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【オギャー No.4】 限界キタコレ

前回はこちら

前回まで入院当初の事を書いていましたが、ここから飛びます。
入院してから出産までの期間は2ヶ月でしたが、その2ヶ月はただ同じ毎日の繰り返しでした。
毎日の検査結果に怯え泣いて、週に一度の赤ちゃんの体重測定で安堵する、それを繰り返し、日が過ぎるのを待つだけの日々だったので、特記する事がないというのが理由です。

その間、カーテンの中の人と同じように、短くも濃い時間を共に過ごした妊婦仲間がいました。
毎日泣いていたと書いていますが、正確には泣いていたのは最初の1ヶ月だけで2ヶ月目からは泣くことを止めました。
それには共に過ごした妊婦仲間の一言がきっかけなのですが、それについては番外編2ででも触れたいと思います。

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「母胎があぶないので手術をしましょう。」
そう担当医に言われたのは、妊娠34週も後半にさしかかった頃。
胎児は小さいながらも少しずつ成長してくれていたが、どうやら私の身体に限界が来たようだ。

「このままでは肝硬変に移行してしまいます。」
どうやらと書いているように、その頃の私には自覚症状がなかった。
だが身体の内部は数値を見る限りボロボロになっていたらしい。

あっという間に手術日が決定。
担当医から手術についての説明を受ける。

「だいたい妊娠34週で、赤ちゃん全体のうち自発呼吸の出来る子がチラホラと現れるくらいです。35週になると自発呼吸出来る子は半分くらいです。36週になると、ほぼ全員が自発呼吸が出来るようになっています。」
うろ覚えだが、確かこんな説明だった。

「覚悟してください。」
妊娠中、出産後と何度この台詞を言われただろうか。

私の手術日は35週4日。
自発呼吸できないかもしれないのか…。まるで掛けみたいだな。

落ち込む暇もなく、手術前々日には術前準備が始まった。
私はその術前準備で、後に手術よりも嫌な記憶として残る経験をする。


今日は絵もなしで、ここまで。
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【今日の後記】
次からは暗いだけじゃない、今だから笑えちゃう話も入るかもです。

次回は〜!
・俺の前に立つな!
・1.5メートル先のトイレ
・あなたを恨んでもいいですか

の3本立てで〜す♪

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