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「精神世界」をやめた理由

多分このnoteを読んでくれているのは、相当以前にやめましたが、わたしが「精神世界ランキング」というブログランキングに参加していた頃からの方が多いと思います。

不思議な体験について書いていたときは、それはそれはおもしろいことがたくさんありました。

しかし、しばらくして、自分の内側にどうしようもない違和感が起きてきました。

たしかにこの世には、科学では証明できない別の力があるのだと思います。

でも、それだけを強調していても、その先に進化はないのではないか。

自分の心はもっと先のことを求めているように感じました。

奇跡のリンゴで有名な、青森の無農薬リンゴ栽培の達人である木村さんは著書の中でこう書いていました。

☆☆☆

木は根っこから土の栄養を吸い上げます。土が豊かなら、木が健康になるのは当然のことです。私は、目に見える枝や葉、幹ばかりに気を取られ、肝心な根っこや土のことをすっかり忘れていたのです。今思えば、龍やUFO、宇宙人らしきものを見せられたのは、「見えないものの存在に気がつきなさい」という天からのシグナルだったのかもしれません。

☆☆☆

精神世界の話しとは、この世界はすべて+と-でできている、という基本法則を知るための、ただの方便にすぎない。

それに気がつかないと、いつまでも「天使」「ドラゴン」「宇宙人」「前世」「守護霊」といった世界に逃避するだけで、自分自身の課題と現実的に向き合えないまま、時間だけを無駄にします。

わたしはずっと以前、ヒーリングとか、チャネリングとかを職業にして、そういった発信も積極的にしている人たちと仲良くしていましたが、どんな人でも仲良くなってくると、別の一面も見えてきます。

苦しんでいる人のため、地球のため、というわりに、欲望が強い人が多いなと思ったのです。

博愛を語りながら、自分自身の愛情問題はこじらせているのです。

たとえば、結婚しているのに「愛は自由だ」と言って、不特定多数の異性と関係を持って、肝心の配偶者とは向き合わず、深く傷つけていました。

あるいは、癒すことを目的にしているのに、詐欺とも思えるような大金を多くの他人に使わせて平気な顔をしていました。

異性関係もお金も人生には必要ですが、それにしてもバランスというものがあるわけで、じょじょにエスカレートしていく言ってることの高尚さとやってることの下品さが、わたしには納得出来ませんでした。

なのでそれは矛盾した行為ではないかと思い、あるとき、ある人に、思いきって率直に問いただしてみたところ、相手と口論になってしまいました。

そして最後にその人は、憎しみをこめてわたしにこう言い捨てました。

「こんなの(スピリチュアル)なあ、真面目にやる必要なんかないんだよ」

わたしは、心から驚き、絶句しました。

精神的なことを発信する人こそ、自分自身に矛盾があってはならないのではないか。

それは決して侵してはいけないもののような気がしました。

その瞬間に、自分のなかで心が切り替わりました。

簡単なことでした。

なんだ、自分は間違った相手を尊敬していたんだな。

相手が悪いわけではない、自分の「見る目」のレベルが低すぎたのです。

わたしはこのままではいけない。

自分のほうこそ、心を入れ替えて一から学びなおさなくてはならない、と思いました。

そんなときに出会ったのが、博士でした。

博士、とはわたしが勝手につけたあだ名ですが、本名はやはり言わないでおこうと思います。

博士は農業から経営から哲学まで、すべてを自然法則から見て、よく理解している人でした。

東洋の古い哲学、仏教とか、タオの本には、共通した話があります。

東洋人は自然現象をよく観察して、そこから人間のいる意味や、哲学を学ぼうとしていました。

そして自分も、そういった本物の哲学を理解して人生にいかしたいと思いました。

正確に言うと、博士はひとつも教えてくれませんでした。

真理とは、自然をお手本にして、自分でよく見て、感じて、考えて、自分で答えを出す世界だからです。

そのためには、プラスとマイナス、見えるもの見えないもの両方を知らなくてはなりません。

さらに正確に言うならば、プラスとマイナスをつねにめぐる止まることのない「或る力学」を、自分は知らなければならなかったのです。

そうしてふり返ってみると、自分が数年のあいだ夢中になっていた世界は、とても小さなものでした。

でもいまは、それ自体を恥じたり後悔したりはしていません。

なんでもそうだけど、かつて未熟だったせいで自分にもそういうときがあった、という反省の体験があることによって人は、他者に対して寛容になれます。

十牛図、という禅の教えがあります。

そこには明確に人の精神的レベルを10段階に分け、知性品性を持った人間として目指すべき在り方を説いています。

そのなかで「見えない世界に夢中になる」というのはレベル3です。

10段階のうちのたったの3です。

でも、その3を経るから、人は4、5、6と成長していけるのです。

わたしはまだ、レベル4くらいにやっとなってきましたが、たとえ最終段階であったとしても、油断するとあっというまに人の意識はレベル0に戻ると、十牛図は警告しています。

精神の成長に、わかった、は無い。

わかる、とは有限だから、そこで終わりです。

何か一つわかったら、次のわからないが出てくるのが、無限の世界です。

でもそこで「わかった安心感」から次のわからないを求めようとしない人は、有限の意識になり、停止します。

停止するから反作用で中和力が働いて、築き上げたものまで分解されて無になるのだと思います。

十牛図が、どのような高いレベルでもそこで停滞した段階で、1つまえに戻るのではなく全部戻ってゼロまでリセットされるのは、そういう力学が働くからだと思っています。

無限の世界は、工夫の世界だと思います。

いま自分の前にあるこれを、どうやったら少しでも良いものにできるか、という工夫です。

人間関係でも、仕事でも、家事でも、少し手を止めて、少し考えて、ひと手間くわえて、ちょっと良くする。

本当の真理とは、そういうあたりまえの日常のなかに在るのだ、と博士の背中から教わりました。

何かを良くしよう、とするのは、目に見えない心です。

目に見えない世界を大切にするとは、それは天使やドラゴンや宇宙人や前世というファンタジーに狂信的に夢中になることではなく、「自分の心」に注意深くなれということなのだと思います。

#精神世界 #ヒーリング #チャネリング #天使 #ドラゴン #宇宙人 #真理


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