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よくできた触れる幻(第2章)

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 八鳥誠一郎は自分の部屋の窓から見える楡の大木が好きだった。


物心ついた時から既にかなりの年季が入っていたその集合団地には、両親と七つ離れた兄との四人で住んでいたが、敷地内には窓から見える楡のようにケヤキやイチョウの木など、おそらく何十年も前から植えられたであろう木々が、何本も所狭しと立ち並んでいた。

そのそれぞれの青々とした緑や、相当な年輪を刻んで来たと思われるがっしりとした太い幹も見ていて心地よい安心感を与えてくれたし、何より、夏の茹だるような暑い日も、雨の日も雪の日も、台風の時だって、強い意志を持っているかのように、ずっとそこに存在し、凛として見えるその立ち姿に、自分もこういう、力強く、何者にも媚びぬ気高い存在になりたいと、誠一郎は幼い頃から漠然的な憧れを抱きながら育ってきた。


同じく、敷地内にある小さな公園には住民に向けて作られた大きめの花壇もあり、そこには赤や黄色のチューリップやキンポウゲなどが、春になると誇らしげに咲き誇り、外出時などにその光景を目にすると、心の内側がじんわりと温かくなるような優しい気持ちが溢れ、同時に、不思議と生きる活力が湧いてくるような、そんな感覚もかけがえのないものだった。


しかしその反面、誠一郎は、世の中のあらゆる争いごとの類、他人との蹴落とし合い、何かを奪い合ったり、そこから派生する陰口や、虚栄、妬み、ごく小さないざこざでさえも滅法苦手で、なるべく関わらないように、そういったことを自分から極力遠ざけて生活を送るようにも努めていた。


 兄は誠一郎が小学校に入学すると同時に中学生になり、誠一郎が中学校に入学する頃には成人式を迎えていたので、あまり交流する機会も、共通の話題も少なく、世間で言われる兄弟喧嘩らしい兄弟喧嘩というものを殆ど経験したことがなかった。


共働きで毎日帰りが遅い両親も、生活に追われる中で誠一郎まではあまり手が回らず、更に言えば、同い年の子供たちはちょうど、粗野で乱暴な年頃の子が多かったこともあり、自ずと誠一郎の幼少期は一人で遊んでいる時間がほとんどを占めていた。

ただ、幼い頃からそれらに慣れてしまっていたせいか、特別寂しさや、家族に対する義憤の念、友達が欲しいといった願望も特になく、むしろ夜遅くまで働いている両親や、たまにお菓子を買って帰って来てくれる兄に感謝さえしていたし、友達というものも含め、干渉されないということは、「お互いの考え方の相違による衝突や、争いごとが避け易くなる」ということだと認識していたのでそちらの方が誠一郎にとっては何よりありがたかった。


 そういった環境下で中学卒業までに培ったイデオロギーは、

「人は生まれるときも死ぬ時もどうせ結局は独り。別々の生き方を尊重し合った方がきっと良いのだ」という、

年の割にはあまりにも達観し過ぎたものだった。


 運動は嫌いじゃなかった、中でも好きなことは、頭の中を空っぽにできるという単純な理由から、月並みに、走ることだった。部活動として、中学一年の時に少しだけ陸上部に在籍していたことがあったが、やはり、競い合いの果ての優劣が結果的に全てとなってしまう競技そのものに嫌気が刺し、その年の秋には顧問の教師による強引な引き止めにあいながらも、結局は退部してしまった。


 高校に上がる頃になると家族間はそれまでより一層交流が薄れ、誠一郎が学校から帰宅して食事をし、風呂に入り、眠り、次の朝また登校する為に家を出るまで、誰とも顔を合わせないことが通常のルーティーンになった。


そんな、人との触れ合いが極限近くまで削ぎ落とされた日々をただただ繰り返し、高校三年生になったある年の暑い夏の日、たまたま一人で訪れた隣街の美術館で、彼は運命的な出会いをすることになる。


その美術館は比較的にごく最近建てられたものだったが、定期的に施設内のテーマが変わり、展示される絵画作品たちがごそっと入れ替えられる趣向だった(もちろん、美術館独自所有の展示物は数点残して)

殆どが興味のない類の彫刻展や焼き物展のイメージだったが、ちょうどその夏、家のポストに投函されていた地域情報誌を何の気なしに手にとってパラパラとめくっている時目に止まった、「木のある風景」という、今シーズンの美術館のテーマが妙に気になり、誠一郎は普段の休日であれば外出など殆どしないその重い腰を上げようと思った。


出来る限り涼しくいられるよう、レーヨンの薄いグレーの半袖シャツを羽織り、玄関を開け階段を下りて団地の外に出たが、歩いていると靴底のラバー部分がアスファルトの熱で溶け出しているのか、なんだかベタついてくるような粘着質な暑さだった。


誠一郎の暮らしている街から普通電車で二十分、更にその駅から徒歩で十五分ほどの場所にあるその美術館は、街からは小高い丘の上にあり、だだっ広いその敷地の上には昔、城が建っていたらしく、そのため、元々の土地の傾斜に合わせ、一階部分、二階部分が共に地面に接しているという特殊な構造になっていた。

一階部分には芝生の広場に面したエントランスが、二階部分には広大な人工池に面したエントランスがある。


後から知ったことだが、これには何度もここを訪れる来場者を、景観的な部分で飽きさせないという目論見と、入場の際の混雑を回避する為等の様々、後付けのような工夫があったらしい。

しかし、今回で二回目の来館になる誠一郎がこの時に理解していたことは、基本的には駅からやって来る徒歩客は二階の入口から、車でやって来る駐車場を使う客は一階の入口から入るという、即物的なことだけだっだ。


建物の外観といえば、その殆どが頑丈そうな分厚い乳白色のガラスと、モスグリーンのスレートによってできていて、よく晴れた日にはその建物自体が人工池と反射し合い、少し離れたところから見ると、幻想的で洗練された一つのモニュメント、或いは神殿のような雰囲気を放っていた。


誠一郎は駅からそこまでの道のりを汗だくになりながら歩いていたが、その建物の外観が目に入り始めた時、靴の底と共に、自らももう少しで溶け出しそうだったことも忘れ、前回訪れた時の胸の高鳴りを思い出し、この暑さの中でも訪れようと決心した自分を褒めてやりたいような気分になっていた。 


人工池に面した二階エントランス部分から館内に入ると、白と黒を基調とした壁と、吹き抜けになった一階がすぐ目に入り、一体どこから観ていったらいいのかと、進行方向が分からなくなり、今回も前回同様、スタート地点から迷子になりそうだったが、近くに立っていた無表情な係員(恐らく上司から、必要最低限のこと以外は喋るなという指示でも出されているのだろう)に館内の経路を尋ねると、ここは内部の展示室が大きな箱のような展示空間を大小に区画するように設計されていて、来館者は回廊を巡るように好きな順序で鑑賞して行くのがセオリーとのことだった。


要するにお好きなように回って下さいということだ。確かに前回訪れた際も、経路を示す矢印看板のようなものは一つも見なかったと、やけに合点がいった。


誠一郎はまず、すぐ目に入った左手の舞台の袖口のようなところから展示室の中に入ると、入口でイメージしていた室内像とは完全に対照的な凛とした空間と、その異常なまでの天井の高さに驚き、一瞬自分が全く違う別の建物内へ瞬間的にワープしたような感覚を覚えた。


白っぽい壁に等間隔に飾られた絵画以外は何もない、部屋と呼ぶには広すぎる空間。入り口と部屋の角には耳にイヤーモニターを付けたスーツ姿の女性係員がパイプ椅子に姿勢をビシッと正し座っていて、来館者が絵を触ったりガムを噛んだりしていないか見逃さないよう、その鋭い眼光を光らせていた。


室内全体に漂う、まるで時間が止まったかのような、その張り詰めた雰囲気に飲まれ、誠一郎は自らも背筋が伸びる思いに駆られつつ、絵画を順に観ながら歩き進んで行くと、今回の展示は「木」というモチーフの縛りということもあり、様々な国の画家が、様々な時代に描いた木に関連する作品の総集展であることが分かった。

中でも今回の目玉は印象派クロード・モネの「アルジャントゥイユの野原」や、同じく印象派カミーユ・ピサロの「マルリーの森」などだった。


絵画自体に今まではさほど関心がなく、決して詳しくはない誠一郎だったが、その中の何点かには純粋に感銘を受け、まるで後光が差して見えるような作品も数点あった。

よく、人が想像を超えるようなものを見たときに「わぁ・・・」という、もはやタメ息なのか声なのかさえ判別がつかない、胡散臭い何かが出る場面を見たことがあるが、あれは本当に、文字通り漏れ出てきてしまうものなんだなと、しみじみ感じながら観覧を続けた。


心の底の方から浮かび上がってくる真新しい感情の欠片たちを拾い集めながら、誠一郎は珍しく多少高揚している自分が少しむず痒く感じた。


幅の広い階段を一階に向かって下り、もう気付けば三つ目になる展示室に入ると、そこは天井が前の二部屋に比べそれほど高くなく、壁の色は同じく白っぽかったが、部屋自体もさほど大きくはない、入り口から部屋の奥に向かって長方形に伸びたこれまでの二部屋とは少し異質なタイプの空間だった。

中でも明らかに違うのは、その展示室には、先程まで観ていた二つの展示室に飾られていた絵画たちよりも若干サイズが大きめの絵画が、たった一点だけ、その長方形の部屋の一番奥の壁に展示されていたことだった。


天井と地面、合計四本のシーリングスポットライトの暖かな光に照らされたその大きめの絵には、森林の中、一頭の黒馬が、新緑の木の葉の隙間から射す光に目を細めつつ、ただ地に伏せている姿が描かれていて、絵画の左下にあるプレートには、



よくできた触れる幻  エディ・ラパン 仏1844−1889



とだけ記してあった。

どうしてこの絵が特別扱いのようにこの展示室に一つだけ飾られているのか誠一郎には全く分からなかったが、まごうことなく、良い絵だった。何より不思議だったのは、その絵に対しては感動とか感銘の類ではない、何か全く違う感情が自身の心の中に湧き上がってきていたことだった。

いや、感動はしていたのかもしれない、しかし客観的なものではない、何かもっと誠一郎の内側から湧き出て来たものがその絵と固く手を握り合うような、ある種、共感めいたものだった。

正真正銘初めて観るはずのその絵が何故か懐かしく、愛おしくさえ思えた。全体像がその目に入った瞬間から全身に立った鳥肌がしばらく引かなかった。


絵画を見て、というより、生まれてきてこんな感情になったのは初めてだった。

声も出ず、時間も忘れて直立不動のままその絵に魅入っていると、そもそもどうしてこの絵のタイトルは、森林の〜や、馬の〜とかではなく、「よくできた触れる幻」という、パッと聴き、掴み所の無い抽象的なタイトルにしたのだろう、という疑問がふつふつと湧き上がってきていた。


さっきまで観ていた他の絵画たちには比較的判り易い地名や題材の名称がタイトルに組み込まれているものが圧倒的に多かったし、第一、この絵自体、作風が抽象画の類とはかけ離れているどころか、おそらく作者は実際にこの風景を目の前にしながら描いたのではないかというように思えて仕方なかった。


それなのに、このタイトルは二つの相反する言葉が軸になっている。


「触れる」と「幻」


そもそも幻とは触れないものだと、少なくとも誠一郎自身は認識していたし、ましてやその幻がよくできているなどという表現は不可思議極まりない。


しかしすぐに誠一郎は、まるで「思考」という名のチェスの駒を横から唐突に出てきた何者かの手によって速やかに移動されるかのように、ある結論に行き当たった。


いや、このタイトルじゃなきゃいけなかったんだ。他に候補なんかなく、描き上げようとしているまさにその瞬間にも、この作者の心中はこのタイトルに支配されていたに違いない。心の中でそのタイトルを何度も反芻すればするほどそのタイトル以外は何も当てはまらないような気さえしてきた。

「人は一生のうちに何度か、何か運命のような、見えない力が働いているとしか思えないような状態に出くわすことがある」

誠一郎の頭の中にはいつか読んだ本の中の一節が浮かんでいた。


 何かあったんだこの作者に、教わってきた常識や摂理さえも軽く飛び越えてしまうような何かが。

きっと取り憑かれるように描いたんだろう。

 

たった一枚の絵画からこれ程まで強烈な印象と様々な想いが浮かんでくること自体が未だに信じられないし、通常の精神で描かれたものではないに違いないと思った。


そういえばこの森は一体どこだろう、どうやらフランス出身の作者だし、フランス国内の何処かの森だろうか。この馬の目にはこの時、一体何が見えていたのだろう。と推測を始めたその時、自分の視界の右の方で人影がかすかに揺れ動いているのに気づいた。

誠一郎は一瞬、我に帰り、そちらの方にゆっくり目線をやると、同じように絵に魅入っている一人の女がそこにいた、ばつの悪いことに誠一郎と同じ高校の学生服を着たその女は、誠一郎より頭一つ分ほど低い自らの背丈を前に少し折り曲げるようにし、セミロングの髪を片側、その細い指で左耳にかけながら、目の前にある馬の絵を、鑑賞できる範囲を伝える足元に引かれた白い線をギリギリまで踏み込み、食い入るように見ている。


一体いつから自分の隣にいたのか分からない。そういえば時間もどれくらい経過していたのだろうと、誠一郎はいつも身に着けている左腕のアナログ式腕時計に視線を落とそうとした瞬間、その女が唐突に喋りかけてきた。

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