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「蜻蛉日記が書かれた理由を考えてみました」制作後記

こんよろです!
よろづの言の葉を愛する古典Vtuber、よろづ萩葉です🖌️

今回は5月にYouTubeにて公開した動画「蜻蛉日記が書かれた理由を考えてみました」を振り返っていきます。

まだ動画をご覧になっていない方はこちらからどうぞ↓

この動画は解説ではなく、僕の個人的な意見をお話ししています。

初めて蜻蛉日記を知った時は「不倫への愚痴が書かれた日記」という印象しかありませんでした。
そりゃ不倫されたら怒るし、今ほど娯楽もない時代だからストレス発散のために日記を書いたんだろう…と思っていたんです。

ですが「嘆きつつ〜」の和歌のエピソードを知った時、蜻蛉日記は不倫そのものに対して怒っているわけではないことを知りました。

もちろん、一夫多妻だからといっても不倫に対して不満を抱いてなかった女性は少ないと思います。
でもやっぱり平安時代の感覚は現代とは違います。

蜻蛉日記は夫の気遣いのできなさに怒っている。
その説を知った時に道綱母への印象が変わり、
この日記は何のために書かれたのかが気になるようになりました。

そして、女房として出仕していたわけでもない女性が書いた個人的な日記がどうして千年の時を経て残っているのか、不思議に思いました。
女性が書いた文学として貴重なものではありますが、当時から人々の手に渡っていないと残ることすらなかったはずなんです。

僕の中で蜻蛉日記は、謎が多い文学になりました。

大河ドラマ「光る君へ」に蜻蛉日記が登場した時、まひろたちも「どうして道綱母は蜻蛉日記を書いたのか」という話題で盛り上がっていました。
当時から謎に思われてたのかもしれないと思うと面白いですね。

そして道綱母が登場し、まひろに「悲しみを紛らわすために書いた」と言っていました。
まひろが源氏物語を書くための伏線になっているんだろうと思いつつ、本当にそれが理由なのだろうか?というのが再度気になり始めました。

そこで僕なりに考えて出した結論が、
蜻蛉日記は道綱母が自分の才能を世に広めるために書いたのではないか?
というものでした。
その考えに至った理由については動画でお話ししています。

僕は文学そのものの内容よりも、「どうしてその作者はその文学を書いたんだろう?」というところに興味があります。
現代と違って紙も貴重ですし、ただの暇つぶしというだけで書けるものではありません。
SNSもなく、1人が一生のうちに得る知識は現代より圧倒的に少なかったと言われている時代なので、現代よりも作品に作者の人柄が反映されやすいと思います。
だからその文学が書かれた理由を考えることが、その作者のことをより知ることにつながると思うんです。

これを書きながら、蜻蛉日記が世間に広まった時の夫(兼家)がどんな気持ちだったのかが1番気になる気がしてきました。
恥ずかしいよね…

今回は蜻蛉日記でしたが、今後もこのような考察動画を増やしていきたいと考えています。
次回作もぜひ楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです!

最後までお読みいただきありがとうございました🖌️


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