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参観日に思う事

先日、長男が唐突にひとつの動画のURLを送ってくれた。
海外の子供の動画で、なにかの発表会(お遊戯?)の際、ひとりの少女が観客の中から親の姿を見つけた後に、満面の笑みになった後、涙ぐむワンシーン。

見に来てくれた嬉しさと喜びで感極まってしまったのだろう。

それを見た長男が「タイムマシンがあるなら、小さい頃のオカンの子供の頃に行って、参観日とか見に行ってあげるのにな。小さい真乃は、なんだこいつって思うだろうけど、応援してるぞー!って見るのにな」って言ってくれた。
小さい頃に寂しかった私が未来にこんな風に寄りそってくれる存在に出会えると思えば、あの寂しさも拭われる。

生母を早くに亡くした私は、父とも一緒に暮らしてない時代が長かった。
その頃、祖母が見に来てくれていた。
出来の悪い孫だったから、祖母が自慢に思える事はなにもないし、
祖母自体、あっさりした人だったから「来いと言うから義務で来た」感しかなかった。

そして子供は自分の置かれた環境がすべてなので、
それを不服とも思わず、こういうものだ、と思って生きていた。

私はむしろ、行ってやれなかった参観日が後悔が多い。
次男の参観日はほとんど行ってやれてない。

うちは自営業で、義父母が経営している職場で働いている。
ちょうど、次男が小学生になった辺りで、私だけが雇われているパートになった。
私が休むと義母に負担がかかることになる。
最初の頃はそれでも学校を優先していたけれど、その都度、不機嫌になる義母の取り扱いがむずかしく、月に一度のペースである参観日は
「そんなにしょっちゅういかないといけないもの???」としか言われなくて、しぶしぶ回数を減らしていった。

次男も、聞き分けよく「別に母さん来なくても平気」とケロリと言うのでそれに甘えて来た。
年に数回、PTAの集まりなどがある時だけは欠かさず行く程度。

そうやって育った次男が、先日、最後の卒業をした。
もう二度と、参観日はない。

目立つのが苦手、成績はあまりいい方じゃない、天パのぽっちゃりの男の子だった次男。
いつの間にか自分の居場所を確立して、成績悪くてもバカにされない存在感を作り出して、コンプレックスの天パをなんとかしようと模索したら美容師目指してた。

その過程をもっとちゃんと見てやりたかった思うと、後悔しかない。
もちろん次男は、昔の私と一緒で
置かれた環境がすべてで
それを不服とも思わず、こういうものだ、と思ってくれてきた。
一度だって、「見に来てくれなくて寂しかった」なんて言われた事はない。

もしもタイムマシンがあるなら、子育てで取り戻せない事をたくさん拾って歩きたい。
感情のコントロールが出来なくてあたる様に叱って後で謝ったけど消せないあの日。
主人が行き過ぎてしつこく何時間も拘束して叱るのを止めようとして抗議したら言いくるめられて、結局助けてやれなかったあの日。

自分なりにベストは尽くしたつもりだけど、まだまだたくさん取りこぼしてきた。
ゲームみたいにリプレイ出来るなら宝のアイテムはあちこちに置き去りにしてきてるはずだ。

過去は変えられない。
未来に向かって行くしかない。
もう、子育ては終わったけど、ここから先、宝のアイテムをなるべく見つけていけるように。
後で「こうしておけばよかった」と思わないように。

人生は油性マジック。
消せないけれど、書く事だけは出来る。


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