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弱さと向き合いつづける、という強さ

「わたしは弱い人間だなあ」と、つくづく思う

これは、「どうしてわたしは…」嘆きだったり、「どうせわたしなんか…」という開き直りだったり、感情的な意味合いは特に持たないのだけれど、

ただ、わたしは「弱さ」という自分の性質を受け入れて、今後の人生を生きる上で、それとうまく付き合っていく必要があることに、最近気づきまして

約25年間の人生の中で、2回心をこわした

1回目は、学生時代。

中高時代は、文武両道で成果を出し、人間関係にもとても恵まれていた。高校3年生では、朝5時に起きて毎日10時間以上勉強。努力が結実し、希望の大学に入学。世界がかがやいて見えていた。

大学に入ると、「朝起きて、授業を受けに行く」という、周りの皆が当たり前にできていることが、できなくなった。

そんな「できない自分」に対する強い嫌悪感と卒業への焦りをごまかしながらも数年間大学に通った頃、夜になっても全く眠れなくなったり、生理前に虚無感や漠然とした大きな不安に襲われるようになった。勇気を出して病院に行って、診断と治療を受けた。

「きっと環境が合っていなかったんだ。もっと自分が頑張れる、かがやける場所があるはずだ。そこで頑張れば良いんだ」と思い、大学を去って働きはじめた。

幸いなことに、会社でも人にはとても恵まれていて、素晴らしい環境で働かせてもらった。毎日たくさんのことを学び、努力することがとても楽しく、社内表彰も受けた。また、世界がかがやいて見えていた。

そうして1年半ほど働いた頃、同じことが起きた。

朝起きると身体が重くて動かない。やっとの思いで支度をしても、強い吐き気で電車に乗れない。夜になると不安で泣いてしまう。内科で処方された吐き気止めを服用しても良くならず、学生の時にお世話になった心療内科を受診すると、すぐに休職を勧められた。

「では、今月末に企画したイベントが控えているので、それが終わってから…」動揺してそう言ったわたしに、お医者さんが「今は、身体のことを一番に考えた方が良いと思います。」と言った時、はっと我に返った。このまま働き続けたら、完全に心がこわれてしまう、と思った。

わたし、という人間はたくさんの性質を持っている

わたしは「まじめ」で「頑固」で「完璧主義」な人間だ(と思っている)。それらは長所でも短所でもなく、あくまでわたしのもつ性質のうちのいくつか。

例えば、「まじめ」という性質が、仕事においては上司に評価され、プライベートでは人間関係をこじらせる原因となったりする、といった具合に、性質は局面によって、それが良く作用したり、悪く作用したりする。

だから、「まじめなわたし」を拒絶したり、隠したり、直そうとするのではなく、理解し、受け入れ、愛してあげないと。その性質がわたしの人生に悪く影響しそうな局面でブレーキを踏んであげられるよう、理解することがとても重要だと思っている。

「弱い」という性質を理解し、受け入れること

思うに、「弱い」も性質だ。正確には、いくつかの細かい性質が合わさって「弱い」状態を作り出しているのかもしれない。

何にせよ、重要なのは、他の性質と同じように「弱いわたし」を理解し、受け入れ、愛すること。「弱い」こと自体に絶望する必要はなく、「弱い」という性質が人生に悪く作用しそうな時に、ブレーキを踏めるかどうかが重要なのだと思う。

そして、「弱い」わたしがかがやける場所は、必ずある。心が弱いからこそできることやわかることが、きっとあるんだと思う。

そう信じて、「弱いわたし」を拒絶したり、隠したり、見ないふりをするのはやめよう。「弱いから」と言って、挑戦を避けたり、自分を見限るのはやめよう。

「二度あることは三度ある」と言うし、また心をこわすことがあるかもしれない。それでもきっと、負けない。そんな覚悟を持って、わたしのはじめてのnoteをここに投稿する。

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