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父の日

6年前の今日、父が他界した。それを知ったのは、1日?2日?後だった。
最初に見つけてくれた弟には、今も頭があがらない。彼の当時の気持ちなんて、想像することすらできない。

私は父が大好きだ。父も私のことを愛してくれていた。
私は父の最初の子供で、それも歳をとって出来た子供だったから、それはそれはたっぷりの愛情を注いでくれていた。
といっても、私から見た父の愛情ランキングは、
父(自分自身)、母、弟、私、だけれど、それでも十分に愛を感じていた。

それに対して、私は、父に、何をしてあげられたのだろう、と、6年前からこの日になると毎年考える。

私は少し傲慢な人間なので、「子供は産まれた瞬間に一生分の親孝行をしている」と思っている。子供が居ない今も、その考えは継続中だ。

生前、父から口酸っぱく、「パパが死んだ時に後悔しないように、今のうちに親孝行しておきなさい」と冗談めかして言われたときも、上記を伝えて反論していた。

けど、今となっては、父の言う通りだと痛感する。
もっと役に立ちたかったし、感謝されたかった。

今思い返すと、父が私を頼ってきたとき、私は自分の都合を優先して、応えなかったことが多すぎるほどあった。(一方弟はスーパー優しいのでほとんど対応していたように思う)
私は本当に父を好きだったのだろうか、いや、確実に好きだったのだけれど、父に愛してること伝わっていたのだろうか。
この時期になると、いつも胸が痛む。
だから、会いに行って、私はあなたを愛してたし、愛してるよ、と伝える。それが、今日なのだ。

今日は私にとっての父の日で、父のことを考える日。後悔をする日。懺悔をする日。ありがとうを伝える日。愛を確認する日。

親と仲があまり良くない人に、親に感謝しなさい!仲良しでいなさい!なんて言うつもりは毛頭ない。他人に知りえない、それぞれの関係があるもんね。
ただ、大切な人はいつか居なくなる。本当に、突然に。
明日、その人が居なくなっても良いように、伝えたいことは今のうちに伝えておくべきだと、父の死を通じて強く思ったし、誰かの心に、薄くでも良いからその意識が残って欲しいな、と思う。

もう6年なのかまだ6年なのか分からないけど、あの日のことは多分一生忘れないんだろうな。
パパ、愛してるよ。

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