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小説「あかつき」3/4

——カブト

 二人は一晩そこで寝て、次の日は遅く起きた。といっても、少年Aは早く起きていた。少女Aだけが遅起きすることになったのは、昨晩、ひとつ考え事をしていて、眠れなかったからだった。

「おはよう」隣で座っていた少年Aが挨拶する。

「おはよう……」

 採光窓からの光がすっかり縦向きになった昼過ぎ、二人は行動しはじめた。

「このカブトすごいね。鉄砲の弾を跳ね除けたって書いてあるよ」とガラスケースに手を置く少年Aに、少女Aが尋ねた。

「ねえ、なんで——」

 少年Aが、ゆっくり顔を上げ、彼女の方に目を合わす。

「なんで、そんなに乗り気で私についてきてくれるの? 私はもう、帰っても、生きるも死ぬも、変わらないほど、『詰ん』じゃったから、こんなことしてる。けど、君はそこまでヒドい状況じゃないじゃん」

 少年Aが「あんたに脅されてるからだよ」と言うと、すぐさま「ウソだ」と否定が入る。

「仕草を見てたらわかる。君、今、心から楽しんでるよね」と看破した。

 少年Aは少し考えたあと、ただ一言、「刀」と言った。「刀、貸して」と言う彼に、腰に差していた刀をサヤごとそっと渡すと、彼は刃をシャーっと抜いて、立ち尽くした。

「そうだな。……あんたの破滅願望にただ乗っかるんじゃなく、もう、自分自身の自暴自棄に向き合うべきだな」

 そう言うと、刀を大きく振りかぶって、カブトの入ったガラスケースに対面した。

「真ッ正面から!」

 振り下ろし、ガラスケースを叩き斬る。破片が飛び散り、キラキラと舞う。乱反射のとばりがひるがえる中に、色めいて光るカブトがあった。

「何してるの!?」と少女Aが問うと、「スマホ、捨ててないじゃん」と少年Aが説明し始める。

「あんたはまだ、良いメッセージが父親から送られて来る可能性を捨て切れないんだ。だから、その危険なスマホも捨てれない。どうせGPSで居場所はバレる。逃げれるのはあと少しだけ。だからココに来ようって言ってくれたんでしょ。このまま帰っても、生きるも死ぬも変わらない『詰み』なら、せめて『やれること』をやって楽しむために」

 そしてカブトを手に取り、台から離した。盗まれたのを察知したセキュリティシステムがすぐさまヴーヴーけたたましい警告音を鳴らす。

「あんたが寝てる時、あんたのスマホにメールが届いたのがバナー通知で見えたんだ。もう、囲まれてるんだろ?」

 警告音を止めることもせず、少年Aは語り出す。

「僕もね、詰んでンだよ」

——少年Aの逃げ 表

 一日前、ある選手の親とオリンピック委員会のスタッフが、あわてふためいて神奈川SA中を探し回っていた。今日には東京入りするはずだった選手の少年が、急に姿を消したのだ。

「たぶん、私のせいです」

 泣きそうな顔で親がそう言う。

「あの子、『コロナのことがあるから辞退したい』って、前に相談してきたことがあるんです。それを私は、つい無碍に、怒るように否定してしまって——」

 スタッフが「そんなことが……」と言うので、続ける。

「さいきん、あの子のクラスに『オリンピックのせいで生活を奪われた』って言う子が転校してきたんです。その子に影響されて気の惑いであんなこと言ったんじゃないかって、その時は思ったんですけど……、けど、間違ってた。あんなに熱心にスポーツをやっていたあの子が、そんな軽い気持ちでいたはずがなかったんだ……」

 スタッフが「我々大人が忘れてしまっているだけで、子供って、それなりにしっかり自分で考えていますもんね。問題にぶち当たった時、対処する力は弱いのに」と言うと、親は「ハッ、弱い、ですか」と返す。スタッフは冷や汗をかいた。今この人は、かなり高度に子供の心とシンクロしてしまっている。

「強弱で言うなら、大人も子供も変わらンですよ。ただ大人の方が社会的に強いから、自分が凝り固まることでなんとかできるだけだ。そのしわ寄せを受けるのはいつだって子供だった!」

 取り乱した大人の対処法は、少し黙って放っておくことだとスタッフはよくわかっていた。数秒たって、親の呼吸が落ち着いてくるのを見てから、スタッフが言葉をかける。

「気に負ってしまうのはまだ早いですよ。このまえ逃げたウガンダの選手と違って、置き手紙も何もなかったんです。誘拐された可能性の方がまだ高い。今から警察に連絡します。さっき、選手はどんな格好をしていましたっけ」

 その無責任な気休めに、親は静かに応える。

「大きなリュックを背負っていて、それに名札がついています」

——少年Aの逃げ 裏

「僕もね、詰んでンだよ」に続いて、「僕が初めに語った話、あれウソ。引越しさせられたのは、僕のクラスメイトのことで、そいつの話をパクっただけ。本当のことを教えたくなかったんだ。本当は——」まで言うと「いま行方不明になってる選手、そうでしょ」と少女Aに遮られた。

「……知ってたの?」

「リュックの名札ってだけで家出って決めつけれるわけないじゃん、ホームズじゃないんだから。スマホで見たニュースの写真と君がそっくりだったから、カマかけるつもりで声かけたんだよ」

 それを聞いて、少し考え、これまでの逃避行を振り返る。

「……滑稽だな。今までずっと、バレてたのか」

「そう。だから、私も君の本心がわからなかった。けど、今ならもう話せるんじゃない? どうせバレてるって知ったなら」

 すると、少年Aは少し考えたあと、ポケットに手を突っ込んで、くしゃくしゃになった一枚の紙を取り出し、少女Aに渡した。おそらく、口に出して話せるような精神状態ではなかったのだろう。それを察し、少女Aは少し頷いて紙をひらき、中身を読み始める。——やはり、残しそびれた置き手紙のようだった。


——両親とスタッフさんへ。ご迷惑をかけてしまい、申し訳ありません。現在の不孝と、未来永劫の不孝を詫びます。私はもう、いなくなってしまおうかと思います。

 幼い頃から、私には剣道しかありませんでした。私は私自身で、自分は純粋に楽しむためにスポーツをやってるんだと思っていたし、それはとても素晴らしいことなんだと思っていました。剣道がオリンピック種目に選ばれた日や、東京がオリンピック開催地に選ばれた日には、それをすべて「いいこと」なんだと思って疑いませんでした。人から色んな否定論の話を聞いても実感が湧かなかったし、あなた方がそういう情報から私を遠ざけたから。

 だから、転校生の子の存在が、僕にとって初めての「実感できるよくないこと」でした。私の行いが微力ながら支えている企画が、巡り巡って実際の一人の子供の青春を壊したんだと知ると、なんだか「僕が届けていたものは勇気や希望ばかりじゃなかったんだな」と幻滅する気持ちが芽生えました。

 それまで僕は、自分の与えた影響を無視するための言い訳に「純粋に楽しむためにスポーツをやってる」というのを使って、自分を言いくるめて生きてきました。だから、「他人への影響が悪いものだった」と知って落ち込んでいる僕を見つめ直したとき、なんだよ、僕はけっきょく、人に褒められたくってスポーツやってたんじゃないかよ、と思いました。

 それに気づいてから、練習に身が入らなくなりました。一本取られるたびに、ネガティブな考えばかりが浮かびました。「僕は友達の話を聞いたらコロッと考えを変えるのか、今までだっていろんな人の話を聞いてたのに。その人たちに不誠実すぎたんじゃないか」とか「そもそも純粋にスポーツを楽しむっていうのも自分勝手なエゴじゃないか。どうしてそんな無理矢理な話で今まで納得して来れたんだ、バカじゃないか」とか、頭に浮かぶたびに面を打たれ、胴を打たれました。

 こんなコンディションでオリンピックに臨めるはずがないと思って、コロナを言い訳に辞退しようとしましたが、ダメでしたね。そんなずるいやり方が通っていいはずがないし、むしろ本当にコロナを理由に辞退する他の選手の方々に泥を塗るような考えでした。だから、あなたに辞退を却下されたあと、最後に自分を大きく責めました。それでいま、こんなものを書いています。——

次回「あかつき」4/4

これは、私が2021年7月に文芸同好会で作った作品です…

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