理性と感性と意思決定

今日、姉と喧嘩した。

といっても、喧嘩というより、私の方が一方的に冷たい態度を取り続け、姉が感情的になりイライラしたというアンバランスなものである。姉の怒りに対し、冷静に対処したのだ。私の行動はとても理性的だった。だが、私の対処が必ずしも正しいものだったとも思わない。なぜなら、感情も大事だからである。感情を軽視していては痛い目にあう。反感を買い、人間らしさを失い、これはこれでで誤った判断といえる結果になるだろう。

例を挙げよう。今鬼滅の刃が流行っている。A氏はアニメ、漫画に全く微塵も興味のない人だ。しかし、これだけ流行っていたら話題についていけなくなるだろう、見ておくべきだ、と思い、忙しかったし気は進まなかったが、仕事の合間をぬって映画を見に行こうと考えた。

私は、この判断は間違いだと思う。動機が不純だ。そんな心構えで見ても、心から楽しめるのだろうか。人生豊かなものになるのだろうか。私には世間に媚びているように思える。人は世間のために生きているのではない、自分のために生きるのである。こんな生き方をしていたら、虚しいものになるだろう。(世間のために生きるのが自分のため、という域に達している人なら、良いかもしれないが。)

一方、感情的な判断も間違いである場合が多い。勉強したくないから勉強しない。怒ったから殴る。こんな行動が間違っているのはいうまでもない。

結局、理性と感性は何が違うんだろう。どっちをとっても間違うことも正しいこともある。人の意思決定は理性に従うものなのだろうか、それとも感性に従うものなのだろうか。人は、純粋に理性的動機から行動できるものなのだろうか。様々な疑問が出てくる。

全然分からないし、これから一生考えていくことになるとは思うが、考えていたら一つの性質にたどり着いた。これを言いたくて文章を綴り始めた。

理性は普遍的、感性は特殊的である。

理性的の意味は、道理に従う、である。道理というのは正しい物事の道筋という意味である。つまりこの意味で言うと、理性的なのは正しいのである。でも、この正しいってどういうことなのだろうか。誰が正しいって決めているのだろうか。

それは、たくさんの人、ではないだろうか。多くの人にとって正しいとみなされる、正しさ、それこそが理性的と云われるものではないだろうか。多くの人というのは時代も超えたものだ。どの時代にあっても正しいと思われる場合が多い、それが道理である。こういうわけで、理性は普遍的なのだ。また汎用性があるともいえる。

ということで、安直に考えると、その反対である感情(感性)は特殊的(限定的)なのではないだろうか。ある場面における、特殊な状況下に置いて、正しいのが、感性なのではないだろうか。人はそれぞれ多様な道を辿る。森の山奥でひっそり暮らすものもいれば、都会の華やかな社交場で育つものもいる。道が違えば、感じ方も違う。交戦的な人に対して、積極的で素敵!と感じる人もいれば、がっついてて苦手と感じる人もいるだろう。感情は特殊なものであるが故に、多様なのだろう。

話を意思決定の方に移そう。意思決定をするには、選択肢の中から一つに絞らなくてはならない。その選択肢があんまり多いと、理性的に決めるなんて難しいのではないだろうか。選択肢が無数にある中で1つの普遍的に正しい選択なんて出来るとは思えない。というか1つの普遍的に正しい選択があるとも思えない。こういう状況下では、感性による判断に任せるのが得策だと言える。特殊な性質を持つ感性だからこそ、特殊な判断ができる。正しいことは分からないけど、やりたいことなら数えるほどだろう。

つまり、感性に頼ると、無数にある選択肢を絞れるのではないだろうか。だから、感性が強すぎると、狭い限定的な選択になる一方、強いモチベーションが得られる。狭ければ狭いほど、その選択肢を行う必要性が増すからだ。ただモチベーションが増す一方で、間違う可能性も高くなる。選択肢が少ないのだから間違う確率が高いのは当たり前だろう。

やっぱり、人の行動の意思決定の基本は、この選択肢を絞る感性にあるような気がしてきた。感情による、選択肢を絞る効果によって、強い必要性と共に、強い行動力が生まれるのではないだろうか。そしてその行動の良し悪しを図るための理性がある。狭まりすぎた選択を、理性によって広げてやれる。そして感情の暴走を抑えられる。

やっぱりこの結論だ。理性も感性もどっちもものすごく大切である。感性が弱い人は、選択肢を絞らず優柔不断かもしれない。理性が弱い人は、限定的な選択しか出来ず、視野が狭くて反感を買いやすいかもしれない。自分の弱い部分が、理性と感性から測れる!!そう考えると、感情的な人は理性的な人に支えられ、理性的な人は感情的な人に支えられているとも言えるかもしれない。テーゼとアンチテーゼ…、アウフヘーベン、このメカニズムってこれのことなのか?

ちなみに僕は優柔不断だと思う。正解を求める生き方をしてきたせいか、少々理屈っぽい。だから、大学に入って何をしたらいいか分からなくなったのかもしれない。これからはもっと感性を磨いていきたいと思った。

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