弱小リーダーを目指す|長尾彰『完璧なリーダーはもういらない』

「リーダー」に必要な素質とは、なんだろう。

私は、学生時代から「リーダー」を務める機会が多くあった。昔からなにかと仕切りたがりで、誰もが嫌がる「リーダー」に立候補してきたのだ。

児童会長、部長、委員長、プロデューサー、キャプテンなど、様々な「リーダー」を担ってきた私は、その素質や才能は全くと言っていいほど持ち合わせてはいなかった。

今振り返ってみると、自分の思いばかりが先行して、「みんなを引っ張らないといけない!」と、空回りばかりしていたのだと思う。

それが原因なのか、
「しゃしゃり出てくるな」「なんか偉そう」
などと揶揄されることも少なくはなかった。

そして、大人になった今。

私は、学生時代の苦い思い出がそうさせるのか、なんとなく「リーダー」になることを避けるようになった。

しかし、社会人として「リーダー」を担う機会は増えるばかり。どうしたものかと考えたとき、出会ったのがこの本だ。


長尾彰『完璧なリーダーはもういらない』


長尾さんは本書の中で、漫画『宇宙兄弟/小山宙哉』のエピソードをもとに、次世代リーダー論を述べている。

その中にこんな言葉があった。

人の心を動かすのは、「支配」ではなく「共感」です

人の心を「支配」することは、自分側の都合に相手を強引に合わせること。
人の心に「共感」することは、自分の思いを信じてもらうこと。

「リーダー」と聞くと、周りを引っ張っていくことを想像するが、そこには「支配」というイメージが先行しているような気がする。人を強引に動かす、北風と太陽のお話でいう、北風のような感じ。

しかし、「共感」のイメージを持つことで、相手に自分の思いをわかってもらった上で、ついてきてもらう、という思考が生まれるのだ。

「わかってもらおう」「信じてもらおう」という思いが、相手の心をわかろうとすることに繋がり、お互いがお互いを尊重しあう。

そこで生まれるのが、チームとしての団結だと思う。

リーダーは「共感」を生まなければ人を動かすことはできないのだ。


また、これからの時代の「リーダー」は愚者風でいこう、と長尾さんは述べている。

愚者風リーダーは、相手の意見を聞き、「私はこうしたい、こうしてほしい」といったニュアンスで人にアクションを起こすのだという。

そして、何より重要だと思ったのは、愚者風リーダーは、自分が完璧でないことを理解しているというところ。

だから、相手に完璧を求めることもない。みんながみんな足並みをそろえて進むことができる。誰か一人がリードするのではなく、みんながみんな、場合に適した「リーダー」を担うのだ。

愚者風リーダーがもたらすものは、認め合いなのだと思った。


こうして本書を読み進めていくと、「リーダー」というものは役職が先行するものではなく、人の思いが人の心を動かし、気づいたら「リーダー」を担っていたというような、偶然に生まれたようなものなのではないかと思えた。

「リーダー」だから〜しなければならない、という思いだけでは、人を動かすことはできない。

「リーダー」に必要な素質とは、自分の思いを伝え、人と共感し合い、仲間と共に歩みを進めていくことができること

そして誰もが、チームをリードする「リーダー」になり得るのだ。


きっと学生時代の私は、誰かを理解しようとも、自分の思いをわかってもらおうともしていなかった。ただ、人を「支配」しようとしていただけなのだと思う。

これからは、愚者風リーダーとして、人の心を動かすシェイカーとして、仲間と共に歩みを進めていくことを目指していこうと思う。

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