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内と外を行き来して

おぉ、なんと素晴らしい!感動に打ち震えて数日。出会ってまだ間もないのに、もう愛着が湧いているその相手は一着の割烹着です。


はじまりはスタジオジブリの「コクリコ坂から」で主人公海が学校から急いで帰宅し、カレーを作るワンシーン。制服のまま台所へ直行し、真っ白い割烹着に頭と両腕を通し、後ろの紐はそのままにしてジャガイモやら玉ねぎを床下収納から取り出す一幕がずっとわたしの中に残っていました。


一人暮らしをして1年と少し。ずっと店にあるものをなんとはなしに見てはいたのですがピンとくる柄がなく、最近ようやく長袖が洗い物の途中に落ちるわずらわしさに後押しされ、初めての一着を手に入れたのです。


エプロンと違ってお袖まであり水仕事も油ハネもなんのその、かつそのお袖はゴム口なので洗い物の途中でズレ落ちるなんてこともありません。首を入れて腕を通せば後ろの紐は結ばなくてもノープロブレム。ゆとりがあるので着ぶくれした上からでも5秒あれば着られます。

なんて機能的な衣服なのでしょう。一度洗濯している間に食器洗いをした際には服は濡れるは袖は落ちるわで面倒くさいったらありゃしない。今まではそれが当たり前だったのに、です。


ところで、「コクリコ坂から」の海は学生と下宿屋のおかみ(厳密には違うけれど)という役割を作中で何度も行き来しています。冒頭で挙げた制服のまま割烹着を着るシーンはその役割変化をさらりと表現しているなと今になって気が付きました。

そういえばサザエさんのマスオや波平も外ではスーツのことが多いですが自宅では着物やシャツ姿に変わっていたっけ。今でも部屋着や外着という言葉が使われているように、家と外はいろんな意味で区別された空間なんだろうなぁ。


が、しかしです。家のことをやる人というのはそんなにキッチリ部屋着、外着と分けることができません。だって、家事というのは外に出ないとできないことが山ほどありますから。今でこそ買い物とゴミ捨てくらいにはなりましたが、こんなに便利な世の中になる前は近所に回覧板を届け、車でやってくる豆腐屋に声をかけ、庭があれば掃き掃除だってしなければいけません。洋服が普及する前は着物生活ですから、たっぷりとした袖が邪魔にならない割烹着のほうがエプロンという形よりも勝手が良かったのかしら。


ちょっと気になってWikipediaを見ると、明治時代後半あたりに料理学校のようなところで女学生たちが調理の邪魔にならないために考案され、その後掃除などにも使用する作業着的扱いになったとのこと。


なるほど作業着。そう考えるとしっくりきます。家のことは家の中と外と行き来しないとできない。だけど家着と外着は区別されているから、何を着てようと作業着としての割烹着をまとうことで家着と外着の緩衝材にした…

…考えすぎかしら?案外当たっていると思うんだけどなぁ


割烹着を着ると家事のやる気も上がったりするので、「家の内を守る人」という意識づけも担っていたのかもしれません…これはさすがに考えすぎかも。かも?


2022年にもなり、寒さのピークはこれからですが文字の上では迎春です。暖かくなったころに割烹着生活がどうなるかはわかりませんが、長袖を着ている間は当分お世話になりそうです。





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