生きにくいと感じたのはいつからだろう
辛いとき、ふと思い出す昔のこと。
生きづらさを感じたのはいつだっけ。今回は自分の生きづらさを感じた根本の話を書いていきます。
おぼろげなのは幼少期
一番もっとも古い記憶で生きにくさを感じたのは保育園の年長さんの頃でしょうか。
今はADHDと軽度知的障害の診断をもらっているので納得ですが、当時の自分はそんな自覚もなく自由奔放に生きていました。
年長になるまでは特になにも感じていなかったのですが年長の途中から周囲の成長についていけていないことを感覚的に感じていました。
主には先生の話を聞いていないから周りと違うことをしていたり、みんなひらがなが書けるのに自分は書けなかったり、周りとのコミュニケーションがうまくできなかったり。
自分でもうすうす気づいてはいたし、周りの大人からも「どうしてできないの?」と責められることもあったし、当時はまだお仕置き部屋なるものが存在していてそこに入れられたり、同じく問題児だった子と一緒にみんなの前で立たされ晒されながら怒られることもありました。
この頃から自分は恥ずかしい存在だと思い始めるようになりました。
そして小学校へ
小学一年生の時、今振り返ればかなりの問題児でした。
授業中に走り回る、授業中に寝る、話を聞かないなどで簡単な算数などもできず、親の意向で特別支援学級に入ることになりました。
ここからいよいよ生きづらさを感じていきます。
生きづらさを感じた時期は不明なのですが、おそらく3,4年生の頃、
原因が二つあって、まず一つは同じ支援学級の子が「障害者」と呼称され一般クラスの子からいじめられているところを目撃したこと。
二つ目は自分自身が「障害者」と呼ばれいじめ?を受けたことです。
一つ目の出来事で私がいる学級はどんな子が来るようなところなのかが大体わかったし、二つ目の原因で私自身が皆から下に見られる存在だということをその身をもって実感しました。
このことがきっかけでそこから十数年間悩み続ける生活が始まりました。
次回は小学生の頃の話をしていきたいと思います。
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