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エッセイと感想『傲慢と善良』

 昨日、皿を割ってしまった。けど、割れてくれて助かったような気もした。
それは就職で引っ越す時に母親が贈ってくれた食器セットのうちのひとつで、1番よく使っていた深めの大皿だった。割ってしまったから、仕方なくもうひとつのセットの同じ皿を出してきて夕飯を食べた。ペアセットだから、色違いのセットがもう一組あるのだ。

 「彼氏と一緒に使えるでしょ」通販サイトを見ながら、母親は私に言った。まるで私がこれから同棲でも始めるみたいな口振りだったが、私と彼氏はそれぞれの勤務地が遠くなってしまって、いわゆる遠距離恋愛が始まろうとしているタイミングだった。それでも、私はありがたく頂戴することにした。その時はまだ、そのうち転職して同棲することになるだろうと思っていた。

 でも結局、その彼氏とは就職から1年もせずに別れた。お互いに遠距離恋愛は向いていなかった。別れ話をした日、私はパニックになって、どうしたらいいのかわからないまま真っ先にLINEを開いて母親に報告した。「えっ」という短い返事が来た。送ったこっちがびっくりするくらい早い反応だった。だけど、私はそれ以上何も送らず、母親からのアクションもなかった。私はものすごく落ち込んで、落ち込んで、落ち込んだまま実家に帰った。腫れ物に触るような扱いを受けながら年を越した。セミダブルのベッドは異様に広く、その広さが余計に私を落ち込ませた。

 それから数ヶ月。最近になって、実家に帰るたびにちょっとずつ小言を言われるようになった。いや、小言と言うほどではないのかもしれない。たとえば、母との会話で同い年の男の同僚を話題に出せば「食事にでも誘いなさい」と言われ、男の上司と共通の話題で盛り上がったと言えば「その人は独身なの?」と尋ねられ、祖母からは「ばあちゃんもお母さんもお前くらいの歳にはもう子どもを産んでいたんだから……」と諭される。たしかに、母親が私を産んだのが24歳のときで、私も今年24歳になる。母親や祖母の気持ちもわからないわけではないのであまり怒る気にもなれないが、だとしても相手がいないんだから子どもなんて産みようがない。たぶん、私がこのまま結婚するとばかり思っていた男と別れたせいで焦る気持ちが出てきたんだろう。自分たちはとっくに結婚して子どもを身籠っていた時期に、私は特定の相手すらいない。焦って相手を探している様子もない。心配して当然だと思う。実際のところ、私だって不安なのだ。母親や祖母が望むような結婚と出産を私も望んでいるというわけではないが、家族の期待を裏切り続けてきた私にとって、結婚する相手すらいないまま母親が自分を産んだ年齢を追い越すのは本当に取り返しのつかない事態だ。

 私の近況報告は一旦これくらいにして、とにかく、そういう状況で私は辻村深月の『傲慢と善良』を読んだ。刺さった。いや刺さったというか、すごく話しやすいカウンセラーと話した後のような読後感だった。私がこの小説を買ったのは大学2年生の頃だったが、買ってすぐに読んでいたらおそらくここまで感じることはなかったと思う。その頃はまだ結婚を意識したこともなく、マッチングアプリを使ったこともなく、当たり前のように彼氏が大好きだったし、当たり前のように愛されていた。上に書いたような経験を経た今になって読む気になったのはまったくの偶然で、もはや運命のようにすら感じる。

 この作品は、マッチングアプリを通じて知り合った婚約者が失踪してしまった主人公の男が、手がかりを得るために彼女の家族や地元の関係者に会って情報を集める中で次第に婚約者の過去が明らかになっていく、という感じの話だ。主人公の架は39歳、婚約者の真実は33歳。架は真実と知り合う前に交際していた女性との結婚に踏み切れなかったがために振られてしまい、その幻影を追うようにして婚活を始めた。マッチングアプリで何十人もの女性と会ってもピンとこないまま、偶然が重なった流れで真実と付き合うことになった。がしかし、またしても結婚に踏み切れずに1年半が経過していた。そんな架を決心させたのは、「ストーカーが自宅に侵入している」という真実からのSOSだった。この一件を機に2人は同棲を始めるが、ある日突然、真実は失踪してしまう。件のストーカーが絡んでいるに違いないと確信した架は、真実から聞いていたわずかな情報をもとに彼女の地元・群馬へと向かうことになる。そこで待っていたのは過干渉な真実の両親と、閉鎖的で時代錯誤な価値観が隅々まで浸透した田舎のコミニュティだった。

 この作品で印象的な人物はやはり、真実の母親だろう。この母親は病的なまでにおせっかいで、心配性で、頭より先に口が回ってしまうせいで余計なことばかり言っているが、そこに悪意はまったく無い。娘に苦労してほしくない、という一心で、真実の進学先から就職先、結婚相手に至るまですべてを斡旋しようとする。その選定基準は彼女自身の凝り固まった偏見に基づいており、誰に何と言われようとその価値観が揺らぐことはない。婚約者の母親とは言え、あまりに支配的かつ独善的な思考に架は終始ドン引きである。しかし、真実はそんな母親の言うことを素直に聞いて育ってきたようで、大人しく引っ込み思案な性格はそういう家庭環境の影響を受けていることが示唆されている。

 真実の母親について描写されるたび、私の脳裏には自分の母親の顔がちらついた。あの人がこれを読んだらどう感じるのか考えずにはいられなかった。読めば読むほど、真実は自分に、真実の母親は自分の母親に重なっていく。自分が育った家庭の歪さを淡々と見せられているようないたたまれない感覚に頭を抱えた。私の母親は真実の母親のように勝手に結婚相談所から縁談を持ってくるようなことはしないけども、勝手に私と私の彼氏用の食器セットを見繕っているし、結婚してすらいない娘がいつか子どもと帰省したときのために実家の私の部屋にセミダブルのベッドを用意しておくくらいのことはする。私は私でそれを好意としてありがたく受け入れるし、彼氏と別れたとなれば真っ先に母親に報告してしまう。過干渉を素直に受け入れ続けた先にあるのは共依存だけだ。過度に世話を焼かれることに慣れたまま大人になってしまった私は、母親レベルの愛情とそれを示すだけの行動を取らない恋人のことを信用できないし、愛されていると感じることができない。物語の終盤で描写される、なかなか結婚に踏み切らず曖昧な態度を取る架にいちいち不安になってしまう真実が見せる架の愛情を試すような言動は、別れる少し前の自分によく似ていた。そういう不安をストレートに言葉にすることもないまま、勝手に期待して裏切られ、1人で暴走していく様子もまた、私とそっくりだった。

 物語の結末、架と真実は無事に結婚式を挙げてハッピーエンドを迎える。そこに至るまでの描写のせいで若干の不穏さはあるものの、彼らは共に結婚という希望を叶えて物語は終わる。真実の母親については特に触れられていないようだが、最後の場面に登場していないあたり、ある程度の距離を取ることには成功しているのかもしれない。

 正直に言うと「都合良く終わりやがって」というのが率直な感想だった。それは何も真実にとって都合が良い終わりということではない。架としても、面倒だった婚活をまたイチから始めなくて済んだわけで、真実の両親にとっても、トラブルを乗り越えて娘が無事に結婚に至ってくれたわけである。この母親のことだから、きっとすぐに孫産めコールが始まりそうな気もするが、まあ2人ならなんとかなるだろう。相手もいないのに子どもを産めと言われる私よりはマシだ。

 着地点を見失ったので最初の近況報告に戻ることにする。私は昨日、母親が彼氏と使うようにと贈ってくれた食器セットのうちの1枚を割ってしまった。粉々になった皿を見て、申し訳ないと思うより先にほっとしてしまった自分がいた。仕方ない、とようやく思えるようになった気がした。仕方ないことだ。彼氏と別れたのも、今の自分に相手がいないのも、子どもを産まないまま24歳を迎えてしまうことも、全部仕方ないことなのだ。母親にも祖母にも申し訳ないとは思うが、今すぐ結婚して子どもを産むというのは現実的に考えて無理があるのでもう少し長い目で見てほしい。過干渉を超えるレベルの愛情表現ができる男性と巡り会えたらの話だけども。

 架の心理描写やマッチングアプリに関しても書きたかったけど、それはまた別の機会で書くかもしれない。ここまで読んだ人がいるのかどうかわからないけど、『傲慢と善良』は恋愛とか結婚とか、マッチングアプリとか、親の過干渉とか、そういうことで悩んでいる人には刺さるものがあると思う。ぜひ読んでみてほしい。


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