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人の出会いと別れに思うこと 後編

弟と連絡を取らなくなって8年。
その間、子供たちはすくすくと成長し、それに伴い、両親はどんどん老いていった。

2年前の梅雨時期、家の中で派手に転んだ父が頭を強く打ちクモ膜下出血になった。
慌てて入院先に駆け込むと、父は意識はあるものの、心がここにない状態のようになり、ただ寝ているだけ。
母が気丈に看病をしていたが、自分がどこにいるのか、なんで入院しているのか、という疑問すら持たないほど、父は反応も言葉もなかった。

入院にあたって、同意書のサインがいるというのを、母は頑として弟に書かせると言って聞かなかった。
父は命に別状はない、と言われたものの、このまま何もわからなくなってしまうのならば、どちらも後悔しないためにも、今このタイミングで会うのは大切かもしれない。

弟は、誰もいないタイミングで病院を訪れ、お見舞いを置き、サインだけして立ち去った。
父だけは会えたが、きたことも覚えていなかった。
ありがとうという言葉と、父がご飯を食べている写真をLINEで弟に送ったが、既読になったのは翌日の昼だった。
これをきっかけに連絡を再開させるのは迷惑です、と言われている気がした。

弟はもういないものとして考えよう。
父にもしものことがあった時、母か私が喪主をしよう。
弟たちは来ないかもしれない。
もう縁は切れたものと思った方が楽かもしれない。
考えたら憂鬱になった。

母の看病も功を奏して、父はメキメキ元気になった。
すっかりボケてしまったけど、元から茶目っけたっぷりの性格のおかげで、みんなを笑顔にするひょうきんじいさんになった。
まともな頃なら寄り付きもしないであろうデイサービスへ元気に通って、みんなをからかい、あらゆることに得意気にチャレンジし、充実した日々を過ごしている。

そうして今年の10月30日。弟の誕生日。
私も「ああ、今日はあの子の誕生日だ。元気にしてるんだろうか」と口にまで出して主人に話した。
実家でも母も気になったらしく、とても久しぶりに電話をかけてみたらしい。
出なくてもいい。ちょっとだけ元気な声を聞きたい、と。

するとおもむろに弟はこう言ったらしい。
「母さん、今、家、部屋開いてる?離婚して帰ろうと思う」
もちろん、部屋は空いている。
翌日、軽自動車で三往復して弟は引っ越してきた。
帰る道すがら、地元で行われたイベントの最後を飾る花火があっちもこっちも打ち上がり、自分でも吹き出してしまったらしい。なんの祝いだよ、と。

コロナが少し終息している今のうち、と、私も約2年ぶりに里帰りをした。
父も母も思ったより老け込んではいなかった。
弟はとてもくたびれた顔で、少し寂しそうな顔つきで気まずそうにそこにいた。

母の用意してくれた手料理と、美味しいお酒を酌み交わしつつ、ボケてよくわかってないながらも、弟が嫁ちゃんと喧嘩してうちに転がり込んでいることだけは分かっている父に説明しつつも、楽しく美味しく大宴会をした。
思えば、こんな風に弟と向き合って飲んだことなんてなかった。

弟は、子供たちを育てるために働いて働いて働いてきた。
嫁ちゃんは子供たちが小学校に上がるまでは専業主婦だった。
職を転々としながら、少しでもいい給料で、少しでもいい条件で、嫁ちゃんが気にいる職場を探した。
なるべく高給であまり出張もなく休みもあって家のことを優先できる職場。

実家とも疎遠になったが、友達とも連絡を取らなくなり、誰がどこに行って何をしているのかもいつの間にかわからなくなった。
年下だけどしっかりものの嫁ちゃんは、「これはよう君にあってる仕事」「この人よう君らしくない友達」と、弟の人間関係も生活もコントロールして、自分の王国を築き上げた。もちろん子供たちもそれに従う。
例えばLINEのアイコンひとつにしても、一家全員がチームとして同じものをアイコンにしたがった。

そんな日々に少しづつ疲れていった弟。
同じことを繰り返すライン工場の仕事は、弟には向いてなかった。
一年の半分は出張になるけど、土木系でやりがいのある仕事に転職した。
そして、今までは嫁ちゃんが不機嫌になると、懸命に自分から話しかけ取り繕い仲を修繕してきたのが、だんだん疲れて馬鹿らしくなってしまった。

もういっかな。
だって、一年の半分は家にいないし。
たまに帰るのなら、そんなに無理しないでもいいかな。

気がつけば弟は、以前の母のように、家族の中で無視をされる存在になっていた。
だけど少しでも居場所を作りたくて、無理して家を建てた。

それでも何も変わらなかった。
子供たちは大きくなり働き始めた。
そうなると余計に、会話のない家庭。
自分だけ疎外感を感じる中、仲良く暮らす3人家族になっていっていた。
三人が盛り上がる中、自分が口を開くと静まり返る。
あの時の母と同じ状態。

離婚しようか、そうだね。
そんな感じで、あっさりと弟はチームから抜け出た。

「姉ちゃん、離婚届の証人になってくれる?」と夜更けのちゃぶ台の上に緑の枠の紙を差し出された。
「ほんとにいいの?後悔はないの?」と聞いた。

真面目な顔で寂しそうな目で考え込み、
「あの中に居場所はないんだな、と思うと寂しいけど
居場所を作るためにまた色々気を使って努力するのは、もう嫌だからいい。
子供たちは心配だけど。」

きっと子供たちは会いに来てくれるよと言ったが
「無理じゃろう」と一言。
そうだね、弟と嫁ちゃんがそれをしない人生を歩んできた。
情で気にして会いに来れるなら、きっと8年間あんなに実家をほっといたりしなかった。
チームを抜け出さない限り、会いに来れないのだろう。

どこかで「子供達が無事に社会人になるまで」という思いでここまできたのかもしれない。
孤独にも耐えたのかもしれない。

おかえり。よくがんばったね、お疲れ様。
父親として踏ん張ったね!
まだあんたは若いんだし、これからまた人生楽しみんちゃい。
ところで、家はどうすんの?まだまだローンあるでしょう。

嫁ちゃんたち住んでるから家賃をもらう。とのことでした。
あちらは三馬力だもんね。

今、弟は軽自動車で大阪まで一人で運転して、どこかの現場に入りがんばって仕事をしてます。年末までは帰ってこれないらしいです。
次に会うのはお正月。
クリアアサヒがお好みのようなので、山ほど用意してやろう。

飛行機も、自転車も、右と左のバランスがとても大事。
どちらかだけではまっすぐ進まない。
片方だけが過剰に我慢して成り立つ関係はどうしても終わりが来る。
そんな事を感じました。

弟がこれからの人生を目一杯楽しめますように。
春からはうちの次男がちょくちょく行くかもしれないので、
次男にはほとんど弟との思い出がないから、関わってやってくれるといいな、と思います。

思うままつらつらと書きました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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