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Xの夜回り先生になりたいけど

夜回り先生ってご存知ですかね?
十年ぐらい前はよくテレビに出られていた記憶があります。
水谷修先生という、夜の繁華街を自主的に廻り非行少年・少女に声をかけ続けた方。

そうしてついた異名が夜回り先生というわけです。
完全に余談ですが、昔付き合っていた彼女さんのお父さんにお会いしたら水谷先生激似でビビりちらかしたことがあります。
水谷先生、なかなかの強面ですので。

話を戻しますと、最近Xでしていた僕の行動って「これって夜回り先生じゃね?」
と勝手に思っていたのです。

ただのお節介なわけですけど、あまりに深刻な悩みを抱えているポストを見かけるとつい、自分なりに声をかけてしまうのです。
特に発達障害のお子様の育児で悩まれている親御さん方には、助言というより労いを心がけながら言葉を送っておりました。

そうすると、ときには長文で感謝のメッセージを返して下さる方もおられたりで、僕としても満更でもない気分になるわけです。
ささやかなつながりですが、僕の言葉ひとつで心が軽くなる方がおられるならそれもいいことだ、と。

行き場のないフラストレーションを抱えている相手を見つけては声をかける、こんなところが夜回り先生と重なる部分があるなと思った次第です。もちろん、質、量ともに本家の水谷先生には遠く及ばないわけですが。

フリーランスは時間の使い方が自由ですので。合間にこんな活動も良いな…と思ってたんですが。
予想していなかったわけではないんですが、やはりというか、自分の甘さも痛感しました。

やっぱりどんなに良かれと思ってかけた言葉でも、Xのような短文の世界だと齟齬が生じますよね。お互い顔も見えませんし。
別にはっきりとした苦情をもらったり、傷つけてしまったような様子を見かけたわけではありませんが…

愚かなことに、自分から声をかけておきながらモヤるのです。自爆です。
「正しく意図が伝わっただろうか」「かえって悩ませてしまったんじゃないか」

そんな風に考えてしまいます。そうして自分が不安に飲まれそうになります。
実際、言葉って時として凶器になりますしね。画面の向こうの方がどう思われたか、本当のところは確かめようがないのです。
人間って難しや。
いくら心理学を学んでも、対処法を知っていても、コントロールしきれないことってやっぱりあります。困難を緩和することはできますし、とても大切なことですけどね。

というわけで、あまりXをし過ぎるのも考えものだなと思い、距離を置きながらポストするようにしています。
ひとまずXは自重ですね。

もうちょっと自制できるようになってからとか、すごく心に余裕があるときとかに、ちょこちょことX上でお節介焼きをするかもしれませんが…。
するにしても、短文だとなおさら軽率な言葉がけにならないようにしなきゃなー、と思った今日この頃でした。


可能な限り低価格で各種相談サービスを継続し、悩める方々の助けになれたらと考えています。サポート頂けると本気で助かりますm(__)m