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『妙晶はまだ25だから』


先日、取材を受けた。

Yahoo!ニュースにも取り上げてもらった。


今回、取材頂いた「bizSPA!フレッシュ」のメイン読者層は自分と同年代ということで、まぁ、そのつもりでツラツラとお喋りさせて頂いた。


とはいっても、同年代は個人的に一番関わりの少ない年代でもあって。

正直、何を話せば良いのか分からなかった。


今年に入って「U25最後の年だから」ということで、25歳以下のコミュニティへ顔を出したり若者向けのイベントや企画へ関わってみたり、色々してはみたのだけれど、いまいちどれもしっくりこなかった。


友人へそれを言うと「そらそうやろ、お前のメンタル長老やもん」と返ってきた。

…そうか。


しかし、今回の同年代へ向けて語った取材記事の完成原稿を読ませて頂いた時、「これは自分に向けて語られた言葉だ」と思った。


自分は同年代と比べたら精神的に大人なつもりだったし、そう在りたいと思ってた。

周囲にもそう言われることが多かったから、そうなれてると思ってた。


けど、同年代に向けて放った言葉が自分に刺さってしまった。

結局、年相応だったんだ。


職業柄か、私はこれまで「まだ若い」を悪い意味で使われることが多かった。


「まだ若い」から何も知らない

「まだ若い」から偉そうな口を叩くな


だから、年相応の自分を受け入れることが怖かった。

「もう若くない」「江戸時代なら初老」と言って、大人であることを強いていた。

むしろ、年齢・職業・性別不詳の謎仙人になりたいと思ってた。


でも、他者と対峙する以上「量られる」ことから抜け出すことは出来ない。

それが一般常識でなくとも、他者を認識したら無意識にでも各々の価値観から見てしまうのだ。

自分だってそう。


だから、もう諦めよう。

明らめて、受け入れよう。


「まだ若い」から何でも学べる

「まだ若い」から師を持てる


いま出来ないことを悔やむ前に、いま出来ることを悦ぼう。

甘えて、胸を借りて、実感と経験を以た等身大の人生を歩みゆこう。


without haste but without rest.


どうせ、出来ることしかできない私だ。

気楽にいこう。





ありがとう、だいすき。