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アステロイドロード

あらすじ
26世紀の初頭、500年を超える人類の宇宙進出と開発、そして抗争の歴史を振り返る中、宇宙空間監視任務にあたる火星連邦軍のウエモト中尉は、人類が進歩や発展を信じる宗教的な信念が幻想を生み出したため起こる、未来に対する人々の期待と現実の落差に思いを巡らす。その時、敵対する地球同盟軍艦艇との間で亡命者トラブルが偶発的に発生する。軍司令部からも遠い宇宙空間で、単独小艦艇で果敢に対応するウエモト中尉とその仲間たち。彼我の火力差が大きい中、彼らはどのようにこの危機的状況を切り抜けるのか…。一話完結の連作小説。

本文

 過去の世紀末がどうだったのかは知らないが、馬鹿げた乱痴気騒ぎの夜を過ぎれば、「未来」というものは突然眼前に現れるのではなく、「昨日の積み重ね」を反復した結果でしかないことが嫌というほど思い知らされる。
100年紀においてもそうなのだから、”ミレニアム”ともなれば尚更で、その前後における人々の、期待に対する落胆は相当なものだったろう。夢にまで見た未来は昨日や一昨日、そのまた昨日と変わらないじゃないかと…。
 もちろん、技術革新は日々の生活を少しずつ変化させているには違いない。が、しかし、飢えや貧困が解消されたという話は聞かないし、犯罪は日常茶飯事だ。その上世界のどこかでは、相変わらずつまらない理由で戦争とは言わないまでも「軍事衝突」という殺し合いをやっている。多分我々が「進歩」や「発展」という言葉に期待するのは、時間というものが右肩上がりに直線的な性質を有するのだという、遥か昔の「宗教」が未だに世界を席巻し、人類の未来に対する有りもしない幻想を産み出してしまったからに違いない。
 なぁに、落ち着いて考えてみれば、我々は大きな”何ものか”の周りをグルグルと回っているだけの小さな虎の群れであり、そのうち、この宇宙の終焉とともに溶けてバターにでも姿を変える存在なのだろう。願わくは、その円運動は僅かに上を向いた螺旋構造であり、出来上がったバターは多少、芳醇な香りと味わいを醸し出していてもらいたいものではあるが…。
「ただ、今はそのお陰で…」
とつぶやきながらウエモト中尉は司令卓の前にある少し硬い椅子に腰を下ろした。
「この薄っぺらな命を軍隊という銀行に預けておけば、毎月喰うにだけは困らない程度の利息がもらえる訳だが…」
「“今夜”はウエモト中尉が当直士官ですか?」
A.I.アテンダント”エミー”の明るい声が背後のスピーカーから聞こえてきた。
「“今夜”ねぇ…。いったい、この漆黒の宇宙空間で“今朝”とか“今夜”とか呼ぶ意味があるのかねぇ」
艦橋兼CIC(Combat Information Center)前方にある大型モニターに映し出される空間は、キラキラと微かに瞬く星の群れ以外真っ暗であり、目の前の卓には、半円球上の三次元レーダー画面やモニター群が怪しげな光を放っているだけだった。
「一応この艇(ふね)は慣習上、指令本部と同様母星における標準時に時計がセットされています。そして、航行方向や太陽からの角度に関係なく、一日は“朝”、“昼”、“夕”、“夜”に区分されており、それぞれ標準時の午前4時を起点として、4時間、8時間、4時間、8時間が割り当てられています。そして今は…」
「はい、はい…。ご指摘感謝します、”エミー教授”」
ウエモト中尉は手で蠅でも払うようなしぐさをして“エミー教授”を黙らせた。
「中尉、ご機嫌斜めですね」
背後で機関部のモニターを点検していたステュアート伍長が振り向いて笑った。ポニーテールにした金髪が踊るように揺れる。
「ご機嫌は悪くないけど、ご気分がね」
「二日酔いですか?」
「いや。幾ら新しい年が明けたといっても呑む訳にはまいりません。本官は勤務中ですからな」
ウエモト中尉は、少しおどけるようなしぐさで敬礼をして見せた。



 人類が地球以外の星に降り立ってから500年余りの月日が流れた。
21世紀の半ばには火星に、後半に入ると太陽系外惑星である木星、土星の衛星にも到達した。当初は地球上の列強各国がそれぞれの星に競争で、小規模ながら幾つかの「コロニー」を建設しその版図を広げていった。コロニーの成立には「ガレージサイズ核融合炉」の完成が寄与している。半径数キロ~数百キロといったコロニーに数万~数百万人の人が自給自足で生活するには、水や空気とともにそれを生成するためのエネルギーが必要だ。かつての地球のように化石燃料を活用するだけでは効率が悪く、周辺環境に与える影響も大きい。核分裂でエネルギーを取り出すことも、蓄積する放射能廃棄物の問題が解消されていない。かと言って再生エネルギーも十分ではない。地球から離れれば離れるほど、等比級数的に太陽光エネルギーの照射が弱くなり、いか程に効率を上げても十分な量を稼ぎ得ない。核融合炉は20世紀半ばより研究されていたが、50年以上経過しても安定してエネルギーを取り出せる装置は完成せず、各国もほとんど諦めの境地といった状態であった。ところが、21世紀も20年を過ぎる辺りから、大規模な装置開発から小規模な装置「ガレージサイズ」の核融合炉の研究開発競争が激化した。そして、ほぼ火星探索、月開発と足並みを揃えようにして、小規模で極めて安定した核融合炉が量産されるようになった。火星の開発にもこれが生かされ、コロニー建設でも課題はエネルギーではなく、専ら自ら生存し、食料自給を促すための「水」や「食料」、「資源」の確保であった。ただ、成立時のコロニー同士では、対立よりも数少ない資源を分かち合い共有しようという動きのほうが活発だった。従って、水や資源をめぐっての争いもコロニー間の利害というより、特定資源の移送先である「本国」間の争いに巻き込まれる形での代理紛争の様相を呈していた。
 だが、22世紀に入ると、地球上の国家の衰退に伴って様相が一変する。気候変動による大気組成の変化や気象の大幅変動により、人類の生息域が減少していく。地球の人口は100億人程度から減少し、80億人程度で一旦踊り場を迎えたものの、その後も微減状況下続く。技術革新や栽培技術の向上による生産増に向けた努力の成果よりも、農作物はもとより、各種のエネルギー、鉱物資源に至るまで、ほぼほぼ底が見えて収量が激減していくスピードの方が早くなった。そしてその分はコロニーからの”朝貢”貿易に依存していた。
 23世紀になると搾取される側のコロニーでは、出自の異なるコロニー同士が更に連携し、本国に対して”独立”する動きが活発になった。火星2世以降の世代が地球からの移民を上回るようになってきたのだ。そしてついに2252年1月に火星が連邦国家として独立宣言を行った。火星では大規模コロニー、つまりは核融合による人工太陽を備えた数十万~数千万人程度の半地下都市が、クモの糸の様なハイウェイで結び付けられ、同一出身国どうしや政治体制の似通ったコロニーどうしが大きなコロニー群を形成していた。全体では大小100程度のコロニー群が存在し、23世紀半ばには40億人弱の、つまりは地球の半分を超える人口を抱えるようになっていた。当初はそれぞれ本国から派遣された「執政官」が統治しており、本国の民主制や専制制などの影響を受けて、コロニー群ごとに異なる政治形態であった。そして幾つかのコロニー群どうしが本国の意向を踏まえた同盟状態を形成していたのだが、世代を重ねると地球という母星に対して「火星人」としてのアイデンティティの方がより強まり、時間の経過とともに本国との紐帯は急速に細く弱いものになっていった。
 24世紀の中盤に入ると、木星のイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストというガリレオ衛星を中心とする衛星群を開発する動きが地球、火星とも活発になり、25世紀になると豊富な地下資源の占有を巡って地球と火星が対立する。それぞれの衛星に展開する「ステーション」と呼ばれる基地同士も、地球側、火星側に分かれていざこざを起こすようになってきた。
そして、2477年8月に勃発した、エウロパ上にある双方のステーションどうしの小競り合いが、地球と火星にも飛び火し、ついに2479年4月に地球対火星の戦争に発展した。戦争は1年3か月後に双方数千万人の戦死者を出して停戦となったが、それから以降現在に至るまで各所で睨み合いや小競り合いが続いている。
 植民衛星を抱えたこれら2つの惑星が戦争を始め、太陽系における覇権を争いだしたのは、画期的な技術革新により、それまで音速の100倍程度が限度だった艦船の宙間移動速度を、最大で光速10%程度にまで高めることが可能となったためである。これは実質のスピードではなく、コンパクトな核融合炉が産み出した強大な電磁エネルギーにより、一部の空間と時間を歪めることができるようになったことによるもので、長時間継続はできない。
しかし、それを何度も繰り返すことにより、地球火星間は三日間程度での航行が可能となった。地球と、木製衛星群においてさえ、長時間の”航行酔い”を防ぐために開発された、馴化プログラムを挟む必要を見込んでも二週間程度の旅程となった。若干、衛星群との日程が地球火星間よりかかるのは、火星と木星との間にはアステロイドベルトが存在するためだ。ただ、このアステロイドベルトと呼ばれる「小惑星帯」は名前ほど中小の惑星が詰まっているわけではなく、ほとんど空隙で占められているのだが、大量の大型輸送艦艇が高速で航行するためには、幾つかある”ハイウェイ”と呼ばれる空隙の大きい経路を通過することが合理的だ。地球側も火星側も、それぞれが発見、開発したこのハイウェイを1箇所ずつ所有管理し、それぞれの出入り口に”風待港”的な大型の人工天体基地を配置し、独占的に利用してきた。便宜上、地球側の人工天体は「グレートビターⅠ、Ⅱ」、やや小さめの火星側人工天体は「スモールビターⅠ、Ⅱ」と呼ばれており、その名称が一般化している。これらは地球上で地中海とインド洋を結ぶ運河、「スエズ運河」内にある湖に由来していると言われている。
 これらの「ビター」は太陽を中心とした周回円で概ね120度程度ずれており、その中間線とでも言うべきエリアが停戦ラインとなっている。というのも地球と火星間は、公転の都合で時々刻々と位置関係が変わるので恒常的な停戦ラインを設けても余り意味がない。それに中断された戦闘状態にあるとはいえ、2惑星間には「旧宗主国」としての繋がりもあるため、人的、物的な交流が一定程度行われている。そこで変化する二惑星の中間点を常に移動して公転する人工天体「ベーリング」を配置し、双方の大使館をその天体の中に設置して貿易や航行のトラブル調整、自惑星民の利益保護のための協議機関の運営を図っている。そしてその宙域では双方の監視艇がそれぞれ入り乱れる形で、停戦後の各種協約を遵守しているか監視している。
ウエモト中尉が乗艦する火星連邦の「ホライズンⅢ」は、今アステロイドベルトの”内側”の宙域にいる。


 ホライズンは専ら哨戒及び索敵を任務とする小さな艦艇で、強力な広域三次元レーダーを備えている高速ステルス艇だ。一方武器は自艦防衛のための最小限の対艦システムだけであり、同様の索敵艦艇ならまだしも、戦闘中に敵方の攻撃艦艇に発見されれば一目散に逃げるか、周辺の浮遊小惑星に隠れるしか無い。このため、普段はこれら浮遊小惑星と同様の動きをして宙間にぼんやりと浮かんでいるだけのように見せているが、その機動性確保のために姿勢制御用エンジンを艇の前後4機ずつ、計8機備えており、全宙あらゆる方向に瞬時に方向転換し、姿勢を変化させることができる能力を有している。これが”ハチドリ”と渾名さされる所以だ。
 艇員は、艇長のウエモト中尉、副艇長兼機関班長のキャンベル少尉、レーダー・防空班長のキム少尉の3士官の下に、ステュアート伍長などの下士官3名、兵10名、そして、アテンダントA.I.”エミー”が配置されている。アテンダントA.I.は、軍事上の作戦支援を行うだけでなく、艇内のエネルギーや環境の管理はもとより、艇員の健康から食事の管理、果ては「愚痴」の相手までも行う。因みに名称の”エミー”は現艇長のウエモト中尉が命名したもので、慣習的に着任艇長がその都度命名することになっている。”エミー”はウエモト中尉の高校時代のあこがれの先輩の名前だというのが、P.D.(ピーディー=プライベート・ディテクティブ)キムの異名も持つキム少尉の調査結果だ。
 ウエモト中尉が乗り込む「ホライズンⅢ」の今回の哨戒任務は、「スモールビターⅠ」にある前線基地を出て双方の境界域にある「停戦ライン」の反対側、つまりは残りの240度の中間付近を超えない宙域を一週間移動監視して母船に戻ることだった。この宙域は「停戦ライン」のような明確な線引きがなされておらず、双方の軍事的な駆け引きの度合いで濃さが決まっている曖昧な空間だ。ただ、”この辺り”という程度の頃合いは、「阿吽の呼吸」という呪文のような約束事で成立しているので、そこに無理やり入りこまなければトラブルは殆どない。気軽な任務のように聞こえるが、この「阿吽の呼吸」というのが曲者で、3次元空間の、それも複数の基点が天体の動きによって時々刻々と変化する中で設定されているものなので、「停戦ライン」も同様だが、一定しているわけではない。双方がバラバラの情報でこれを認識すると、思わぬトラブルのもととなるので、協約により人工天体「ベーリング」が常時発する信号によってその位置が1秒毎に更新され共有されるシステムになっている。当然、「ホライズンⅢ」もその信号を受信しながら、越境しない範囲で警戒監視を行っているのだ。
 地球同盟側も同様の体制をとって警戒監視をしている。”ハチドリ”ほど機敏ではないが、こちらは索敵オンリーという訳ではなく、一回り大型で、艦首部分には強力で長射程の電磁砲を有しているため、小艦艇なら一発で破壊されることになるという多少荒っぽい艦艇が主役だ。電磁砲は筒状の高速弾丸を発射するものでもあり、10~20キロメートル離れた浮遊小惑星の影からこっそりと狙われたら、逃げ切るのはまず難しい。火星連邦側で”テッポウウオ”と渾名されているこの電磁砲は、物理的な弾丸を使うため長射程と言えども有効な射程距離そのものは短い。物理的な砲弾には特殊な合金を使い、短時間で崩壊するようにしてあるためで、その理由は慣性の法則に従って半永久的に高速移動する「デブリ」が狭い戦場で飛び交うと、思わぬ流れ弾として味方の艦艇を破壊してしまいかねないからだ。双方の隔たりが1000キロメートルを超えるような艦隊戦では効果的な武器とは言えないが、20キロメートル内外の接近戦では有効である。そもそも電磁砲は21世紀初頭に開発された兵器だ。当初から音速を7倍ほど超えるスピードで、超音速弾道ミサイルへの対抗手段として開発が進んだが、極めて大きな電力が必要となり、その生成のためのコストが膨大になるため頓挫した代物である。それが、強力なレーザー砲への対抗として電子シールドが開発された23世紀に入って、技術革新により電力生成コストが著しく低下したことと、24世紀に至り、短時間崩壊弾頭が発明されたため再び脚光を浴びることになった。熱光線で相手にダメージを与えるレーザー砲と異なり、秒速10,000mを超える物理的な6インチ弾が艦体を切り裂く衝撃が凄まじく、通常艦が備える電子シールドは効果がない。超高張鋼で覆われた装甲艦であっても無傷とはいかない代物だ。ただ、高速弾としてのメリットを活かすために無誘導であることや、発射の度膨大な電力を蓄積する必要があること、そのために発生した高熱を冷却する時間が要ることなどから、短時間での連射が効かない。索敵で相手を早く見つけて、第1射さえ回避できればハチドリクラスの小艦艇でも逃げるチャンスが生まれる。


 ホライズンⅢの警戒監視は3日目に入っていた。この3日目と翌4日目が地球同盟側の宙域に最も近づく日で、それなりに緊張が高まる。ホライズンⅢは総員13名であり、士官、下士官それぞれ一名、その下に兵が2名ずつ就く三交代シフトで一日を回している。計算では1名余ってしまうが、それは艇長に付く秘書官的な役割もあるためで、この艇ではライス上等兵が担っていた。
 今、ウエモト中尉、スチュワート伍長、ライス上等兵他兵2名が居るCIC兼艦橋部分には直接外部を視認できる窓はない。艇前部及び艇側部は常に一定量の電子シールドを張り巡らされている都合上、特殊合金で覆われており、外部環境は全て艦橋前部にある大型モニターを始めとするモニター群で確認することとなる。
「エミー、前面モニターに外の景色を出してくれないか?」
ウエモト中尉が腕時計に目を落として、大きく伸びをしながら呟いた。
「またですか? 好きですねぇ…。 スチュワート伍長、ウエモト劇場の始まりですよ!」
と半ば呆れたエミーの声が帰ってきた。その声に被るようにスチュワート伍長の忍び笑いする声が漏れる。
 すると、湾曲して前面を覆う大型モニターにこの艇の進行方向の宇宙の深淵が広角で映し出された。この暗くて深い闇の中で微かに煌めく宝石のような星々の群れをじっと眺めていると、広がる宇宙の全てが、崩れ落ちるジグソーパズルのようにバラバラになってゆくような感覚になる。そして万華鏡さながらにぐるぐると回るその光と闇の粒に脳みそが飛び込むと、一体全体自分が何処にいるのか、何を眺めているのか判らなくなる。暫くすると遠く光の帯を放つ太陽が、ゆっくりとホライズンⅢの下部から上ってくる。全体が穏やかな光で包まれて、魂が身体からズルっと抜け出して行くような不思議な感覚に襲われてしまう瞬間だ。ウエモト中尉は、彼我の区別のなくなるようなこの時間に我が身をさらすことが密かな楽しみだった。精神も肉体も、モノも人も、時間も空間も…、何もかもが渾然一体となって、ただただそこに存在するだけという感覚…。頭の中で鳴り響く曲は、19世紀リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」。これは昔見た古い20世紀のクラシック映画の影響なのかもしれない。
 ウエモト中尉は今年32歳で、珍しいことに一般大学、それも文学部の出身である。その"文学青年"が何ゆえ軍人を目指したのかも謎であるが、通常火星連邦で軍人を目指す若者は、義務教育課程の12年を卒業した後、4年制の士官候補者学校に入校する。そこで心身とも十分鍛えられた上で、脱落しなかった学生が自動的に2年制の士官学校に入ることになる。そして表向きは多様性の確保だが、実際は脱落者の補充の観点から、士官学校では学年定員の内、200人程度は一般大学からの入学生を受け入れることになっている。しかしながらその多くは、理工系の学部を卒業したエンジニア予備軍であり、文化系、それも文学部となれば数人に過ぎない。その上で入校者全体の2割程度が第一学年終了時の心身適正試験でふるい落とされる。当然のことながらその対象者の殆どは一般大学出身者となるため、軍隊に残る文学部出身者は10年に1名程度の超絶滅危惧種である。
 また、士官学校卒業後、全ての卒業生は「少尉」に任官することになるのだが、士官候補生学校出身者と比べると一般大学出身者は、余程特殊な能力を認められるか、成績が優秀ではない限り、その後の配属先や昇進に明らかな差がでる。因みにウエモト中尉の同期生の多くは既に大尉に昇進しており、火星の軍務省か「スモールビターⅠ、Ⅱ」などの地方作戦本部の中枢でバリバリと働いている。やっと中尉に昇進し、辺境地で警戒監視任務を行う”ハチドリ”の艇長を2年もやっている者は稀だ。尤も、本人は全くそういった事に頓着しておらず、中枢の管理の目から逃れられて自由度が高く、気楽だと思っているきらいがある。それが回り回って、「ツァラトゥストラはかく語りき」の脳内再生イベントに繋がるのだが、今、その壮大な”導入部”の演奏が終わろうとしていた、正にその時である。


 突然、艇内照明がレッドライトに変わり警戒態勢警告音が鳴った。
 エミーの「警戒態勢警告」とその状況アナウンスも鳴り響く。この警告は、高深度三次元レーダーで捕捉された、艦艇、浮遊小惑星、デブリ等を、エミーがデータベースを基に解析した結果、UFOつまりは「未確認飛行物体」であると判断された場合に発せられるもので、搭乗員全員がそれぞれの持場へ5分以内に参集し、待機するよう求めるものである。艦内照明がレッドライトに変更されるのは、敵襲などで電力等が損傷を受け、照明が切れた場合、少しでも早く暗転環境に適応するための措置であり、そのためレッドライトの照度も最小限に抑えられている。
「何っすかねぇ…?」
仮眠中だったキャンベル少尉が眠そうな目をして制服の袖を通しながら、CIC兼艦橋へ入ってきた。キャンベル少尉はウエモト中尉の四年下の士官候補生学校出だが、自他ともに認める日頃の素行の悪さで、配属先の上官から疎まれ左遷されてきたとされている。その実は、軍務省の作戦本部に勤務していた時、その立場を背景に同僚女性士官に性的な応接を要求してきた上官を、言語道断で殴り倒し病院送りにしたことが原因らしい。そのため、昇進も遅れているというのがもっぱらの噂だ。「スモールビターⅠ」の輸送部隊で燻っていたところを、艦艇操舵の大会で抜群の成績をとった実績を買って、ウエモト中尉が密かに貰い受けたとのことだった。
「エミーの説明では、地球同盟側の宙域から中間ラインに向け進行中の小型艦艇らしき”影”があって、現在レーダー捕捉中との事だ。その後方をどうも敵さんのテッポウウオが追っかけてるらしい。”影”の軌道は一定せず浮遊小惑星の隙間を掻い潜るように進んでいるようで、エミーでも正確には予測しきれないだって。とりあえず、最寄りの浮遊小惑星の影に回って機関停止してもらいたい。様子を見たいんで」
正面の大型モニターで解析された”影”の軌跡を睨みながら、ウエモト中尉が答えた。軌跡解析線でも何箇所かは破線になっているし、予測軌道部分も幅広の帯状に描かれている。
「了解! でも航行軌跡が一定せず変な軌道ですね。故障か何かでコントロール不能になってるんじゃないっすかね? それにしても、後ろに見えるテッポウウオの動きが不気味ですよね。まっ、とりあえず、圧縮暗号通信で司令本部には状況を報告しておきます」
キャンベル少尉は少し顔をしかめ、制服のボタンを留めながら、配置についた通信士の方を向き直って具体的な指示を出し始めた。ウエモト中尉は軽く頷き、キム少尉の方を向き直る。
「キム少尉、念の為、CIWS(Close-in weapon system)の準備をしてくれるかな」
「了解!」
キム少尉が兵2名と後背部に配置してある戦闘パネルに向かった。
キム少尉、またの名を”P.D.キム”は、士官候補生学校を2年飛び級で卒業して士官学校に入った24歳の天才女性士官だ。ネットワークシステムを縦横無尽に活用して様々な情報を収集し、驚異的な分析力を発揮する。ただ趣味が講じたハッキングで軍務省のコンピュータシステムに侵入し、戦術訓練中の全てのモニターに、みんなに嫌われていた指導教官の女装AI動画を送りつけたため、遥かここまで飛ばされてきた。無類のコンピュータゲームオタクでもあり、士官学校での戦闘シミュレーションでは負け無しであった。


 「詳細分析の結果、UFOは民間の全長約15メートルのプレジャーボート。地球同盟で運用されている民間船です。現在も引き続き中間ラインへ向かっています。後方の艦影は間違いなく同盟軍のテッポウウオですね。プレジャーボートとの距離はおよそ500キロメートル。軌道解析の結果からテッポウウオは、プレジャーボートを追っかけています。でも、ボートも速度が早いし、微細の浮遊小惑星を縫うようにして航行しているのですぐには…。おそらく改造船だと思われます。なお、救難信号を発信しながら航行しているので、密貿易船や海賊船の可能性は低いと考えられます」
とエミーの続報が入った。
「しかし、密貿易船でも海賊船でも無いなら何の船だろう?! エミー!救難信号の後に何か言ってるかい?」
中尉の声が響く。
「信号が微弱なので…。引き続きやってみます!」
エミーの自信無げな声がする。
「まだまだ遠いですからね、その分、テッポウウオはこっちの存在には気がついていないはずですよ! もっとも、これ全体が二隻で仕込んだ大芝居なら判りませんがね!」
ホライズンⅢの船体を近くにあった浮遊小惑星の裏側に隠し終えたキャンベル少尉が顔を上げてニヤリとした。
「困ったねぇ…。もう少しすると敵さんの持ってるレーダーでもこちらの艇が索敵範囲内に入るからねぇ。うちの船もここで機関停止して大人しくしておけば、浮遊小惑星と一体視されて見つかることも無いだろうけど…」
「そうのんびり構えてて良いんですかねぇ」
CIWSの稼働準備を終えたキム少尉が、デスクのサブモニターに映るプレジャーボートの軌跡を眺めながら呟いた。前を進む小さな緑色の点滅を少し離れた位置にある赤色の点滅が追いかけている。その距離は小さなモニターでも僅かずつだが近づいているようだ。
「故障でも海賊船でも良いけど、なるべくなら何事もなく穏便にやり過ごせると有り難いんだけど…。面倒なことは嫌だからね。まあ、暫くは”トムとジェリー”の追いかけっこから目を離さないことにしますか…」
「”トムとジェリー”ですか? ちっちゃい頃見ましたよ。アニメなら大体ジェリーがトムを出し抜くんですけどね…。それにポップコーン片手に5分ほど大笑いして手を叩いたら、めでたし、めでたしで終わるんだけどなぁ」
ウエモト中尉の戯言に、スチュワート伍長が推進機関の出力メータの数値を確認しながら軽く拍手する手振りをして応じた。
「どっちにしろ、こちらに影響ない形でドタバタ劇が終ってくれると助かるんだけどね。なにせ、こちらは隣のブルドックどころか、サイズ的にはネズミのジェリーと似たようなもんだから。その上トムの鼻先に齧り付くほど立派な前歯も持ち合わせていないしなぁ…」
ウエモト中尉は艇長用デスクに片尻を置きながら、思案顔で右手のボールペンを回転させている。その時スピーカーからエミーが叫ぶ声が聞こえた。
「ウエモト中尉! プレジャーボートの救難信号後の通信内容が判明しました。どうやら火星連邦への”亡命”要請のようです! それに対してテッポウウオが”停船命令”を通告しています」
エミーの報告に、艇内を流れ始めていた穏やかな空気が一瞬にしてその動きを止めた。エミーが続ける。
「救難信号に続いて行われている発信の内容です。『こちらは地球同盟宇宙軍統合作戦総監部テーラー大佐とその家族3名の計4名。火星連邦に政治亡命を申請する。速やかに受理、収容されんことを乞う』との事!」


 艇員全員の目が一斉にウエモト中尉に集まった。
「困ったねぇ…。プレジャーボートはこっちの存在に気づいていたのかな?! エミー! 大至急緊急ビデオ回線を開いて、スモールビターⅡ司令部のフック大佐を呼び出してくれないか。それと、うちの本隊である第2打撃群にも連絡して、至急この宙域へ攻撃用艦艇の派遣をお願いしておいてね」
右手で頭を掻きながらウエモト中尉が言った。中尉は普段から畏まった場所でもない限り制帽を被ることはなく、整髪も短めの髪を手ぐしで済ますことが多い。鉢周りが少し大きく制帽を被ると「キューピーが帽子を被っているようだから嫌だ」と言うのが理由らしい。その上彼は考えをまとめようとする時、無意識に右手で頭を掻くのが癖なので、概ね毎日ボサボサ頭で過ごしている。
「中尉!司令部への連絡をビデオ回線ですると出力が大きくなるんで、敵さんにこっちの存在がバレますよ!それに、司令部に問い合わせたって奴らは『善きに計らえ』が関の山でしょう?!」
キャンベル少尉が振り返る。明らかに彼好みの「事後承認」的な行動を求めているのが判る。行動の前に、説明し、理解させ、承認をもらうという手続きが面倒くさいのだ。結果の知れた手続きに時間が取られる分、行動の選択肢が狭まるというのも理由だろう。
「少尉の言いたいことは判るけどね…。でもねぇ、場末のスナックのママが勝手に決められるほど簡単な話じゃないだろう?! 答えは判っていても、取り敢えずはお伺いを立てなくっちゃ…、こっちの立場じゃなく相手の立場がね…。私も組織の人間だから、色々とね…。あぁ、それから、ステュアート伍長、推進系の再始動を。いつでも動けるようにね」
ウエモト中尉は、困った、困ったと繰り返しながら、遂に右手に持ったペンで相変わらず頭を掻いて狭い室内をウロウロと歩いている。確かに困っているんだろうが、それ程緊迫した表情ではない。普段からの柔和な顔つきも手伝って、下がった眉が遠目には薄っすら笑っているように見えなくもない。
 暫くして、前面モニターに司令部のフック大佐が映し出された。恨みがましい赤い目は明らかに不機嫌であることを告げていた。年明けすぐのことでもあり、当直の"ナイトマネージャー"としては、何も無いと高を括ってアルコール片手に”仮眠”でもしていたのだろう。顔が少し赤い。
「中尉、こんな”夜中”に緊急通信とは一体何事かね」
「はっ、大佐、こんな”夜中”に連絡を差し上げる事をお許しください」
敬礼をしたウエモト中尉が表情も変えずに、”夜中”にアクセントを置くのを聞いて、後ろでキム少尉が吹き出した。多少気楽な日常を過ごしている本部と異なり、前線には日中も夜中もないのだ。大佐の顔がますます渋く歪んでゆく。
「先ほど司令部に暗号伝達いたしましたように、本艇が第三宙域において哨戒任務に当たっておりましたところ、地球同盟側から連邦側へ向けて高速移動するUFOを確認いたしました。その後このUFOを精査いたしましたところ、救難信号を発報しているプレジャーボートでありまして、それに続いて発報された内容は地球同盟側からの佐官級軍人とその家族計4名の亡命申請となっております。受信内容については別途お送りしたように様式は整っております。ただ、現在同盟側の哨戒艦の追尾を受けておりまして、概ね1時間後に同盟と連邦宙域との境目あたりで捕捉される可能性があります。」
「で、第2打撃群のネール准将には連絡したのかね?」
「第2打撃群の話では、こちらの宙域へは最大戦速で向かうが、5時間程度かかるとの事で、司令部と調整の上でこのホライズンⅢで対応をとのことでした」
「ムゥ…」
表情は面倒がっている。
「そのため、本艇の対応についてご指示頂きたく連絡を差し上げました」
「中尉…、そのプレジャーボートはまだ、連邦宙域にまで到達しとらんのだろう?」
大佐の眉間のシワが更に濃くなった。
「はぁ?!」
ウエモト中尉は多少困惑した表情で尋ねた。相手の意図が測りかねるからだ。
「連邦宙域に”到達したら安全確認の上、規定上の取り扱いをすればよい”のではないか?…」
明らかに嫌がっている顔が応える。なるほどそういう意味かとウエモト中尉は合点がいった。判らなくはないがエリート軍官僚に有りがちな発言だと言える。微妙な判断の責任を負うのが嫌なのだ。判断によっては前途洋々であるはずの出世に支障をきたす。確かに規定では、亡命者に関して、”連邦宙域内に達した同盟人民が亡命の意思を示した時”となっている。が、ここには明確な国境ラインはなく、「阿吽の呼吸」の宙域なのだ。現場はそれほど簡単なものではない。同盟側も軍高官の亡命希望者を「さぁどうぞ」と言って、手を振りながら無事通過させるほどお人好しではないだろう。一般市民ではないのだ。軍事上の機密情報を持っているかも知れない。停船に従わなければ、破壊することも十分考えられる。一方で、そもそも地球による支配の呪縛からの開放を謳って火星連邦を設立した経緯を考えると、その憲章にあるように「政治的拘束を逃れて火星連邦へ至るものへの制限なき支援」は”国是”なのだ。見捨てることは建前上難しい。とは云え亡命希望者救済のために、この艇がすぐさま同盟哨戒艦との間に割って入ることも自殺行為だ。あくまでここは「阿吽の呼吸」の宙域なのだ。こちらが先に越境したとして、協定違反を主張され外交上のカードにされる恐れがある。その上一歩間違えば、これをきっかけに彼我の戦闘が起こる可能性も否定できない。その際、まともにやりあえばハチドリはテッポウウオの敵ではない。
「しかしながら…」
とウエモト中尉が説明を続けようとしたところで、フック大佐の強い言葉が割り込んだ。
「中尉、こちらでは情報が不足してよく分からんのだよ。現場のことは状況の変化を踏まえ、臨機応変に対応する必要がある。緊急かつ重大であればなおさらだ。そのために君が指揮官としてそこに居るんだろう?! それが君に任せられた責務だ。ただし、明確な規定があるのだから、規定に従って対応してもらえば良い。決して逸脱する事の無いように。以上だ!」
「善きに計らえ」、か…。案の定、彼らの頭は自らの責任を回避しつつ、何かを指示したかのような発言が咄嗟に出る程度にはクレバーにできている。
「…了解しました」
ウエモト中尉は徐ろに通信スイッチを切った。
「”指揮官”ですかぁ…。任されている権限は、せいぜい釣り船の船長くらいですけど。ね、私の言った通り聞くだけ無駄だったでしょう!?。あの『任せる』が曲者で、失敗すれば『本部の指示に従わなかった現場の暴発』で、上手く行けば『適切な指示をした俺の成果』ということですよ。『貴様ら現場は俺のようなダイヤモンドを傷つけるな』ってとこですからね」
キャンベル少尉は艇員に向き直ったウエモト中尉を見て自嘲的に言った。
「まあね。でもダイヤモンドにはダイヤモンドの言い分があるんだよ、…多分。ネガティブに捉えれば少尉の言う通りだろうけどね。見方を変えれば、これで一定の範囲内で自由に行動できるお墨付きが貰えたということだよ。翻訳すれば、亡命者を救出するために目に見える努力と行動はしろということだが、くれぐれも敵さんと正面切って揉めるなということで、その上亡命者を安全に引き取れればなお宜しいって事だからね。でも…、困ったねぇ」
心中は測りかねるものの、ウエモト中尉はニコニコと笑いながら相変わらず頭を掻いている。
「で、中尉、どうします? フック大佐からの超難問に正解を出さず、ここで黙って事が過ぎ去るのを待ちますか? まあ悪くない答えですけど…。それとも司令部の目覚ましついでに、虎の子の対艦ミサイルをぶっ放しますか? 射程ギリギリからでもテッポウウオのケツに蹴りを入れる自信はありますけど」
キム少尉が言うように、この艇にはCIWSと呼ばれる近接戦闘用の機関砲とレーザー砲各一機の他に、前方の発射口から放つことのできる小型の対艦ミサイルが2本積載されている。最大射程なら途中から赤外線追尾に切り替わるが、近距離なら無線誘導弾となる。近接した距離から狙えばキム少尉の腕なら外すことはあるまい。後ろ向きのテッポウウオが相手なら航行不能にくらいはできるはずだ。
「おいおい、レディーがお下品な…。私は物騒なことは一番嫌いなんだよ。なるだけ穏便に済ませたいんだ。面倒事が多くなるからね。それにしても、困ったねぇ…」
ウエモト中尉は、下がった眉に薄っすらと笑いを浮かべながらライス上等兵が持ってきたコーヒーを左手で啜っている。が、鋭い眼光は前面のモニターに注がれたままだ。暫くして頭を掻いていた右手が止まった。


 「さてと…。そうだなぁ。キム少尉、ご希望のテッポウウオではなくて悪いんだが、あの右上にある浮遊小惑星に、うちの迎撃ミサイルを撃てるだろうか?」
確かに前面モニターの右上部には補助線に「3キロメートル先小惑星」と表示してある”点”が写っている。大きさは直径100メートル程度のほぼ球状とある。
「わけないですけど…、良いんですか? 撃つのは容易いですが、うちの”花火”でも粉々になっちゃいますよ。『ライス大佐の頭』だと思えば、憂さ晴らしにはちょうど良いでしょうけど…」
「いや、『ライス大佐の頭』を粉々にしちゃ拙いよ。信管は外して打ち込んでもらいたいんだ。エミーに計算してもらうけど、その指示どおり正確にお願いしたい。あの小惑星に一役買ってもらいたいからね。あの富裕小惑星をビリヤードの玉に見立て、キュー代わりにミサイルを打ち込んで、とある位置に送り込んでほしいんだ。それも不自然にならないような速度で!」 
「ほう?! それで?」
P.D.キムのグリーンの瞳が光った。因みにP.D.という渾名は情報の収集分析が得意というだけではなく、彼女が愛してやまないハードボイルド小説の大古典に登場する私立探偵「フィリップ・マーロウ」から来ており、この私立探偵は、彼女からすると「常に銃を携行しているが、めったに撃つことがない。つまり撃つべき時と場所を心得ている射撃の名手」なんだそうだ。ついでに言うと名言を吐く格好の良いオヤジでもあるらしい。
「つまりね、しばらくするとテッポウウオがプレジャーボートを電磁砲射程圏内に追い詰めることになる。そのタイミングで、ほぼ両者の中間点へ『ライス大佐の頭』を押し込みたいんだ。それもプレジャーボート最接近で。そうすると、プレジャーボートはあれを盾に使おうとするだろうし、テッポウウオはそれこそ『ライス大佐の頭』を破砕するか、回り込んでボートを追おうとするだろう。次の一撃まで最低でも30秒程度は稼げる。30秒あれば、曖昧な宙域を脱して確実にこちら側の宙域に入り込めると思うんだ」
「撃つのは不発弾ですか……」
落胆した表情で応えるキム少尉にウエモト中尉は慰めるように言った。
「まあね、ミサイルはもう一発あるから、まだまだP.D.キムの出番はあるさ」
「でも、プレジャーボートがギリギリこちら側に入り込んだとして、敵さんがラインを無視して電磁砲を打ち込まない保証はないですよ」
キャンベル少尉が異を唱えた。
「そこで、キャンベル少尉の出番なんだ。キム少尉があの小惑星を突っついたら、境界域にある”この”ポイントに急行してもらいたい」
ウエモト中尉がレーザーポインターで前面モニターの左側を指した。
「ここに、縦径5キロメートルほどの少し傾斜した”さつまいも”みたいな小惑星があるだろう?! この裏側を回り込んでもらいたいんだ。それも、さっきの小惑星が両者の間を横切ると同時で」
「あっ、そうか。そのタイミングで”さつまいも”の向こうへゆくと、丁度テッポウウオを斜め下から眺める事ができるということですね」
「そう。この場所は『阿吽の呼吸』域を少し外れて、ギリギリだけど明らかに連邦の境界内だから、我々が航行していても問題がないよね。テッポウウオも自身の背後に、敵の艦艇がひょっこりと現れると気味が悪いだろう? それで、電磁砲の発射を思いとどまって、プレジャーボートを諦めてくれるんじゃないかと思うんだ」
「まあ、中尉の思い通りになるかどうかは判りませんが…。理屈上は有りえますけどね…」
中空に両手で”さつまいも”を挟んだ双方の位置関係を何度か描きながらキャンベル少尉が思案顔でブツブツと呟いている。
「やれる?」
ウエモト中尉が悪戯っぽくキャンベル少尉の顔を覗き込む。
「まあ、簡単じゃないですが…。出来ない事もないです。てか、やれということですよね…。了解しました。その代わり…」
「その代わり?」
「やり方は、この二人のパイロットにお任せください」
キャンベル少尉はスチュワート伍長の肩を叩いて二言三言呟いた。そして振り返って艇員を一望すると、ハンドマイクを持つような素振りをして一礼する。
「乗客の皆様!この艇はこれから多少条件の悪い宙域を通過いたしますので左右上下に揺れることがあります。席に深く腰を掛け、シートベルトはしっかりとお締めくださいませ。」
そしてニッコリ笑うと操縦卓に向き直った。


 キム少尉が小さな惑星に信管を外したミサイルを発射すると、キャンベル少尉に指示されたスチュワート伍長が操縦桿を左に取る。と、同時に推進エンジンが唸りを上げた。モニターに映し出されるミサイルが見る見る遠ざかっていく。一方ハチドリのスピード上昇に従って身体はシートに深く押し沈められる。暫くして前面大型モニターが切り替わり、かの浮遊小惑星が徐ろに動き出したのが見て取れた。キム少尉が右手の親指を立てて振り返ると、エミーがそれに合わせてアナウンスする。
「小惑星が予定航路を取りました」
「ありがとう、キム少尉。エミー、監視を続けてくれ」
ウエモト中尉は相変わらず前面モニターを見つめながら右手で頭を掻いている。
「ぼちぼちとテッポウウオのレーダーにも我々の姿がはっきりと写っている頃だろうね。さぁて、これからはこっちの思い通りに奴さんらが追っかけっこを続けてくれるかどうかだけど…」
「プレジャーボートはなるべく直線でこっちの領域へ入ろうとするでしょうし、テッポウウオは、最悪の場合に備えて電磁砲を有効に使いたいから、チェスのナイトのように動ことはないと思うんですけど…」
ウエモト中尉の言葉をキャンベル少尉が引き継ぐ。
「まあ、余り希望的な推測の上で作戦を考えない方が良いかもね。人間は往々にして自分の『ありたい』希望を相手も共有していると考えがちなんだ。過去の戦史でも自方を勝たせんがため、精神論を掲げて砲弾命中率を自軍に有利となるように入れ替えて演習を行い、その結果を踏まえて現実の戦闘を行って大敗した例が沢山記録されているからね。相手のあるがままを踏まえた、「かもしれない」を頭の中に入れながら、それこそ大佐のご指示にあったように臨機応変に対応といこう!」
ウエモト中尉が両手を頭の後ろで組みながら言った。身体が受ける圧迫感から、相当な速度で航行中であることは判るが、前面モニターに映し出される映像は相変わらずほとんど暗闇の世界だ。
 因みに、レーザー砲等の盾として開発された電子シールドがそれだけでなく、宇宙空間に放出される電磁波等からコロニーや艦船、それに人間を始めとする生物を守っているように、重力と時空間の歪みとの関係を基に発明された重力調整装置は、人類の地球外居住を著しく快適なものにした。それまでは、例えば月面基地や当時の火星基地など、地球と異なる重力環境下では、活動における制約もそうだが、人間そのものの発生、生育、成長などにも少なからぬ影響を及ぼし、それに起因した新たな病気が発生したりもした。しかし、この重力調整装置のお陰で、多少擬似的な要素はあるものの、今ではその影響下にある場所はどこでも、地球という惑星上とほぼ変わらぬ活動や成長が可能となっている。その恩恵は惑星間を結ぶ艦船にも及んでおり、このホライズンⅢの艇内も例外ではない。ウエモト中尉がマグカップから美味くもない出涸らしコーヒーを飲めるのもこの装置のおかげなのである。ただ、この装置も万能ではなく、装置外との関係で生じる遠心力などの影響は完全に排除できないでいる。


 航行を続けながら、ホライズンⅢはプレジャーボートに向けて「緊急通信」を受信したことや、亡命受諾のためには「火星連邦空域への到達」が必須の条件であり、到達目標地点は”浮遊移動”している小惑星の近辺であること、また到達したらホライズンⅢが安全を確保することなどを何度も発信した。
その声が艇内にも流れている。
「テッポウウオの方にも聞こえているでしょうね。敵さんからすると、『ハチドリ如きがこのテッポウウオ相手に”安全確保”なんて大言壮語してやがる』って呆れているでしょうけど」
「まあね…。『あいや待たれい!』とこっちが両手広げて立ちはだかっても、一瞬で土手っ腹に風穴開けられるのが関の山だからね。ついでにプレジャーボートも切り裂かれかねないから…」
キャンベル少尉の言葉に中尉が笑いながら応えた。
相変わらず、ホライズンⅢは前面大型モニターに投影されたテッポウウオとプレジャーボート、それにこのハチドリの三者が”落ち合うはず”の宙域へそれぞれの想いを乗せて疾走している。
「さあ、もうすぐすると、みんなの腕の見せ処がやってくるんだけど、準備は大丈夫かな?」
「ステュアート伍長、キム少尉、それにエミーとの打ち合わせは終っていますし、シミュレーターによるリハーサルも上手くいきました。あとは出演俳優が大根じゃなければ大丈夫…、ですけど…」
ウエモト中尉を見てキャンベル少尉が微笑んだ。
「じゃ、エミー、そろそろ行こうか!」
「了解しました!」
エミーの声とともに前面の大型モニターの片隅でカウントダウンが始まった。
「10、9、8、7…」
11人の鼓動がエミーのカウントダウンの声にシンクロしていくように脈打っている。
「3,2,1,0」
徐ろに、送信マイクのスイッチを入れたウエモト中尉は、落ち着いた口ぶりで先程のアナウンスを繰り返した。
「地球同盟宇宙軍統合作戦総監部テーラー大佐、こちらは火星連邦軍スモールビターⅡ所属ホライズンⅢの艇長ウエモト中尉です。貴官が発信された『亡命申請』は受信され、スモールビターⅡ本部により正当なものと確認されました。ただ、最終の亡命受諾にはまず火星連邦の宙域へ到達する必要があります。本艇は貴官及び同乗者の安全を確保すべく、先程から発信している地点に急行中です。現在の進行方向を維持して下さい。また、現在、本宙域を哨戒回遊しております連邦軍第三宙域第2打撃群の本体も、こちらへ急行しております。」
ウエモト中尉が一気に捲し立てる。
「繰り返します……、こちらは…」
 その時、突然、CIC兼艦橋内の推進表示が点滅し始め、艇内に警報が鳴り響いた。
「どうした!」
「左推進エンジン故障!出力制御ができません!」
中尉の声にエミーが叫ぶ。
「姿勢制御噴射に異常!」
ステュアート伍長も続く。
「艇長!航行制御ができません! 現在、予定航路を左舷方向に2度外れています!」
キャンベル少尉がウエモト中尉を振り返る。室内に緊張の声が走った。
「機関班、至急故障箇所の調査、修理を進めよ! キャンベル少尉は現状遺された制御方法で元の航路へ復帰できるよう最大限の努力を!」
中尉は艇内への指示をしながら、通信のマイクを握った。
「テーラー大佐、本艇ではただ今推進機関の故障が発生しまして、鋭意修復中です!なぁに、大したことは有りません、ご安心を! 若干の遅延が発生するかも知れませんが、十分間に合います。予定地点でのランデブーは現時点で変更ありません!」
「ウエモト中尉、貴艇の状況は、そちらのマイクを通してこちらも把握しているが、我が方も同盟軍からの追跡を受けており、極めて危険な状況である。最大限の努力をお願いする!」
「了解! 速やかに修復し、そちらへ向かいます!!」
 薄暗いランプがCIC兼艦橋内を照らす中、点滅する表示パネルの間を駆け回る乗組員の叫びや緊迫した息遣い、動作音が、マイクを通してプレジャーボート内にも流れている。艇内は上を下への大騒動になっているようだ。当然、テッポウウオにも筒抜けになっているに違いない。
「進行方向に、浮遊小惑星あり! 回避できません!」
キャンベル少尉の絶叫が聞こえる。
その後ろには艇内外で発生したと思われる機械音や小爆発音も交じる。
「左舷回頭!前方小惑星回避!」
「回避します!!」
「艇長!舵が効きません!」
「左側面の制御エンジン最大加速せよ!!」
「制御不能!」
「あっ、ああぁ!!……」
絶叫とともに浮遊小惑星で爆発が起こり、閃光が宙域に広がった。
 テーラー大佐は、プレジャーボートの3次元レーダーを投写したスクリーンでその爆発を確認した。原因は不明だが、何らかの不具合が起こり、その結果、浮遊小惑星に激突するという悲劇に見舞われたのだろう。額に汗が流れ顔から血の気が引いていくのを感じる。後部座席では妻子が悲壮な顔で抱き合っている。頼みの綱だった連邦軍の哨戒艇は何らかの事故に巻き込まれたに違いない。秘密裏に把握した連邦軍の定期警戒に合わせて出発したのだが、この状況では彼らの援助は期待薄だろう。それどころか、あの小惑星との衝突状況からみると彼ら自身の生存も見込めない。結局自らの道は自らで切り開くしか無いのかも知れない…。
 1年前に地球同盟「ラージビターⅡ」に赴任した時には思いもよらなかった事態だった。地方軍作戦本部警備部次長として勢い込んで赴任した「ラージビターⅡ」は、想像以上に腐敗していた。兵站を担う輸送管理部はそもそも民間会社との関係が深く、癒着や横領などが起きやすい体質ではあったが、ここでは部長以下幹部が調達先の民間会社と癒着して私腹を肥やす状況が何年にも亘って続いていたのだ。テーラー大佐は、その噂を掴んだ地球同盟軍本部から送り込まれたのだが、それが今迄噂止まりで、外に漏れていなかったのは、その”中枢”も毒されていたためであった。
 テーラー大佐は着任早々、この噂の真相にメスを入れるべく調査を始めたのだが、腐敗の深度は極めて深く一部の警備部員も取り込まれている状況だった。誰が取り込まれており、誰が取り込まれていないのか、疑心暗鬼の中で、数少ない信頼できる部下とともに不眠不休で集めた証拠を取りまとめ、報告書として部長に提出したのが半年前だった。部長のユン少将は大いに驚愕の表情を示し、至急司令官であるムハンマド中将と協議して、同盟本部とともに対応すると約束した。しかし、一向に事態の変化が見られないまま時間だけが過ぎ去っていった。そんな中、信頼できる部下が次々と不審な事故にあったり、病に臥せって死亡したり重症となるものも出てきた。また、その影響を受けての緊急配置転換で、更に遠方へ異動させられたものもあった。そして気がつくと味方がほんの数人という状態になってしまっていた。加えて直接自身の身の回りに異変が生じ始めることになる。家に発信元不明の無言電話が頻発したり、本人だけでなく家族も外出中に誰かに監視されていると感じられる場面にしばしば出会した。正体不明の車に煽られてもう少しで交通事故に遭遇するといった状況に陥ったりもした。子供たちは恐怖に震え、妻はノイローゼになりそうになっていた。
 思い余って、ユン少将に事の次第を申し出て、調査の状況が漏れているかも知れないと伝えた。また、必要があれば大佐本人が同盟軍本部へ直接出向いて状況を説明するとも話した。心配顔のユン少将は一々頷き、取り敢えず警備員を配置する旨の回答をしたが、執務室を退出するテーラー大佐に向かって投げかけられたつぶやきとも知れぬ言葉は彼を恐怖させた。
「泥棒を引っ括るはずの縄が、勢い余って自分の首に巻き付いていることもあるんだよ、大佐。ご家族を大切にな」
 味方がいないどころか、命の危機を感じた瞬間だった。
迂闊だった。腐敗が中枢の一部に及んでいるのではなく、元凶は中枢そのものだったのだ。そして振り返れば自身は辺境という小さな城の中で執行待ちの死刑囚となっていたのだ。
 
 それからは時間との勝負だった。悟られぬよう数少ないコネクションを活用して中古のプレジャーボートを入手し、信頼できる部下の手を借りて改造した。プレジャーボートは、「ラージビターⅡ」の回りに周遊させている人工のリゾート衛星への往復によく使われているもので、元は高速性もなく、大人数が利用できるものでもない。ましてや越境のために利用されるとは夢にも思われないであろう。監督官庁へ偽の申請書を提出して家族ともども民間港を出港したのが半日前。短時間の超高速航行を何度も挟みながら、ひたすら連邦宙域を目指した。
 幸い同盟軍の哨戒艦に発見されるのが遅かった事と、改造を施してもらったこのプレジャーボートの優秀なエンジンのお陰で、あと僅かで連邦宙域へと入ることができる所まで来た。ただ、追跡してくる哨戒艦はユン少将の命令を直接受けている可能性もある。気を抜くわけにはいかない。捕まれば…、いやもしそうなら、捕まえる前に電磁砲の射程距離に入った途端、破壊され宇宙の塵となるだろう。事故に見舞われた連邦の艦艇には申し訳ないが、こちらに向けて急行しているという連邦の第2打撃群本体と合流を急ぐ必要がある。調査報告書の写しは、連邦にとっては大きな”土産”になるわけではないだろうが、使い方によっては交渉カードの一枚くらいにはなるだろう。大佐は後ろの家族を一瞬振り向くと、意を決して操縦桿を強く握り直した。
 3次元レーダーには後ろから近づいてくるテッポウウオの機影が見える。もうすぐ電磁砲の射程圏内に入るだろう。と言ってもこのボートも限界だ。フルスロットルで航行するエンジンが悲鳴を上げ始めている。これ以上超高速航行を行いボートに無理をさせると、逃げ切るどころかボートのエンジンが爆発して自滅しかねない。万事休すかと思った時、前面モニターに浮遊小惑星が写り込んだ。少しづつこちらに向かって進んでいるようだ。この浮遊小惑星を盾にして回り込めば、少しは時間が稼げそうだ。上手く行けばなんとか連邦宙域に飛び込める。大佐は軽く頷くと、操縦桿を少しづつ右に倒していった。


 その頃ホライズンⅢの艇内では、”さつまいも”の表面に2発目の対艦ミサイルを打ち込んだキム少尉が、艇員からの拍手を浴びていた。ホライズンⅢは、追いかけっこをしている二隻の艦船から隠れるように”さつまいも”を挟んだ対角線上を航行していた。因みに、ホライズンⅢはミサイル発射と同時に電磁シールドを外し、推進エンジンを切って慣性航法に切り替え、ステルス性を確保しながら隠密航行している。電磁シールドを外すと、突然の攻撃や浮遊するデブリとの衝突など不測の事態には対応しづらくなるが、反対側で追いかけっこを繰り広げる2つの艦船からは、制御用エンジンのみのホライズンⅢはほとんど見えず、打ち出されたミサイルをホライズンⅢと誤認しているはずだ。
「ちょっと、花火がしょぼかったですかねぇ…」
キム少尉がキャンベル少尉に話しかけた。
「いや。中尉以下出演俳優の名演技で、その辺りはカバーできてるんじゃないの?!」
キャンベル少尉はニヤニヤしながら答えたが操縦卓から目を離さない。
「さて、お褒めを頂いた学芸会も第一幕が終わったので、あとはキャンベル少尉のお手並み拝見といこうかな?!」
ウエモト中尉は操縦桿を握るキャンベル少尉に声を掛けて、飲み干したコーヒーカップを机の上に置いた。
「もうすぐ、トムとジェリーはこちらから見て”さつまいも”の右側の宙域へ入ってきます。こちらもそれに合わせて、さつまいもの反対側をぐるっと廻るコースに入ります。ただ、エンジンを再始動して普通に旋回すると、お客さんが手品に驚く前にネタバレするので、少しトリッキーな技を使いますから、お覚悟を!」
キャンベル少尉はニヤリと笑って、横に座るスチュワート伍長に目配せした。
スチュワート伍長が推進エンジンに点火して一気に最大速に上げる。前面モニターに映るさつまいもがぐんぐんと近づいてきた。操縦桿を少しずつ右に切る。ホライズンⅢは正面に見えていた浮遊小惑星をやや右舷に見るように旋回を始めた。
次の瞬間、キャンベル少尉が、アンカー射出ボタンを押した。
小さな電磁砲と同様のシステムで、ギュイーンとハチドリの舳先からワイヤーが繰り出される。次の瞬間、浮遊小惑星にアンカーがめり込んだ。
「エンジン停止!!」
キャンベルの声にスチュワート伍長が推進エンジンの出力を一気に下げた。強い遠心力に艇内の壁面がガタガタと悲鳴を上げた。安全ベルトを締めた艇員も大きく右に振られる。中尉の卓にあったコーヒーカップが右壁面に飛んで粉々になって砕けた。警報音がけたたましく鳴り響いている。
「アンカー切り離し!! 姿勢制御しろ!!」
緊急の際に、アンカーワイヤーを切り離す赤ボタンを押して叫ぶキャンベル少尉に、スチュワート伍長が操縦桿で応える。アンカーとこの艇を繋いでいたワイヤーが大きく撓んで弾けるように切り離された。艇内にワイヤー巻き上げ機から切り離されたワイヤーが射出口に擦れる高い金属音が響く。一瞬重力の呪縛を外れた艇員たちが、今度は逆に左に激しく振り戻された。机上のモニターの映像も識別できないほど乱れている。そして次の瞬間、ガクンという衝撃があって、ホライズンⅢは停止した。
 皆が俯いていた顔を上げ大きく息を吐いた瞬間、前面大型モニターには、砲門を開いたばかりのテッポウウオの”尾びれ”を、斜め下から眺める映像が映し出されていた。
ハチドリがテッポウウオを捉えたのだ。
「ブラボー!!!!」
ウエモト中尉が手を叩きながら引きつった笑いとも恐怖ともとれそうな顔で言った。
「エミー、全回線を開いて相手方に繋いでおくれ。それとキム少尉、合図したらこちらの砲門も開いてくれる?」
「もう花火は一発も残ってませんけど?!…」
えっ?という表情でキム少尉がマイクを持って立ち上がったウエモト中尉を見上げた。
「いや、良いんだ。敵さんは混乱しているから多分わかんないよ。で、ここからが主演男優の見せ場だし…」
ウエモト中尉はマイクをトントンと叩くと声を張った。
「地球同盟軍の艦艇に告げる!こちらは、火星連邦軍スモールビターⅡ、第2打撃群所属のホライズンⅢの艇長、ウエモト中尉である!君たちは只今協定によって定められた境界を越境して火星連邦宙域に侵入している。直ちに退去されたい!!退去しない場合は、こちらとしても相応の対応を取らざるを得ない!」
ここでウエモト中尉は言葉を一旦切って一呼吸置いた。
 相手からの返事がない。しかたなくウエモト中尉は人差し指を伸ばしてキム少尉にサインを送った。ホライズンⅢ前面にある2つの砲門が徐ろに開く。キム少尉がテッポウウオの主エンジンに照準を合わせてレーザーを照射した。しかし残念ながら発射するミサイルは一発も残っていない。艇内に緊張が走る。両者の距離からして、相手がブラフに気づいて反転攻勢に出れば逃げ道はないのだ…。
「まあねぇ、正直、この場であんまりドンパチはやりたくないんですよ。後々面倒くさいですからね。取り敢えず今回は勝負あったということで、引き下がって頂けないでしょうかねぇ。お宅だけじゃなく、うちにも引き金を引きたがってウズウズしてる跳ねっ返り娘がいるんで、そうして頂けると私としてはとても有り難い…」
突然トーンを変えてマイクに向かうウエモト中尉の言葉に艇内では忍び笑いが漏れた。キム少尉一人だけが拗ねた表情でプイと顔を背けている。
 速度を落としていたテッポウウオは停止したが、沈黙と緊張が回す秒針の動きは遅い。永久かと思われる十秒ほどの時間がこの宙域に流れた。
 暫くすると、テッポウウオは砲門を閉じ、こちらの様子を伺うようにゆっくりと離れていった。エミーがテッポウウオの電子機器から発せられる信号を捉えているが、戦闘態勢を取り直している様子はない。
「ようし、相手との間合いを計りながらこっちもこの宙域を外れるよ!」
ウエモト中尉は大きく息を吐き、キム少尉に砲門を閉じさせるとともにキャンベル少尉に離脱の指示をした。
両艦艇は、微妙な間合いを取りながら徐々にそれぞれの宙域へと別れていった。


 ホライズンⅢは、テッポウウオが「阿吽の呼吸」エリアを超えて同盟宙域に入ったことを確認して、テーラー大佐のプレジャーボートに追いついたのはそれから10分後だった。モニター越しに一通りの挨拶を行ったが、小さなこの2隻には渡船機能がないので、ホライズンⅢが前になり誘導する形で、第2打撃群とのランデブーポイントへ向かうことになった。
 第2打撃群旗艦「ギャラクシウス」はミサイル巡洋艦4隻、超高装甲駆逐艦8隻そしてホライズンⅢと同様の索敵偵察艇5隻、及び大型補給艦2隻を従えた母船型の戦艦で、船内部にも陸戦用の兵員や兵器を移送するための高装甲揚陸艇50隻、高速ミサイル艇50隻及び連絡艇数隻を抱えている。病院機能を支える医師、看護婦なども相当数おり、総勢は50,000人を超える。そしてこれが連邦において1打撃群と位置づけられているのだ。通常は、この打撃群1つが通称「艦隊」と呼ばれる1戦闘単位であり、戦域の広狭によりこの打撃群が2~3個集まって「軍」を構築する。第2打撃群が所属する第3宙域方面隊は、アステロイドベルトの”内側”の分割宙域を担当範囲として、総勢9個打撃群で構成されている。ホライズンⅢはこの第2打撃群の索敵偵察艇であり、プレジャーボートはこのギャラクシウスの体内に一旦収容される事になった。
 テーラー大佐の家族は、健康状態の検査を受けるべく病院に送致されたが、本人にはギャラクシウス内の警備本部に連行され、改めての亡命意思確認と、一通りの取り調べが行われた。このため、ウエモト中尉とテーラー大佐が、司令官応接室において、対面で握手ができたのは収容から2日後となった。その後、テーラー大佐一家は、超高張鋼装甲駆逐艦「ハルマキス」によりスモールビターⅡへと移送された。


 4ヶ月後、ウエモト”大尉”とキャンベル”中尉”は、スモールビターⅡの軍基地内にあるバー「ルビコン」のカウンター席にいた。磨き上げられた天然マホガニーが美しい。二人は、今回の一件によりそれぞれ一階級昇進したのだ。
「おめでとう、キャンベル中尉!」
「ウエモト大尉こそ。でも正直言って僕は”星”の数が一つ増えてもあまり有り難くはないですね。まあ、給料が多少でも上がるのは嬉しいですけどね、こんな風に普段は口にできないウイスキーでお祝いができますから…」
二人は23年ものの「ヒマラヤ」が注がれたグラスを合わせた。
「でも大尉、僕の言ったとおりでしょう?!今回の件は我々もまあ単なる”ラッキーストライク”だったんですけど、フック大佐は特に何の関係もないのに上層部に自身の功を吹聴しまくって、見事准将に昇進したんですよ。トンビに油揚げさらわれるってこのことですよ。悔しくないんっすか?!」
口をとがらせるキャンベル中佐にウエモト大尉はニコニコと笑っている。
 実は、今回のテーラー大佐の亡命は、当初地球同盟内での贈収賄事件として、火星連邦内では対岸の火事を見物するといった感じで受け取られていたが、調査が進むにつれて火星連邦にも大いに飛び火する事になった。贈収賄の根の先が、火星連邦内にあるその民間企業の関連会社と火星連邦軍内にも及んでおり、管理輸送部隊の一部が幹部将校を含めて逮捕されるという事件に発展したのだ。その端緒となった亡命事件を適切に指揮した責任者として、フック大佐は准将へと昇進した。もっとも、この昇進にはその”功”を評価されたというより、”その後”の「舌技」の見事さの成せるところであるというのが、軍内スズメたち専らの評判であった。というのも、フック大佐は、亡命事件が成功裏に終わるやいなや、テーラー大佐来航前から入念な準備を行い、司令本部幹部総出の歓迎式をコーディネートし、マネージャのごとく常に彼の傍らに立ち、マスコミ対応も他者の手を借りず一手に引き受けるという、正に八面六臂の離れ業をこなした。そして、その口から出る言葉は常にウエモト中尉以下の”行動”を称賛する一方で、そのプランが自らの脳みその産物であるということを、そこはかとなく匂わすことを忘れなかった。軍内における汚職の一掃が可能となった際も、各方面からのインタビューに、明言することは避けたものの、自らのシナリオのとおりに事態が進んだとするような二アンスを付け加えた。その結果として、全体のストーリーが、この事件は、”すべてを知った”フック大佐が主導し、その手のひらの上で解決したというトーンで語られることになったのである。
「誰も傷つけなかったし、誰も傷つかなかったから良いんじゃないの?! 僕はね、いつも思ってるんだけど、『俺がやった、私がやったという話が数多く出てくる出来事は”成功”したんだ』って。だから、今回のことも上手く行って良かったなぁって思っている。昇給と言いうお溢れにも預かれたからね」
「でも、このシナリオを考えたのは大尉ですよ!」
「大筋ではね。だからといって、君たちみんなが細かいところを詰めて、上手くやり遂げてくれなかったら、成功なんて覚束なかったんじゃないかなぁ。僕は臆病者で、『悪知恵』を働かせただけだから…。」
「お人好しだなぁ…。そんなんだから、彼女が出来ないんですよ!」
「おいおい!それとこれとは話が違うんじゃない?! 彼女が出来ないのは事実だから反論はしないけど…」
ウエモト大尉は苦笑した。
「そう言えば、キャンベル中尉。あの”さつまいも”へアンカーを打ち込んで反対側に回り込む案は最初から考えてたの? お陰でお気に入りのマグカップは粉々になっちゃったけど…」
「嫌だなぁ…。まだ言いますかね、この人は?! あの時は最初エミーの指示通りに姿勢制御装置だけを使って迂回する予定だったんですよ。ただね、何となく違和感があったんです。あのまま行くと回り込むまでに数秒、奴らのレーダーに引っかかるんですよ。その数秒が命取りになるって…。 僕の”野生”が呟いたんですよ。 で、気がついたら、押してました!」
キャンベル中尉はマスターに目でオンザロックのおかわりお願いしながら、当時の様子を思い出すように言った。深緑のボトルからコルクの栓が抜かれるキュッという音がして、辺りに芳醇な香りが漂う。マスターが慣れた手つきでボトルを傾けると、コクッコクッという音楽が奏でられ、貴重なマホガニー製一枚板で出来たカウンターに置かれた、グラスが琥珀の液体で満たされる。
「凄いね!野生が呟くかぁ…」
ウエモト大尉は、昼光色のランプに薄くなったグラスを翳しながら感心している。
「ところで、大尉の転属先は決まったんですか? 僕は何の因果か、このままホライズンⅢでP.D.キムのお守りが続きますけど…」
「ハハハ…、お守りかぁ…。新艇長!あとはよろしく! 私も内示はもらったよ。第1打撃群の超高張鋼装甲駆逐艦『ムラサメ』の副艦長だそうだ。でも、第1打撃群所属なんで、中尉とはお隣さんというところかな。スチュワート伍長は『曹錬成学校』に行くんだろう?若いのにあの度胸と思い切りは凄いからね。きっと良い下士官に、いや将校にもなると思うよ!」
「テーラー大佐はどうなるんですかね?」
キャンベル中尉の目が少し赤くなって、顔全体も紅潮してきている。
「今のところは”大佐待遇”の司令部付きだそうだ。司令部の顧問として、対同盟の作戦行動にアドバイスしているようだ。そのうちこちらの生活に慣れてきたら、正式に大佐任官して恐らく警備部に配属になると思う。経験を活かしてね。」
「ちょっと前だけなのに、あの日が懐かしいなぁ。あっ、そうだ!A.I.アシスタントの名前は決めましたよ」
「えっ! エミーじゃなくなるの?! エミーでいいじゃん!」
「嫌ですよ。艇長としての初仕事なんですから…。『サンディー』にしました。僕の小学校時代の彼女なんですよ! でも、みんなこれから、散り散りになっていくんですねぇ…、スチュワートも居なくなるし…、淋しいっすね…」
「ああ、そうだねぇ…。いつまでも一緒とは行かないさ。でもホライズンⅢの乗組員はとてもいい仲間だった…」
ウエモト大尉は、店を出るべく真っ赤になったキャンベル中尉を促して立とうとした。その時、カウベルが「カランッ!」と鳴って木製の大きなドアが開き、一人の女性が飛び込んできた。栗色のボブに深く大きい黒い瞳がキョロキョロと辺りを窺っている。
「あぁーっ! 私を放っておいてやっぱり二人で呑んでたんだ!」
二人を指差して現れたのは、膨れっ面がトレードマークのキム少尉だった。さっきまでスチュワート伍長の送別女子会をしていたところだと言う。順調に行けば、1年後にスチュワート伍長は、26歳の軍曹としてホライズンⅢに戻ってくることになる。呑み直しに「ルビコン」へと誘ったのだが、「あそこは将校だらけなんで…」と丁重に断られたらしい。連邦軍内では、「将校クラブ」といったような、娯楽スペースの将校とそれ以外との明確なエリア分けはないが、基地内にあるバーのうち、「ルビコン」は専ら将校連の御用達になっている。
それにしても、二人がシケ込んでる場所を嗅ぎつけるとは、P.D.キムの面目躍如と言ったところだろう。
「放っておいた、というわけではないんだけど…」
ウエモト大尉は右手で頭を掻きながら、少し困ったという顔になった。
「そうだぞ! 今日は来月からどう”じゃじゃ馬”を御すべきか、せ、先輩に”ごしろう”いたらいていたんだ!」
キャンベル中尉の呂律が少し怪しい。
「じゃじゃ馬って、『才気煥発の美人』の言い間違えじゃないですか?」
キム少尉は片目を閉じ、キャンベル中尉に向け拳銃を撃つ真似をした。
「まあまあまあ…」
ウエモト大尉は、頭を掻いていた右手で、キム少尉にカウンターチェアに掛けるよう促すと、自分も改めて赤い椅子に座り直した。気を利かせたマスターが2つのオンザロックと、1つのチェイサーを届けてくれる。

 気も遠くなるほど長い時間と果てしなく広がる宇宙の中で、ほんの一瞬だけ交差する今という「時」とここという「場所」…。ウエモト大尉はその刹那をこの仲間と過ごせる自分は本当に幸せだと思いながら、ヒマラヤの香りを楽しんでいた。
 


 

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