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レペゼン宇宙

先日、ラッパーのOZworldが「GTA (Grand Theft Auto)」と自身の関わりについて語っているインタビュー記事を拝見した。

GTA とはアメリカのストリート文化を取り入れたオープンワールド型ゲームの先駆け的存在だが、件の記事でOZworldは、GTAが自身の第二の故郷であると語っている。
ゲームを「故郷」と表すのはいささか誇張しすぎた表現だろうか。それとも本当にゲームが「故郷」たり得るのだろうか。

実は筆者にも似たような「ゲームを故郷と感じた」経験がある。
筆者の場合、その対象となったゲームは「Cyberpunk 2077」だった。
Cyberpunk2077は2020年発売のオープンワールド型ゲームで、いわゆるサイバーパンクなビジュアルの都市(ナイト・シティ)を主人公"Vヴィー"になって自由に歩き回り、様々なイベントをクリアし進行していくゲームだ。
筆者はこのゲームを合計220時間程度プレイした。もっとも、その当時はただ単にゲームとして認識し、ハマっていたにすぎなかったわけだが。

ところが、衝撃は2022年に起こる。
Cyberpunk2077の世界を舞台にしたアニメーション作品、「サイバーパンク エッジランナーズ」がNetflixで配信されたのだ。
このアニメ、ゲーム内に実在する地名や街並みが出てくるだけでなく、格差と荒廃に満ちた世界や、そこで過ごす人々の生活感、主人公を取り巻く社会環境など、ストーリーや背景まで全てが、ゲーム版Cyberpunk2077の世界観をドンピシャに表現した内容だったのだ。
このアニメを見ながら筆者は得もしれぬ感覚に襲われた。
アニメの内容自体はもちろん面白いのだが、そう言った作品自体から受けるものとはまた別の感覚。主人公がおかれた非現実的な環境になかば納得してしまう共感性を帯びた感覚。
言葉で強引に表すのであれば、その感覚は「郷愁」だった。

自分が活動してきた世界と同じ環境、同じ時代に生きていた、別の誰かの人生を覗き見ている感覚。
地元に残った友人とひさびさに会ったときに交わされる
「あそこのお店まだ残ってるんだ」
「いま〇〇先輩と仕事してんの?俺、学生時代にお世話になったんだよね」
というような、ある種の答え合わせ的会話で得るノスタルジー。
そんな感覚を、アニメ視聴で、感じてしまったのだ。
ゲームの世界が「地元」と同じ作用をもたらしてしまったことに、当時非常に驚いた記憶がある。


そもそも「地元感的ノスタルジー」や「地元」という言葉が表す意味自体、かなり独特なものではある。
「地元」という言葉を使う時、それが表すコンテクストは決して、生まれ育った土地そのものだけではないだろう。
例えば、先の旧友との会話例において「あそこのお店」や「〇〇先輩」といった話題は同時代・同地域・同文化圏で過ごした間柄でのみ成立するものであり、これらのベースとなるコンテクストをすべて雑にひっくるめて、我々は「地元」と表しているのではなかろうか。

言ってみれば「地元」とは「話題の方言」なのかもしれない。
同時代・同文化圏の中でコミュニケーションが行われ、それが仲間同士の結束を深め、コミュニティを形成し、そのコミュニティ内で閉じた話題、つまり「方言」が発生する。
そしてコミュニティ内の会話はその方言を用いて行われることで、方言をベースにしたまた別の方言が生まれ、それらが加速度的に増えていく。
これら方言が増えれば増えるほど、コミュニティ自体は盛り上がり、そして外部からの新規参入が(その厚みのあるコンテクストが防御壁となり)難しくなり、より濃密で煮詰められた濃いコミュニティへと成熟していくのである。


昨年上場したANYCOLOR社を運営母体とするVTuberグループ「にじさんじ」。このにじさんじの英語圏版グループ「NIJISANJI EN」内で度々使用されるミーム「POG」がある。
このミームの成り立ちをみてみると、

① 海外で子供たちが遊んでいたメンコ「Pogs」があり (*1)
② アメリカの格闘ゲーマーGootecksが企画でPogs対決をした際のオフショットで見せた顔が独特だったことからミーム化し
③ それがTwitch上でエモート化され
④ NIJISANJI EN の Luca Kaneshiro が(元のミームと異なる感嘆符的な意図で)それを多用するようになり
⑤ それが NIJISANJI EN 内でも定着した

という、まさにミームがミームを生み、より狭いコミュニティ内で重畳され濃縮された独自の言葉として機能している流れがうかがえる。
にじさんじコミュニティ内には他にもそういったミームが数多く存在し(*2)、そのコンテクストを理解しているファンたちがより一層コンテンツを楽しめる(逆に完全な新参者には理解できない文脈が存在する)構造になっている。
にじさんじ文化圏は、それ自体は概念的な存在であるにもかかわらず、すでに一種の地元として機能していると言えるかもしれない。


ソーシャルVRプラットフォームのVRChatには、その中に入り浸ってまさに「生活」をする人々が一定数いる。
先日テレビ東京のドキュメンタリー番組「メタバースで生きるとは?」でもその生活の一端が紹介されていた。

このVRChatの住人たちの中でもいくつもの独自文化が芽生えている。例えば上述の番組の中でも「お砂糖文化」(*3)についての言及があるが、こういった独自の文化が芽生えた背景として大きいのは、やはりVRChatが地元化しているからなのではと考える。
そこで生活し、そこで交流し、そこでしか生まれない文脈が生まれ、それをベースにまた交流がなされ…。と、どんどん文脈が濃縮されることで独自の文化が生まれていくのだろう。


話題を変える。
メタバース、という言葉が半ばバズワード化している。
現在、メタバースプラットフォームが雨後の筍のように次々と湧き出ており、そしてそれぞれのサービスでその明暗が分かれている。
先ほど話題に出したVRChatなどのいわゆるソーシャルVR系サービスは一定のコアなユーザを獲得しているように感じる。
かたや、バーチャルライブなどを売りにした一見きらびやかそうに見え、鳴り物入りで登場したサービスほど、ユーザが定着せず一過性の盛り上がりに終始しているように見える。

「ハレとケ」という言葉がある。バーチャルライブなどの「ハレ」を売りにしているサービスがうまくいかず、「ケ」のような日常的な営みを価値としているサービスに軍配が上がっているのも、ここまで述べてきたように「地元」感によるものなのではないか。
ライブなどの客寄せパンダでいくら集客しても、生み出せる価値はあくまで「非日常」でしかなく、そこに定住したいと思える根拠にはならない。
それよりも、同空間、同時間軸を共有した人々の間でしか紡がれない文化があり、その文化が新たな価値を生んでいく。そういった、ただただ地続きに続く「日常」をうまく形作らなければならないのかもしれない。


HIPHOP文化には、地元を代表する/象徴するという意味の「レペゼン」という言葉があり、地元への繋がりや郷土意識が非常に強い。
そんな文化の渦中にいるOZworldに「GTAを通してヒップホップを学んだ」「第二の故郷」と言わしめるほどに、バーチャルでの体験はもはやルーツとして機能するクオリティにまで成長している。(*4)

「レペゼンGTA」も、「レペゼンCyberpunk」も、「レペゼンポピー横丁(*5)」も、もはや登場しうるのである。

「メタバース」とは「メタ(高次の)」「ユニバース(宇宙)」という2つの単語からなる造語である。これは、単一の押し付けられた文化像ではなく、幾つもの並行宇宙にそれぞれの文化をユーザ間で築き上げ醸造していく、つまりそれぞれの「地元」を作り上げていく可能性を示唆しているのではないか。

そろそろ、それぞれの宇宙で醸造された文化背景で育ち、それぞれの宇宙を地元としてレペゼンする人々が出始めても良いだろう。




*1: そもそもPogs自体の起源が、日本のメンコがハワイに伝わったものという説があり、1周まわってNIJISANJI ENから日本に言葉として逆輸入されている展開は胸熱ではある。

*2: 下記のにじさんじ語録集を見ていただければ、それが単なる新語ではなく、配信中に起きた出来事やそれぞれのVTuber同士の関係性など、醸造された文化と密接に紐づいて生まれているミームだということがわかるだろう。

*3: VRChat内での恋愛関係を表す言葉。これも単なる現実世界の「カップル」と同義の言葉というわけではなく、お砂糖報告(カップルになったことを宣言すること)や物理性別を超越する関係性など、VRChat内で醸造された特異な文化全体を称する言葉である。

*4: もっともOZworld自体Z世代のラッパーで、その作品には「NINOKUNI(二ノ国)」や「ピーターパン」などアナザーワールドを想起させるような楽曲名やリリックが良く登場する。
他にも NILLAND という仮想現実を彷彿とさせるプロジェクトも行っており、もはや若い世代のアイデンティティは一定の割合ですでにデジタルに根付いているのかもしれない。

*5: VRChat内のワールドのひとつ。いわゆる昭和的な飲み屋街であり、VRChatの住人たちが夜な夜な集い語らう場所である。
バーチャル空間であるにもかかわらず、こういった現実世界へのメタファー性のあるワールドに人が集まるのはそこに土着感が芽生えるからなのかもしれない。


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