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自虐ナルシストは蝙蝠外交



妙晶は詐欺写が得意である。

それはもう、魔訶レベルに。



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※実物とイメージは異なる場合がございます。


デリヘルなら、全力で「チェンジ」を叫ばれる程度の巧さである。


しかし、写真に写るのが得意なわけではない。

詐欺写の骨は、あくまでも「補正」なのだ。


補正(ほせい)…足りないところを補って、誤りを正すこと。


その昔、妙晶は美人になろうと思った。

あることをきっかけに、「外見は力だ」と思い知ったからである。


「人間は中身が大切」

しかし、中身を見てもらえるのは外見の良い人間だけだった。


素敵なプレゼントも、ラッピングがちり紙では受け取ってすらもらえないだろう。

むしろ、相手が欲しくなるような努力もせず「中身は良いから」と押し付けるはただの我儘で怠慢に過ぎない。


だから、妙晶は人と生きる為に「美人になろう」と思った。


吐く言葉には、思わず耳を傾けたくなるように。

出遇う人には、仲良くなりたいと思われるように。


だから、先ず「美人とは」を考えた。

彼らと私の違いは何処にあるのか、何がそうさせているのか。


そうして行き着いた要素は「自信」だった。

世の「美人」と呼ばれる人は、自らを「美人だ」と思えている人たちだったのだ。


そう思い、そう振舞う。

すると次第に、周囲の人間もそう思い、そう扱うようになる。


宗教と同じだ。

ただの石ころを誰かが「神が宿る」と思い、そう扱う。

すると、その考えが伝染し、いつしかそれが皆の共通観念となる。


だから、私は思った。

『よし、教祖になろう』


目指すは「妙晶は美人」教の開祖様だ。

この人は美人だと思い、そう扱い、そう振舞おう。

教祖であると同時に第一信者でも在る、こりゃあ忙しくなるぞ。


しかし、簡単にはいかなかった。

長年掛けて刷り込んできた自己評価というか、自己肯定感というか、そんな価値観を覆すのに自己の意識は力不足だったのだ。


なにか外的な要因が必要だ…


そこで、「ポートレート写真」を撮ってもらおうと思った。

モデルみたいな気持ちで撮られまくったら、己を客観視しながら自分に自信を付けられるのではないか…と。


しかし、それは私には合わなかった。

受け入れたくない現実を突きつけられて、逆に自信を失った。


けれど、そこで新たな見地を得た。

ポートレートで撮ってもらった写真を見て、私はこう思ったのだ。


「なぜこの角度で撮った」「こっちからなら」「もっと、こう」


なるほど、私はこの素材を既に高く評価していたのだ。

自分の中での理想は既にあって、足りないのは目に映る実物とのすり合わせだけだったのである。


ならば、話は早い。


自撮ろう。



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※実物とイメージは異なる場合がございます。


納得のいくまで撮り直し、補正し、奇跡の一枚を生み出す。

そして「あ、美人」と思う。


まんま「偶像崇拝」である。


そうして自撮り&補正テクを磨き、「美人である」という自信を割と順調に養っていった。

しかし、一抹の不安が頭をよぎる。


『勘違いブスになってるんじゃ…』


それはいかん。それはイタイ。

ちょっ…え、違うよね?


由々しき事態である。

早急に解決せねば。


そこで、次は『勘違いブス』というモノについて考えた。

なぜ『勘違いブス』は『美人』たりえないのか。


自分に自信があり、そう振舞っている。

しかし、周囲にはそう扱われない。

なぜか。


答えは「勘違い」だからである。

本人の中での「理想」と他者に共有されている「現実」が乖離しすぎているのだ。


なるほど、それはイタイ。とてもイタイ。

アイタタタタタタ。


理想を描き、それを軸に自信という名の安心を得ることは有用だ。

しかし、それだけではいけない。


真に「妙晶は美人」教を成立させるには、理想に向かって「補正」をする中で、現実との差異を受け止め、自己を反省する必要もあったのである。


「美人だ」という自信は持とう。

しかし、それはあくまで「途中段階」として。


伸びしろを自分で失ってはいけない。


「無慙愧は名づけて人とせず。」 by 親鸞



妙晶は詐欺写が得意である。

それはもう、魔訶レベルに。



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でも、だからこそ妙晶は自己の欠点に詳しい。

それはもう、すべての人間が楊貴妃に見えるほど。


「本当の中道とは、真ん中に留まることではなく色んな立場を行ったり来たり出来る在り方のことなのかも知れない」


人間が美しさを知るには美醜の両方が必要である。

どちらか片側に依ってはいけない。


だからこそ、仏教は仏様の尊さと同時に人間の愚かさを説いたのかもしれないね。



詐欺写の妙晶は今日も美しい。

きっと明日はもっと美しいぞ。




ありがとう、だいすき。