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小説「あかつき」1/4

——僕の語り

 小さいころに大人たちの都合で家族ごと追い出されて、だのにその追い出した連中に迎合しろと言われて、イヤだと言うと理由を求められる。

 何度も何度も「小学生の駄々みたいな理由だな」と言われたこの正しい「イヤ」は、正しいのに、人に言うのが怖い。だから、けっきょく僕は、ただ大人たちから嫌われるしかない。今の学校でそれを知るのは、たった一人の友人だけだ。

 大人らしさとは、特定の主張や人格を子供らしさと呼んでバカにすることに抵抗がない状態のことだ。少なくとも、僕にとってはそうだった。

 だから、大人らしいことは罪だ。大人は罪人だ。コドモコドモと呼ばれ続けた、一人の人間でしかないはずの僕が、どうして罰を受けなきゃいけない。

 だから、死の西陽から遠いことは情状酌量だ。

 だから、死の西陽に近いことは唯一の大人への罰だ。


「暁と共に昇って僕達は、往時に代わり、世界を染める」


 今はそう思う。その友人に出会ったおかげで。


 僕はきっと、将来で、きっと、罪人にならないから。だから、ねえ、大人たち。

 その死を、僕の心に、どうか押し付けないで。

——物語

 少年Aは静岡のSAにいた。フードコートで無料の緑茶だけ持って、これからどうすればよいのか考えて、なんにも思いつかずに高速道路をすり抜ける車を眺めていた。

「あの、」

 背中をトントンと叩かれ、驚いて振り返ると、同い年くらいの女の人がこちらを見ている。

「相席いいですか」

 尋ねられて、驚いたようにあたりを見渡す。コロナ禍中ということもあり、閑古鳥のなくこのフードコートに、座ってるやつは少年Aしかいない。

「なんで……?」

「きみ、家出少年だ」間髪入れず、予想だにしなったセリフが飛び込んできた。

「な、なんでわかるんですか」

「リュックに名札がついてる。それ、バスの荷物室に預けるためのものでしょ。見た感じ、高二くらいだよね。たぶん学校行事、修学旅行とか。なのに、こんなところで三十分くらいボーっとしてる」

 そして有無を言わさず向かいの席に座る。警戒した少年Aは「……じゃ」と立ち去ろうとしたが、「大人にバラしたりしないよ」と静止された。「だから、バラされたくなかったら、もう少しここにいて。話をしよう。あ、私も高校生だから、タメでいいよ」と脅されてしまっては、もういちど座って話を聞くしかなかった。

「……何が目的なんだよ」と聞くと、「まずは君の話を聞きたいな」と少し身を乗り出してきた。しかたなく、少年Aは語り出す。

 ——少年Aの語り

 学校が僕らに、オリンピックの観戦を強制してきたんだ。僕は元々、オリンピックなんか行きたくなかったのに。まるで「見に行きたがるのが当たり前」みたいな話をしてくる厄介な先生がいるやら、終わったら『感想を百字以上で書きなさい』みたいなのやらされるらしいやら、もうヤになった。僕の人格が粗末にされるような出来事ばっかりだったんだ。東京に向かうバスから外を見てたら、なんかもうどうでもよくなっちゃって、トイレ休憩で止まった神奈川SAで逃げ出して、タクシー乗って、ココまで来た。

 ——オリンピックに行きたくない理由? そんなに僕が、オリンピックが「きらい」なように見えた? ……話したとして、納得してくれるの? や、その……僕の周りの大人は、たいがい「考えすぎだよ」とか「不謹慎」とかって言ってきたから、あんま人に話したくなくって。……まあ、短く説明するなら、そうだな、地元が選手村のために買い占められて、僕ら家族は立ち退きを拒否してたけど周りの店とかぜんぶなくなったから住めなくなっていって、しまいには役所の人から「地価が下がってきてるから、今月中に立ち退いてもらわないと補助金が少なくなる」って言われて、事実上追い出された、って感じ。これ以上話す必要ある?

 ——少女Aの語り

 十分。満足。ありがとう。なるほど、そりゃ家出したくもなるね。

 実は、私も同じなんだ。家出してきた。

 ねえ、一緒に行こうよ。

 どこへ? って、知らない。西の方。遠くへ遠くへ行くだけ。君が持ってるお金と私が持ってるお金を合わせれば、二人とももっと遠くまで逃げれる。悪い話じゃないでしょ?

 拒否権は無いんだろって? ……正解!

——少女Aの逃げ

 かくして少年Aと少女Aは共に逃げることになった。タクシーに乗り、とりあえず関ヶ原SAへ向かう。コロナのおかげで運転手と客席の間にはアクリル板があったから、二人は話の内容を運転手に聞かれる心配などせず色々なことを話せた。その中で、少年Aは少女Aの家出した理由を知ることになる。

 少女Aは病的に厳しい祖父を持つ家で育った。家には母と祖父が常にいて、古い考えを押し付けられながら暮らしていた。「パソコンを使うと脳が腐る」「ボカロは頭がおかしい」そんな言葉をよく耳にする家庭で、圧を感じながら過ごしてきた。

 中三のころ、哀れに思った父親が単身赴任先から帰ってきたときスマホを与えてくれた。新しい情報をたくさん得て、祖父たちの態度がいかに病的でおかしいか、初めて筋立って理解できた少女Aは、何かから解放された感があった。

 ある日、塾から帰ると玄関で父が土下座していて、母がそっぽを向いていて、祖父がこちらを睨みつけていた。

「スマホを出せ。捨てる。でなけりゃ高校に進学させん」

 政治に興味を持つな、意味がない、と言われて育ち、公民の授業もよくわかっていなかった少女Aには、「高校に進学させん」という脅しのアリ・ナシがわからず、祖父に従うしかなかった。高校の公民の授業で「教育を受ける権利」を習った時には死ぬほど後悔したし、いっそう祖父への憎しみや軽蔑は強くなった。

 だから、コロナの流行は、少女Aにとっては父親に次ぐ二人目の「味方」だった。彼、すなわち新型コロナウイルスは、社会に対して「インターネットが人類には必要だ」ということと、「今まで人類はインターネットに対して行き過ぎた非難を浴びせ続けてきたのだ」という事実をまざまざと見せつけた。別に脳は腐らないし、頭もおかしくなかったのである。言論人やマスメディアが手のひらを回すたび、祖父のような古い人間は肩身が狭くなった。少女Aはそんな祖父を見て、心のうちで嘲笑っていた。ざまあみろ、と、少なくとも、少女Aには世界がそんなふうに見えていた。

 ある夜、祖父に呼び出されて部屋に行くと、その手の中にはスマホがあった。

「明後日、地域のパーティに行くことになった。だから、ワクチンの予約がしたい。俺は、その、デジタルはまるっきりわからんから、まあわかる必要もないんだがこんなものは、だがお前はわかるだろ、若いんだから。だから、代わりにやってくれ」

 しめたと思った。

「私もよくわからないから、そのスマホで調べさせてほしい。あと、特殊な道具も必要だから部屋に戻るね。お祖父さまはもう寝てください」

 そう言いくるめ、部屋に戻る。入って、扉を閉める。息を吸う。拳を作って、息を止め、天井を仰ぐ。

 勝った! 勝った! 若い世代が、デジタルの力で、「老害」の生殺与奪の権を握れる時代がきたんだ!

 そんな歪んだ達成感を——脳内麻薬を王冠のようにして内心に戴き、数時間後、家族全員が寝静まったタイミングでリビングへ向かった。

 刀が飾られている。「貴重な戦国時代の刀が新聞広告で売られてたから買った」と昔に祖父が持ってきた、妙に軽い刀が。そっと取ってサヤからぎこちなく引き抜き、木製金庫の扉の隙間にガッと差し込んだ。ゴキッと鈍い音が鳴り、次いで音もなく扉が開く。中には札束が六つほどあり、銀色の山を成していた。

 翌朝。家に少女Aは居ない。はじめに彼女が居ないのに気づいたのは母で、はじめに金庫が空いているのに気づいたのは祖父だった。中の金は半分くらいに減っていて、一枚の紙が添えられていた。


——私に帰ってきてほしければ、次の条件を満たしてください。

一、 今までの教育を間違いだと認めること

二、 喧嘩別れで追い出した父に謝ること

三、 今後私が父の家の方で暮らすこと


 私は、お祖父さまには、その性格のせいで、周りにパソコンのできる人なんか誰もいないということを知っています。基礎疾患があることも、地域のパーティの参加をどうしても断れないことも。これは脅しです。——


 母があわてて玄関に走り、戸を開けると、目の前の地面には刀が突き立っていた。持ち手の組み紐がくしゃくしゃほどけて風にたなびいていた。

――このとき少年Aは、少女Aの内心を世界で最も知る人になった。話を続けながらに少女Aは後悔し、警戒していたのだが、このとき彼女は「それじゃコロナをまるっきり肯定してるじゃないか」と突っ込まれたり、少年Aの心象を悪くしたりしていても不思議ではなかった。

 しかし、少年Aはそんなふうに口を挟むことも一切なく、高速道路の青い案内板が流れていくのと同じくらいの頻度で相槌をうって、少女Aの話に聞き入った。しっとりまたたく彼の目に、かすかに共鳴のあることを、少女Aは見抜いた。少年Aが少女Aの世界認知に少なからず共鳴しているからだと、彼女が勘違いしたのも無理はない。

 実際のところ、少年Aが共鳴していたのは、彼女の世界認知ではなく、こちらにひらかれた彼女の眼の、抑圧から解放されたような開きっぷりだった。それがうらやましくもあって、彼の目のうちに宿ったのは共鳴というより、共振して殻を壊そうとする、彼の正体だった。

次回「あかつき」2/4

これは、私が2021年7月に文芸同好会で作った作品です。

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