見出し画像

人生に目標は要らない派です

今月、出会ったばかりのお姉さんとお茶したときに言われた。

「長期的な目標を持つことは大事だよ」と。

そのお姉さんは、目標を設定して、行動するらしい。
仕事だけではなく、人生においても。

そのお姉さんとは、カフェで数時間話しただけなのに、
就職面接をしているような緊張感で、うまく話せず。

遠回しに説教されているのような気分になって、
なんだか、疲れてしまった。


そういえば昔、元職場のお姉さんからも言われたことを思い出した。

年明け一発目の出勤時、「今年の抱負は?」と訊かれた。

当時ひどく疲れきっていた私は、
「日々健康に生きることを諦めないようにしたい」と答えたら、
「そんなのは当たり前じゃん〜!」と。

ああ… 返答が眩しすぎる、と思った。
私にとっては、結構大事にしたい生き方なんだけどな。

どうやらお姉さんの抱負には、部類があって、
ある程度のゴールがあるんだと察した。

その翌年、年明けの出勤が被っていたことを知り、
抱負リベンジだと思った私は、それはもう意識の高い抱負を用意した。
そして年明け、やはり訊かれた。

私は、目をバキバキにして答えた。

ちなみに、当時どんな抱負を言ったのかは、全っく覚えていない。


こんなことを言っているが、私自身、
仕事に対しては、ちゃんと目標を持って働きたい派である。
そのほうが、自分が悩まないから。
そして、原動力になることも知っているから。

そうやって、これまでも仕事をしてきたつもりだけど、
とりあえず試してみて、軌道修正しながら、小さな目標を立て続けていく。

とはいえ、実際そう簡単には行かないことばかりで。

唐突に、怖いもの知らずで挑戦したり、
鋭い意見を述べたり、ふしぎな角度からの提案をしてしまうから、
誰よりも先頭に立たされて、責任を負う業務をしがちである。

まさに、痛い思いをしないとわからない人間の代表として生きていた。
周囲は私の姿を見て学んで、上手に立ち回っているなと、常々感じる。

こんな感じで不器用だけど、組織に求められる人材の自覚はある。

ただ、よく苦しくなってしまう瞬間があったので、
主観的に見ると、組織は向いていないし、
きっと居続けないほうが、心の平穏は保たれるはず(笑)

これまでの職場での経験に基づいたデータでしかないけど。



ようやく、本日の本題。
人生に目標を持つかどうか問われたとき、必要ではないに一票である。

お姉さんと話してみて、よりそう思った気がする。

夢や目標の価値観は、人それぞれであって、
それを押し付けず、比較しない在り方が何よりも大切なのではないか、と。

「将来どうなっていたい?」
こっちへ来てから、やたら質問される。

「目の前にあるチャンスを、やってみるだけです」としか、答えられない。

今の自分、産声を上げたばかりの赤ん坊だと思うようにしている。
新しい環境で、新しい仕事を始めるスタート地点にいるから。

また、私は私らしく、不器用ながら学んでいくんだと思う。

こっちへ来てから、出会った人全員、夢を持って生きていた。

一方わたしは、大した人生目標なんて持っていないけど、
日々を味わって生きていたいとは思う。

そして、私が前向きな長期的目標を立てられないのは、飽き性だからというのも大いにある。
目標を立てて、その通りにできなかったら、罪悪感に駆られてしまう。
なによりも、自分で敷いたレールに沿っていると、逃亡したくなる(反抗期)


数週間前、目標達成本のようなスケジュール帳を購入した。
今よりも、もっと良い変化を起こしたくて。

だけど最近、風邪を引いて体調を崩し、色々と狂ってしまった。
少しずつ日常を取り戻してきつつはあるものの、
目標達成本を開いて、続けるハードルがやたら高く感じている。

元気でやる気に満ち溢れているときに立てた目標の眩しさよ。

もう数週間前のモチベーションは皆無になってしまったので、
今の自分ができることを、少しずつ、書き出してみることにする。


わたしは、飄々と生きる人に憧れる。

私の中で飄々と生きる人というのは、
自分のことを深く理解して、自分のことを最も愛している人。
汚いこと、弱いことも否定せず、受け入れるけど、執着しない人。
正しさに縛られず、感性で生きる人。
評価や期待を強く求めず、ありのままで、自然体で生きる人。

今の自分には程遠い存在だけど、いつか環境に慣れたら、
こうなっていたいと思う、理想像だ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?