やさしい人になりたい

今日、仕事中に熊本の人と電話をした時のことです。トラブルではないけれど、ちょっと手間のかかる作業を終え、了承の返事を出すとその人は安堵を込めた丁寧なお礼を言ってくれました。


用件が無事終わり、最後に雨は大丈夫かと聞きます。相手も出勤して、電話ができるくらいですから、社交辞令のつもりで。

その人は「ここらへんは大丈夫です、お気遣いいただきありがとうございます」と答えました。
字面だけ見れば相手も社交辞令のようですが、その声は心を込めなければ出ない声でした。電話口から聞こえる、顔も知らない人の声。その声に、わたしは泣きそうになったのです。

本当は、もしかしたらその人は演技がとっても上手い人なだけかもしれません、先の案件に関わったわたしに恐縮していたのかもしれません。

本当のことはわかりません。わからないけれど、わたしはその声に泣きそうになったことは事実です。わたしは、迫り上がってくる塊をあわてて飲み込み、今度こそ心から「くれぐれもお気をつけください」と言い、電話を切りました。

そして、仕事中、そして帰宅した今夜に思います。やさしい人になりたいと。

やさしい人は、必ずしも正しいわけではありません。それは、時に甘えや保守に加担することにもなり得ますし、やさしいだけでは自分も生きていけず、他者を助けることもできません。

それでも、あの瞬間にわたしができたことは、やさしい気持ちを受話器に乗せることだけです。そして、すぐにやさしさを伝えるには、やっぱり日頃からやさしさをどこかに持っていなければ難しいのです。初めての折り鶴作りに時間がかかったり、角と角がピッタリ合わないのと同じように、やさしさも何度も取り出してやってみなければスッと取り出せませんし、うまぁくやさしさを言葉で包み込めません。

気持ちを言葉で加工して伝える。
人間がずっと続けてきた営みを、わたしも引き継いでいきたい。

見ず知らずに近い人に、やさしさを伝えられるわたしになりたいのです。


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