見出し画像

【掌編】アップルティー

「アップルティー」

アップルティーは森の香りがする。
普段飲まない貰いもののアップルティーのティーバックに湯を注ぎながら、そんなことを思った。
幼い頃、何度か行った森の別荘を憶い出す。なにということもなく行かなくなったのは、いつの頃からだったのか。




そんなことを思ったその日から男は、家のあちこちで少年を視るようになった。
不可解だが、恐怖はない。
だが、目の端にふと、その少年はいる。


たとえば、書斎の梯子の上で本をめくっている。
あるいは、廊下の窓辺に片膝を立てて窓の外を見ている。
リビングのソファでうつ伏せで寝入っている。
キッチンで、寝室で、玄関で、階段で。
家のありとあらゆる所にその少年はいるのだ。
ただ、数年前に建て替えた離れではその少年を見かけることはなかった。


明らかに異常な事態なのだが、男は取り立てて怖くも、悩みもしなかった。ふとした時に、少年を目の端にとらえて、ああ、いるなぁ、とそのままの事実を不思議と受け入れて、別段対処するでもなかった。


そんなことが続いて半年近く経ったある日、ふと、従兄にその少年の話をした。家のあちらこちらで見る少年の話を。


この従兄は普段から何事につけてもリアリスティックに対処をし、決して動揺を彼ごときに見せはしない食わせ者だったが、その話を聞いて、ぎょっとしたように男の顔を見つめた。
この従兄の珍しい反応に彼はちょっと驚いたが、どうも俺には幽霊とも思われないし、特に気に病んでもいないからそんなに心配しなくても大丈夫だ、と述べた。


従兄はしばらく黙りこくってから、静かに言った。


「それはお前の兄さんだ」


従兄の話では、あのアップルティーを淹れた日にふと思い返した件の別荘には、とある時から男の母が二度とは足を向けなかったのだと。
何故なら、その近くの湖で男の兄が溺れたからだ。
まだ幼かった男が誤って水に落ちたのを、兄は助けようとして自分だけ湖に沈んだ。
助け出された時には気を失っていた男は、目を覚ますと彼のけなげな兄のことを綺麗さっぱり忘れていたのだという。
男の母は、これ幸いと男の家から兄がいたという痕跡をすっかり消し去った。
子どもはもともと男一人であった、と修羅のような瞳で思い込もうとしていたのだという。
その母も、数年前に病で亡くなった。





従兄にその話を聞いてからというもの、男は家で少年を視ることはなくなった。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
出演舞台のオンライン配信がございます。


《千穐楽映像》配信中
ミュージカルグループMono-Musica
 独白劇×ミュージカル
『パノプティコンの女王蜂』再演版
影法師ウルド/蛇女役にて出演


【通常版】特別価格 3,000円
【特別版】特典映像付 5,000円

▪️配信期間 7/1〜7/31
▪️期間内は何度でも視聴OK
▪️会員登録・アプリ不要

▼お申し込みはこちら



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
[Profile]

マナ

パフォーマンスユニット"arma"(アルマ)主宰。朗読とダンスが融合した自主企画公演を上演している。ミュージカルグループMono-Musica副代表。キャストとして出演を重ねている他、振付も手掛ける。
ここには掌編小説の習作を置く。
お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。


#小説
#短編小説
#ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?