にゃんたまと金玉
ある日のこと。
瓜さん(愛猫)が私の布団で寝ていた。
この姿を見て、私は思った。
「隠すところ間違ってない?」
しかし、次の瞬間にハッとした。
いや、違う。
本来、自身に隠すべき部分など無い。
瓜さんの一見エロ漫画に出てきそうなこのポーズも、恥ずかしいからではなく単純に部屋が眩しいとか、暑いとか、そんな理由なんだろう。
お顔もにゃんたまも等しく、彼にとってはただの「肉体」なんだ。
しかし、人間はどうだろう。
「猥褻物陳列罪」なんて言葉があるように、人は隠さなければならないものを抱えて生きている。
そして、それは身体にとどまらず、言動や制作物、他の生物にまで及び、日々増え続けている。
先日、TVを見ていたらネコさんのうんこにモザイクがかかっていた。驚いた。
ルールに頼り始めると、人は思考を放棄する。
ルールは独り立ちをはじめ、人を縛り付ける。
人の為のルールが、ルールの為の人になってしまう。
『聞思して遅慮することなかれ。』
最近「誹謗中傷する奴なんてクズだ」「同じ目に合わせてやれ」という意見をよく耳にした。
…その言葉は誹謗中傷じゃないのか。
ルールを破り「世間が悪とした人間には何をしても良い」という、その考えの恐ろしさ。
ルールや情報はあくまでも思考の素材であって、誰かの綴った言葉を鵜呑みにしては意味が無いのだ。
ルールではなく、それによって守ろうとした人の心に目を向けよう。
知らず知らずのうちに思考を放棄してしまう私たち。
聞いたら、考えよう。
呑み込んで、自分の足で歩みゆこう。
瓜さんのにゃんたまはお顔に等しくかわいい。
でも、人間の金玉はかわいくない。
にゃんたまと金玉の違いはどこにある?
ありがとう、だいすき。