事がしたい。
どうしたら楽しいの?
ユーザーが喜んでくれるようなものを提案したい?

昔、研修か何かで、顧客満足を超えるのは顧客感動だ、みたいなのがあった。
ユーザーの想定を超えたときにだけ、感動を覚えるらしい。

ユーザーを感動させられるようにするにはどうしたらいい?
ユーザーすら認識できていない隠れたニーズを解消する?

それはもしかしたら機能便益じゃなくて、情緒便益なのかもしれない。
これを買うことで、環境に配慮できてる、いい買い物ができた、みたいな。
そもそも、ブランド力の高いもので、持ってるだけで幸せ、とか。

もはや今は機能便益では戦えない、ほとんどのものが成熟している。
そんな中で、ものを売っていくというのは、とっても難しい。

ものを売るのではなく、便益を売ってる、というか提案している。
その対価としてお金が発生するだけ。
ユーザーとメーカーは対等な立場になっていくのかもしれない。

拡販していくことが本当にいいことなのかもわからない。
「楽しい」を軸として考えるのであれば、喜んでくれるユーザーにきちんと届けることが理想。
とにかく売って、売り上げを上げる、というのは、「楽しい」とは違う気がする。
喜んで、感動してもらった上で、売り上げが上がる、利益が出る。
それが、今後の商売のあるべき姿なんじゃないのか。

今はたまたま時間があるので、色々と頭の中で考えている。
でも、結局考えても、偶然がものをいうことが往々としてある。
計画的偶発性というやつ。

バイトのきっかけ、大学のきっかけ、就職のきっかけ、結婚のきっかけ。
全部、偶然と言われれば偶然。
自分で、例えば「絶対東大に入るんだ!」みたいにして叶ったことは、1つもないかもしれない。
でも、結果いい方向には進めている自覚はあるし、そうなってほしい。

自分で選ぶ、というのは、初志貫徹だけとは限らない。
軸はブレないようにしつつ、偶然とうまく付き合えばいい。
そうすればいい選択肢が見つかって、楽しい日々になるんじゃないかな。

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