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2020311生命賛歌

今日は仕事場で作品を作っていました。

311は、博士に出会った日と同じくらいに人生の重要な日です。

テレビ越しに見つめることしかできなかったあの日、地震と津波で無残に命を失っていく多くの人々の姿は、自分に対して「人生を無駄にするな」と強く言い残しているように見えました。

そこから開き直って、自分のやりたいことに集中する人生をスタートして、大変なこともたくさんあったけど、9年前には想像もしなかった人や物体に囲まれて楽しくやってます。

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もしあのときの自分に循環式の鉱物水耕の水槽を見せて

「これを自分で作るようになるよ」

と言ったらめっちゃ驚いたと思います。

そしてめっちゃ喜んだと思います。

自分が「これ最高に好き」と思えることができる人生は本当に幸せです、他人の評価も大切だけど、誰にも見向きされなくても、自分はとにかくこれがパーフェクトに好きだと思える何かを自力でできたら、その時点でほぼベストな人生と言ってよいと思います。

そういう人生をなんとか歩めたきっかけは、311だったから、わたしにとっては鎮魂と同時に永遠に感謝の日です。

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お花と石から始まったけど、この9年を楽しく過ごすのには、わたし一人の力では無理だったわけで、数えきれない人に応援してもらったからいまがあります。

博士はよく

「エネルギーはもらうものじゃない、出すものだ」

と言ってました。

応援は、される側としてはエネルギーをもらってるように感じるけど、本当は応援してる人こそがいちばんエネルギーを出していて、それはいずれ出した人に返ります。

応援自体が結果ともいえます、応援してもらいたくて何かしたわけじゃなく、自分がまず何かを出すから結果として応援される、出したものが返る、応援する人とされる人はいつだって対等であり、その意識があるうちはエネルギーは循環し続けていきます。

そういえば前回のnoteは、息子が高校に合格したというプライベートな話しをしただけなのに、いっぱいいいねしてもらえて、なかにはわざわざLINEやメールでお祝いしてくれた人もいました。

ものすごくうれしかったです。

元気が出ました、でもそれも、いちばん元気を出してるのは、わたしではなくいいねしてくれたりお祝いを伝えてくれた人たち自身です、他人の良いことを素直にお祝いできる、その純粋な周波数は結局はその人に返っていきます。

311のあと、わたしはお店を始めたのですがそれはちょっとでも自分にできることがしたい、自分で自立して、売り上げを復興に寄付したかったからです。

とにかく応援したいという気持ちでした。

そこに共鳴した人から応援してもらったわけです、出したものが返ってきた、だからまた自分も誰かを応援しよう、こんなおもしろい人がいるよ!!という出会いがあればそれを自分のできる範囲でたくさんの人に伝える、思えばそれだけを9年やってきました。

人は一人では生きられない、でも他人の良いところを見つけて、認めて、互いに応援するサイクルさえあれば、どんなに良い循環になるだろうか。

天国ってそういう世界だと思います。

死なないと天国に行けないという意識は間違いで、生きてるいまこの瞬間この場所をいかに天国にするか、それだけが大事だと思います。

人生には明らかに意味がある、生命とはそれ自体を賛歌するために生まれたはずです、しかし他者との関わりなくしてそれは成立しない。

だからまず目の前の人を認めていく、今年はこれをもっとがんばっていきたいです。

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#日記 #エッセイ #311 #人生

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