課題小説5 『ガラスの小瓶』
社畜生活に嫌気が差すたび、シキノは必ず駅ナカの輸入食料品店に立ち寄る。いつもならチーズやらチョコレートやらを大量に買い込むのだが、その日は吸い寄せられるように真っ先にキャンディの棚を見に行った。薄っぺらい包装紙に包まれたチューイングキャンディや、着色料の塊みたいな七色のロリポップ、クマの形のグミ、ジェリービーンズ。目にも体にも悪そうなパッケージが所狭しと並ぶ棚の隅に、シキノはベージュのラベルが貼られたジャム瓶のような物を見つけた。「食べられるガラス玉」と日本語で書かれている。手にとってかかげてみると、無色透明なガラス玉がカランと音を立てた。見知らぬメーカーだが、輸入品ではないようだった。「噛めばひんやり、やさしい甘さ」か細いフォントでそう書かれている。ラベルや中のガラス玉をしばらく眺めてから、シキノはレジに向かった。
「2500円になります」
特別疲れた日にだけ買うと決めている、12個入りのマカダミアナッツチョコレートを2箱買ってもお釣りが来る金額だった。
「ガラスですのでお気をつけください」店員はそう言って、ガラス瓶をプチプチで包んだ。
帰宅し、自室に戻ってきたシキノは、鞄から買ったばかりの瓶を取り出して、セロテープでとめられたプチプチを無理やり引き剥がした。蓋を開け、ビー玉より少し大きな無色透明のガラス玉を取り出す。においは無い。冷たく、重みのある、つるつるした綺麗なガラス玉だ。もう一度ラベルに記載された文章を注意深く読み直してみると、「一個ずつ口に含み、ゆっくり噛んでください。シャクシャクとした食感と、ひんやりやさしい甘さをお楽しみいただけます。よく噛んで、完全に溶かしてから飲み込んでください。カケラのまま飲み込んでしまうと、稀に喉や胃を傷つけてしまう場合があります。小さいお子様や高齢者の方は絶対に食べないでください」と書かれていた。おそるおそる口に入れてみる。親の目を盗んでビー玉を舐めた記憶がふと蘇る。しかし、奥歯で噛んでみると、ガラス玉はいとも簡単にシャリシャリと崩れ、舌の上に広がった。金平糖のような食感、いや、ファミレスのドリンクバーの氷を噛み砕いた時のようなあっけなさ。冷たいというよりは、体温を吸い取られるような感覚とともにじんわりと舌に甘みが伝わってくる。噛み砕かれたガラスは徐々に刺々しさを失い、川辺の石のように滑らかに口内を転がり、溶けて消えていく。溶け切ったところでごくんと飲み込むと、喉から胃へ、ひんやりした液体が流れていった。
これはいいものを買った。シキノは満足して瓶の蓋を閉め、それをテーブルの上に置いた。
翌日、シキノが会社へ行っている間に、シキノの妹が漫画を拝借するべく彼女の部屋にこっそり侵入した。妹はテーブルの上に見慣れぬ瓶を見つけた。「食べられるガラス玉」と書いてある。なるほど、透明な飴とは珍しい。妹は瓶の蓋を開け、ガラス玉をひとつ頬張った。
妹が血を吐いたとの連絡を受け、シキノは定時きっかりに会社を出た。病室に着くと、居心地悪そうにベッドの上で縮こまる妹の隣で、母親が額に手をやり頭を抱えている。
「この子、20歳にもなってガラスを食べたのよ。なんだってまたそんな赤ちゃんみたいなこと」
「食べたの?あれを」
「だって、食べられるって書かれてたもん」
「だからってガラスを食べる馬鹿がどこにいるの!」
あんたも何か言ってやってよ。母親にそう言われ、シキノも口を開いた。
「そうだよ、よく噛んで食べないと」
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