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7年半前の講義記録より

7年半前の講義ノートが出てきた。講師はNPO法人全国総合ケア協会理事長 鎌田ケイ子先生。1975年老人看護の研究所に入られて以来、老人看護がライフワークであると紹介された。


ノートから拾って書き出してみる。

2025年、団塊の世代が後期高齢者になり、老人人口が30%になる。
2052年には、100歳人口が70万人になると試算される。

超高齢社会を迎え、システムの変更ではうまくいかないと考える。
高齢者の医療・治療をどこまで行わなくてはならないか、考える必要がある。
例えば、胃ろう の増設過剰が指摘されている。胃ろう は、(7年半前の講演時)30万から40万人。老年学会で、「胃ろうが本人の負担になるようなら差し控えても良いのでは」との提言がなされた。『食べない人』に、経管栄養よりは本人にとって楽な胃ろう だが、消化器の機能が低下している。吸収されない栄養・水分。全身浮腫。逆流。本人を苦しめているのではないか、その場合は胃ろうを行わなくて良いのでは?という問題提起だ。医者が必要な治療をしていないという罪に問われることへの疑問がある。看護師として、老人の治療の限界を知らなくてはならないのではないか。老化を受け入れる。
無用な治療…?

死を前提にした治療
老人を幸せにする治療
治らないのであれば、穏やかな生活をさせてあげるべきではないのか?

社会ではこれが、議論されない。
「老人を幸せにする医療ってなに?」

私たちのしなければならないことは。
予防ケアの徹底しかない。治療は対症療法でしかない。
予防ケアにまさる治療なし。予防ケアは最大の武器。
誤嚥 窒息 脱水 肺炎 転倒 排便コントロール…。
予測アセスメント。予測が立ってこそ、リスク回避ができる。

死を前提ということ。
在宅での看取り・施設での看取り を増やしていくべき。
生活の場で最期を迎えること。これは誰よりも老人自身が望んでいること。

平穏死=自然死。
自然の摂理に任せた死=長寿者に与えられた、さいごの幸せ。『眠るが如く』。

QOD(クオリティ オブ デス=死の質)

食べないから死ぬ のではなく。
死の過程にあるから食べない。
『食べない』と…。
→ 飢餓状態になり、脳内からエンドルフィンが分泌され、脱水になり、朦朧として、酸素が足りなくなり、麻酔された状態になる。→ 平穏で、穏やかな最期。

死ぬ前の酸素吸入など、これまで取り続けてきたセレモニーは必要ない。
周りが見るほど、苦しくない。
少しでも食べられるときには、食事はできるだけ経口で。安全に(誤嚥性肺炎を避ける)。無理に食べさせない。摂取カロリーに、基準はない。
量が多いと、本人が吸収できないから誤嚥になるのである。「『あとひと口』が、誤嚥のもと」。
無理に食べさせようと頑張らなくていい。

看取りの死生観。
死と向き合う。
それは、前向きに生かすことよりは、つらいこと・無力感を覚えることだが、自分たちの手で最期までケアができたという達成感を持っていいこと。
多死社会 の中で、死と向き合って、いいケアを。

医療と介護の連携。
急性期は別として、医療は、看護。
看護と介護の連携ができていればよい。 それはなぜか?
高齢者は、『生活と健康』『生活と疾患』を、統合していかなければならない。接触の頻度が多いのは介護職。
看護と介護の連携は難しい。
なぜか、医療職と福祉職は、相互理解が難しい。

看護も介護もルーツはひとつ。19世紀のナイチンゲールの近代看護。当時、医学は無力な時代で、ナイチンゲールは自然治癒力に着目した。
その後、看護は医療の進歩により、医療技術に手を取られるようになった。
介護は、『付き添いさん』から、介護職になった。

看護・介護。一体化して、チームとして。
看護の側の意識改革。医療と介護をつなぐ立場として。看護師が介護職を支援し、支える。
看護と介護は、コインの表裏のような関係。一体化して共に老人を幸せに。
もう一度ナイチンゲールの原点に戻れ。
もしもナイチンゲールが見たとしたら、今の大病院のナースは、ミニドクター。
今は介護職が、ナース。

今後大きな混乱が考えられるが、在宅は『病院のベッド』ではなく、『やすらぎの場』であるべき。


読み返していて、突き詰めていくと、
死生観 生きるうえでの価値観
というものを問われると思う。

これをなおざりにしたままで『生』や『死』を語ると、芯のない論争になり、ただ死んでいないことのみをもって良しとする方向に流れてしまうような気がする。講演から7年半経った今の社会は、思いもかけない形で各自の死生観 生きるうえで何に価値を置くのか を問われている。
しかしそんな中でも匿名で生きたいのが多数派で、自分の生に責任を負いたくないが為に、決めてもらってそのとおりにしようとし、そうでないものを非難しているように思えるのだが。


7年半前に受講した走り書きの記録。聴き間違い・書き間違いや、その後の社会変化もあるかと思いつつ、個人的な覚書として、書きとめておく。


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