本質が全く異なる仕事と勉強

「勉強ばかりができて仕事ができないやつ」

この言葉をよく耳にすることがあると思う。この言葉は、勉強と仕事というのが本質的に異なるものだということを示している。ただ、異なるということは分かっても、実際どう違うのか理解ってる人は少ないのではないだろうか。なぜなら、2つは確かに相関関係があり、勉強できる人は仕事もできる人が多いからだと思う。勉強も仕事も同じくらいできる人にとっては、この2つの違いなんて意識しないだろう。だが、ここに、勉強ができて仕事ができないとおぼしき人がいる。私はこの違いを痛切に感じ取ることとなった。

この違いを分かりやすくする言葉として、「完璧主義」という言葉がある。はっきり言おう、完璧主義者は仕事が苦手で勉強が得意な人だ。仕事が苦手というのは理解しやすいと思うので、なぜ勉強が得意と言えるのか説明したい。ここでは勉強=学ぶことと捉えたうえで進めるが、勉強の本質は理解することである。分からない箇所があったら分かるようになるまで調べ、そうやって理解を深めて行くのが勉強の本質だと思われる。そのため、勉強においては、分からない箇所をそのまま放置しておくのは良しとされない。分からないところがあったら徹底的に追求し、理解を深めていく態度のほうが好ましい。この姿勢は完璧主義に通ずる。完璧主義者は、納得できない箇所を納得いくまで時間を割くのだ。確かに理解を深めることを目的とする学びにおいては重要な姿勢であろう。しかし仕事をする上ではどうだ。これでは時間がかかるので、成果をあげられない。遂行できるものごとが減るのである。これが完璧主義の特徴だ。一概に良くないといえるものではなく、仕事という特性に合ってないというだけなのだ。

そう考えると、勉強と仕事は質と量の関係とも言える。勉強というのは理解を深めて行くことであり、仕事はタスクをこなすことである。つまり、1つのものごとを突き詰めていく性質の勉強と、ものごとを数多くこなしていくという仕事の性質は、正しく質と量の関係であろう。

大学ではどっちも求めてくる。質の高いレポートを求める一方、評価のために多くの課題を課すのである。しかし私は大学の本質を、常々勉強の方に捉えていたし、そういう場であって欲しいとも思う。私は、大学を学問を究める場であって、いかに課題をやったかを評価する場ではないと捉えてきた。その態度こそが、私が単位を沢山落とした一要因とも言えよう。例を挙げるなら、あまり勉強せずクオリティの低いレポートしかできないようあれば、そんなレポート書きたくない、つまりレポートを出さずに落単してしまうということである。

少ない労働時間で高い給料をもらってる人は、質を高めた人、勉強ができる人である。いっぱい稼ぐ人は、沢山成果を上げて遂行能力を高めた人、つまり仕事ができる人である。どっちも大切なことで、どっちもないがしろにしてはいけない。自分はそのバランスはとれてるか、または環境はどちらを重視するのか、よく考えてみるといい(と思う)。適した場所に適した人がつけば、それが幸福なのだから。

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