見出し画像

私は人間

   カフェの隅に置いてある造花でさえ花としての役割を果たそうとしているというのに、人間と同じ組織で作られたはずの私の身体は、私の望む人間としての役割を果たそうとしない。周りと同じことをしているはずなのに、脳の毛細血管から痛みがあぶくのように溢れ出す。社長が会議中に何度も声を荒げた生産性、効率という言葉に含まれる「期待」の正反対にいる自分には、それらの言葉が棘のようげ突き刺さる。太陽の下を歩けない人は、人なのか。答えは分かっているはずなのに、意地悪な人たちを頭の中で作り上げて自身を批難させる。

   眩んだ視界を瞼で隠しているうちに日が沈んだ。そんな頃に月は輝き始める。生命を育む太陽がいなくなると、今度は月が情緒を育んでくれる。夜という暗幕が、その先にある創造性を掻き立ててくれる。世間で言う、色んな人がいていいというのはこういうことだろうか。陰や陽に拘らなくとも、誰かを支えられるような存在でありたい。誰かに必要とされたい。人の照らし方は様々だ。頭痛が酷い時は陽の光が苦しくてたまらない。そして他人の幸せが自分の幸せに全く結びつかない時がある。前頭葉にズキズキと何かが小刻みに流れていく。そんな日は、夜に本を読む。人の心を吸収する。満たされることのない乾きのようなものは、結局人で紛らわし続ける必要がある。

   生きている限り出てくる垢をこそぎ落としてからクリームを塗り込むように、自分を見つめ直して反省をしては、その分なにかで自身を労ってあげたい。今日もお疲れ様。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?