"絶妙さ"って大事だよって話。
2024年8月30日。
今日は朝の4時にアラームかけて、布団の中でゴロゴロして、4時半から朝活した。
復習30分、模試60分、英会話30分を終わらせて、今noteを書いている。
今日のテーマは「絶妙さ」。
またまた訳の分からんタイトルであることはご許しください。
とにかく堅いタイトルで文字を書くことが苦手なもんで、ただただ自分の好きなことを文字にしている所存でございます(使い方あってる?笑)
まあ、そんなことはさておき
世の中には論理的に物事を考えることが推奨されているし、多くの人が再現性高く結果を出せるように、テンプレや型に落とし込んであることが多い。
論理的に考える。誰でも同じように結果を出せるように言語化する。テンプレを作る。
本当に大事。私もこれらをすごく推したい。
私もよく紙にかいたり、noteに書き起こしたりして、日々自分の思考を言語化している。
しかし、それとは反対に、うまく言語化は出来ないけど、「あの先生はこう言っているけど、実際にここをこうした方が上手くいきそうだな」とか、「この発信、自分が見る側だったら面白いと感じないから、少し言い方言い回しを変えてみよう」みたいなものが人ぞれぞれあると思う。
本当に少しの感覚。
別にその変化に気づいている人はあんまりいないかもしれない。
けれど、その小さく絶妙な感覚、違和感を見逃さず突き詰めていくことが、その人のオリジナリティに繋がると思った。
自己啓発的な投稿見ても、youtube見ても、インスタ見ても、「なんかこの人絶妙だな」とか「全然くどく感じない」と感じる人がいる。
逆に似たような内容でも「あきりたりだな」と思われたり、「面白くないな」と思われることもあると思う。
それはほんの少しの感覚の違い。
相手が感じる違和感を配慮した上でcreateしているから。
これからは情報発信の時代。
動画で、写真で、文字で、テキストで自分の価値観、考え方、在り方を伝えていきたい。
自分の生きた価値をこの世に残したい。
「この人絶妙だな~」
そう思われる人になりたいな。
2024年8月30日。
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