日本人て何なのか〜大陸から人が来る前、日本列島の民族が持っていたもの〜
日本史は勝手なことを言ってきます。
たとえば「中国から漢字が来て、それがひらがなになった。それまで日本には文字がなかった」などと言われそれが当たり前の日本の歴史になってます。
しかし、縄文1万年と言われてるのに、その間一切の文字がない、とはバカにしすぎてるとは思いませんか。
古代日本人の底力って、そんなもんでしょうか。
大陸から渡来人が来るまではギャートルズみたいな暮らしだけやってたみたいな言い方はやめてくれよと思います。
ここにおもしろい本があります。
日本の古代文字をきちんと研究した本がちゃんとありました。
というか最近出たんですけど、わたしはほんとに、こういう本をまちわびていました。
これまで日本の古代文字を調べようとすると、カタカムナとかホツマとか、〇〇文書とか、いやそれらが間違ってるとかいうことじゃないんですけど、それらをもとにしたオカルト情報だけが大洪水のようにネットからあふれてきて、わたしは毎回パタリとパソコンを閉じて終了でした。
ちがうんです。
そういうのじゃないんです、わたしがしりたいのは。
宇宙の神秘を研究している某氏がチャネリングで得た神代文字情報とか、夢の中で出会った神から教わった縄文の真実話しとか、そういうのいらないんですよ。
なんで縄文のこと調べようとすると、
「縄文のことなら、我こそ!!!!」
みたいなスピ系の人がわいて出てくるんですか、縄文の価値を下げ、日本人からますます縄文を遠ざける現象になってるのでほんとうにやめてほしい。
ほんとよくないと思う。
カタカムナの文字をデザインしたアイテムで宇宙から無限のエネルギーを得られるとか言ってるんですよ、やめたほうがいい、そんなのなくても無限のエネルギーなんて自分の肉体観察したら大丈夫ってわかります、37度の肉の塊が腐らず活動してることに生命の無限性を感じられないのに、宇宙人から教えてもらったアイテム5万とかで売ってることには何も感じない人の言うことなんて何も信憑性ないので古代文字とか語らないでほしいんですよね。
そんなかんじでウンザリしていたところ、この本に出会ったというわけです。
前置きが長くてすいません。(日頃のストレスを発散してしまった)
この本はそういう誰かの個人的な妄想ではなく、一人の在野の研究者がこつこつと実地調査を積み重ね、事実と歴史的資料から総合判断して「日本にも古代文字があったのではないか」と真剣に書いた書籍です。
著者の相馬龍夫さんは既に亡くなってまして、この本自体も随分前に出版されたものが新装版として出たものです。
相馬さんは、日本の各地に残る洞窟壁画、縄文土器の模様、それらはこれまで、古代人による稚拙な表現と思われていたが、じつは象形文字のようなものだったのではないか、という推測をしました。
よくよく考えれば当然です、なぜなら象形文字は世界中に残ってるし、文字とはだいたい絵からスタートしていて、それが日本にだけ無いと考えるほうが無理があるというものです。
南米には絵ではなく紐の結び目で伝達していた文化もありますが・・・
とにかく人類はまず「言葉」を持ちました。
言葉は音なので、その場で消えていきます、しかしたとえ小集団でも一定の知恵と文化を持ち始めたら、子孫に伝えようとする意図が必ず働きます。
最初は口伝えですが、親から子への伝聞にも限界があると早い段階で気づくわけで、そうなると物質に残そうとするはずで、それが絵となり、土器となり、簡略化されて象形文字の原型になっていく、もうごく普通のことです。
もちろんそこにはオリジナルの発音もあった、そういう下地が縄文時代には成立していて、そこへ漢字が来た。
だから漢字は伝わっても中国語は伝わらなかった、なぜならすでにオリジナルの発音の「日本語」が存在していたからで、だから漢字のほうが日本語に合わせて当て字になり、くずれてひらがなになった、とても自然なことです。
そんなふうにひらがなの前にオリジナル発音をあらわす象形文字があったはずだけど、しかし支配のシステムとは古今東西すべからく元からある多様性=原地オリジナルを認めないものでありますからして、大陸支配系は稲作と鉄で古代日本人を追い散らかしながら「これからは漢字使えよな」と文字までゴリ押ししていったのでしょう。
相馬さんの本は研究書なので難しいですが、圧倒的な古典の知識をもとに、またご本人が「自信はない」としつつも、洞窟壁画や石に刻まれた記号を、漢字が伝わった当時の古代日本の発音が色濃く残っていた頃の資料などもとに、果敢にかつ丁寧に解読に挑戦しています。
結果、古代日本人が岩に刻んでいたのは
「おれたちの土地に攻めてきた敵マジゆるさない」
などとけっこうふつうのことが書かれてたりして、笑っちゃうとともに、やっぱりそうか、縄文後期の古代日本人はやはり、大陸からの圧倒的な勢力を前につらく厳しい試練に立たされていたんだなあと少し悲しい気持ちにもなりました。
それは世界中でくりかえされたことです。
その土地で慎ましくもそれなりに幸せに先祖代々暮らしてきた少数部族が、何の前触れもなく残酷で強大な勢力に惨殺され、すべて奪われて強引に同化させられる。
自分が部族の長だと想像して、のんびり暮らしてたある日、いきなり見たこともない武器で大集団に襲われ、驚いて必死で反撃するもまったく歯が立たない、何がなんだかわからないうちに一族の半分を目の前で殺され、血溜まりの中、自分も刃を突きつけられ
「いま従うか、全員死ぬか、選べ」
と言われたら、あきらめると思うんですよね。半分殺されたけど、半分は生きてる、その生命を守るために、理不尽さも怒りも飲み込んでそれまでのすべてを捨てると思う。
でも、どうにかして残そうとするはずです、だってそれはそうです、自分たちの大切な世界、大切な知恵、それをなんとか伝えようとするのは、その部族に残された最後の抵抗の手段であり、使命になると思う。
でも支配者に自分たちの文化を伝えたことがわかったら殺されるわけだから、わからないように、さりげなく、隠して伝えていくしかない。
いまも日本のどこかにその痕跡は必ず残っている、そのことを教えてくれたのが相馬さんの本でした。
わたしたちの身体の半分には、ひっそり消えていった古代日本人の血が確実に流れている。
だからそういった「消えていった古代の日本人」に、わたしはいま意識を向けたいと思いました。
なぜならそこに残そうとしたことは、要するに生命の大切さだったはずだと思うからです。
派手でもなく強くもないから、負けてしまったけど。
でも素朴で弱いものにこそ、生命のやさしさがあると感じます。
いまの日本の政治と社会の原点が古事記や日本書紀、大化改新からスタートしてるならば、つまりそういった弱くやさしいものを蹂躙して、多様性を認めず、古代天皇家による一統支配でスタートしてるわけです。
だから幸せにならない。
原因を見ないと、変えられない。
大陸から新しいエネルギーが来たことは、もう良いとか悪いとかいう話しじゃなく、人類がそのときはそういう進化と選択をしただけです、いまの天皇家がどうのこうのの問題じゃないです。しかし天皇家が現代、その存在意義を問われていることはたしかです。
わたしはいまほんとに日本の良さがすべて失われてると感じるのですが、何事も原点を見るのが法則なら、やはりいまこそ日本の本当の始まりに触れたいと思いました。
そんなかんじです。
というわけで、そういうものをちょっとずつ知っていくことを、自分の人生の新しい目的に設定しました。
あまりあせらず、ゆっくり知っていきたいです。
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