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白い花と偽善

花を見かけました。

今日の朝、家から会社までの通勤路。今まで何度も通った道のはずなのに、初めてその白い花の存在に気がつきました。

カモミールかな?もっとよく見たかったけれど、道にはいつもよりは遥かに少ないとはいえ、それなりに人が行き交っていました。その1人だったわたしは、合わせる必要なんて本当はこれっぽっちもないのに、他の人と同じようになんにも見ていないかのような足取りでそのまま目的地へと向かいました。帰りにゆっくり見ればいいか。

勤務を終え、白い花があった場所を再び通ります。
ところが、朝には花びらが反り返る勢いで咲き誇っていた花は、その花弁を閉じていました。あれっ、なんでだ?
散るにはあまりにも早いような気がするので、朝しか咲かない花なのでしょうか。帰宅後に少し調べてみましたが、朝の通り過ぎた瞬間だけの記憶はとうにあやふやで、結局わかりませんでした。

自分たちの足元が、以前にも増してグラグラ揺れ続けているいま、花に和めるということはまだまだ余力がある証拠でもあります。そしてわたしは、運良く仕事も住むところも食べる物や精神を安寧に保つ環境もそれなりに整っているところでまだ生きています。それは見方を変えれば、花を見て和めるような社会を作るために行動できる余力がある立場でもあると思うのです。

しかし実際に行動しているかといったら、そうだとも言い切れません。新入社員の出勤は不要不急じゃないかしらと思いつつ外に出て、政権や政策、に言いたいことはあってもそれを堂々とnoteや人に論じる勇気や知識に踏み出せていない。テイクアウトや寄付をしようにも、個人的な目的のためにそれすらもしていません。とりあえずの安全地帯で、わぁどうしようって思っているだけです。


私用の外出を控えて手洗いうがいを徹底。これも無駄じゃありません。それはわかっているんです。
みんなそんなもんだよって言ってくれる人もいるのかもしれません。でも何よりわたし自身が、そんな自分の偽善に焦ってしまうのです。

民主主義は放っておけばダメになると知っているのに、朝咲いていた花が夜も咲いているなんてわからないのに。

でもだからといって、わたしは駄目な人間なんだ、なんて思うこともできません。「だって」、「でも」、手洗いうがいはしてるし自粛してるもん。選挙にだって全部行ってるもんと言うわたしもいます。それも間違いではないのでしょう。わかってはいるんです。

行動を起こさないから、ひたすら考えることしか今は…。
白い花を見て和めるわたしであり続けるために。そんな人が増えるために。

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