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神須屋通信 #14

師走の京都へ

1201(水)
●午前中、糖尿病の定期検診。ここ数年で最悪の結果になった。HbA1cは、7.6。今までは、「レパグリニド0.5mg」を毎食前に一錠飲んでいたのだが、明日からは、これに加えて、「ジャヌビア50mg」を毎朝1錠、食後に飲むことになった。次回の検診は、いつもの三ヶ月後ではなく、二ヶ月後。これから少し節制が必要。
●中村吉右衛門さん死去。77歳。兄より先に弟が死ぬのは渡・渡瀬兄弟と同じだが、やはり早世の観がある。でも、お兄さんもなっていない人間国宝に認定された時はどう思ったのだろうという事が今も気になる。
●運転免許更新手続きの通知がきたので、今月10日に岸和田警察署を予約。コロナのための予約制らしいが、こういう手続きも、すべてスマホで出来るのは便利。

1202(木)
●正体のわからないオミクロン株に世界が戦々恐々としているが、日本では、外国人だけではなく、日本人の帰国まで制限したところ、批判が出て、その部分は修正されることになった。

1204(土)
●与那覇潤「知性は死なない」読了。本の副題は「平成の鬱をこえて」。すでに、この後に書かれた与那覇さんの本を先に数冊読んでいるが、この本こそ新生与那覇潤、「元」歴史学者与那覇さん生誕の生々しい記録。これだけの知性が精神の病から立ち直ってくれたことを、あらためて喜びたい。
●夜は、「ブラタモリ」。今回は富山編。神通川が富山をつくったという話。今年亡くなった義母の関係で、富山は私にとっても第二の故郷のようになったので、特に興味深く見た。

1205(日)
●どうも、近頃、富山づいている。きょうのNHK「日曜美術館」は、富山が生んだ水墨画の鬼才、篁牛人の紹介だった。地元、富山以外ではほとんど無名だった(私も知らなかった)画家の素晴らしい作品の数々に圧倒された。今度富山に行ったら、ぜひとも、牛人の美術館を訪れなければ。
●今日のメディアの話題は、天皇家の愛子さんの成人の儀式だが、ティアラや衣装の事は詳しく解説するのに、女性天皇の問題についてはほとんどどの局も言及しない。

1208(水)
●午後、コナミスポーツで簡単な筋トレ。JR岸和田駅構内のvie de fraceでカフェオレを飲んでから徒歩で帰宅。
●ドイツのメルケルさんは、今日が本当の最後らしい。ここ十数年、実質的なEUのリーダーだった。嫌われ者だったサッチャーさんとは対照的な印象の女性政治家だったが、芯の強さは共通だろう。日本に女性のリーダーが登場するのはいつのことだろう。

1210(金)
●昼食は「いも膳」。長らくお世話になってきたこの店が今年限りで閉店になると知って、ちょっとしたショック。これから昼ご飯に困るなあ。貝塚食堂にばかり行けないし。家内に昼食までつくれとは言えないし、私は料理が出来ない。
●いったん帰宅後、岸和田警察へ。免許の更新。手続きは順調に終わったが、視力検査の時、合格ギリギリの数値だとまったく意外な指摘を受けた。近視が進行しているようで、眼鏡のレンズを変えないといけない。
●呉座勇一「頼朝と義時」読了。鎌倉時代の初期が、まさに「仁義なき戦い」の時代だったことが的確にコンパクトに記述されていて、さすがに呉座さんだと思った。実は、この新書本を買ったのは、呉座さんを応援する意味もあった。ネットでの呉座さんの発言が生んだスキャンダルが原因で、京都人文研に准教授として正規雇用が決まっていたのに、それが破棄されてしまったので、呉座さんは無職の状態になってしまった。そもそも、呉座さんほどの実績のある学者が非正規の身分だったことにも驚くが、その呉座さんが、今回は非正規の身分さえも失ってしまったのだ。呉座さんは現在、処分の撤回を求めて裁判で争っている。今回の騒動のそもそもの原因になった事実についてはよく知らないので触れないが、呉座さん「解任」のきっかけになったと考えられる、ネットで公表された、多数のフェミニストや歴史学者が署名したニュースレターを「ネットリンチ」だと、ほとんど孤軍奮闘の状態で批判し続けているのが、与那覇潤さんである。与那覇さん自身は、若くして地方公立大学で正規の地位を得た歴史学者だったが、重い躁鬱病を患って退職したという経歴の持ち主である。与那覇さんが、この問題に深入りする理由は、現在の歴史学会に対する批判の意図もあるようだが、これほどの力量のある日本史学者である呉座さんに対する応援の意味が大きいだろう。今回の事件で呉座さんが失ったのは、学者としての居場所だけではなく、この本の後書きにも書いてあったように、来年のNHK大河ドラマの時代考証という役割だった。来年の大河ドラマは、三谷幸喜さん脚本の「鎌倉殿の13人」。そもそも、この「頼朝と義時」は、この時代考証のための勉強をまとめたものだったのである。「応仁の乱」以来の呉座ファンである私としては、これからもその著書を買い続けることで応援したいと思う。なお、今回、呉座さんとの契約を打ち切った人文研の所長は井上章一さん、教授には、あの磯田さんもいる。もちろん、彼らには人事権はないのだけれど。

1211(土)
●あべのハルカスのジュンク堂で時間調節をした後、ハングル教室を終えた家内と待ち合わせ。二人で大阪市立美術館へ。今日は12月とは思えない暖かい日で、「てんしば」の緑の芝生広場には家族連れやカップルが大勢いた。
●美術館の前には、当日券を求める人たちの列があったが、我々は事前にネットで予約してあったので、すぐに入れた。内部は人で溢れており、コロナ前に戻ったような密の空間になっていた。さすがに「メトロポリタン美術館展」だ。観覧料が一人2,100円もしたのに、この盛況。「西洋絵画の500年」というテーマにふさわしく、ルネサンス絵画から印象派まで、カラヴァッジョやフェルメールも含む、西洋美術史の教科書に出てくる巨匠たちの作品がずらりと並んでいたから、この料金にも納得できる。現在、メトロポリタン美術館は修復中だそうで、だから、こんな企画が成立したのだろう。私たちがニューヨークにある本物のメトロポリタン美術館を見物したのは、もう30年以上前のことだ。その時に何を見たのか、もう記憶にない。たぶん、もうこれからニューヨークに再び行くことはないだろうから、今回の展覧会はありがたかった。観客が溢れる土曜日を選んでしまったのはミスだったが。なにしろ、夫婦それぞれ、毎日なにかと予定があって、夫婦で行けるのは週末しかなかったのだ。
●夕食は、天王寺駅構内MIOの「赤のれん」で。最近すっかり気が緩んでいるようで、マスクなしで歓談する客が多かった。まだまだ気をつけないと。オミクロン株があるからね。
●夜は「ブラタモリ」。今回は白浜。白浜の名を全国区にしたのは昭和天皇の行幸だったという話が興味深かったが、その時に南方熊楠の名前が出なかったのは残念。熊楠は隣町の田辺の人で、昭和天皇は熊楠が好きだった。

1212(日)
●買ったばかりのLEAFと私のiPhoneをブルートゥースで同期させたら、ちゃんと音楽を聴けた。新しい車内オーディオは、CDではなくUSBを使うというので、昨日、わざわざ買ってきたUSBに山下達郎の曲を入れたのに、無駄になってしまった。USBがなくても、iPhoneで音楽を聴ける。こんなところにも車の進化があるのだ。年寄りはついて行くのが大変。なにしろ、私が何十年か前に最初に乗った車にはカセットデッキさえついていなかったから。
●昼、貝塚食堂を出た後、家内の提案で南海の岸和田駅周辺を散策。駅前商店街の寂れぶりを見たり、新しく建ったばかりの14階建てのマンションの外観を見物したり。マンションの建設によって日当たりが悪くなると周囲の住宅では反対運動があったようだ。まだ反対のビラが貼られていた。でも、商店街の寂れようを見ると、マンションによって人口が増えるのは歓迎すべきことなのではないかとも思う。
●アメリカで季節外れの巨大竜巻。大きな被害が出て、死者も多数。怖いのはコロナだけではないようだ。でも、なんでも地球温暖化に結びつけるのはどうかと思う。本当かもしれないが。

1213(月)
●朝食を済ませて京都へ。ほぼ1年半ぶりの京都である。いつもは京都へはJRの「特急はるか」で行くのだが、今回は宿泊ホテルの関係もあって、梅田から阪急の特急に乗って(こちらは特急料金が要らない。)終点の四条河原町駅で下車。
●駅から高瀬川沿いを歩いて、今回の宿泊ホテルである、ゲートホテルへ。まだチェックインの時間前だったので、荷物だけをあずけて周辺散策に出た。まずは、四条河原町の高島屋のレストラン街で昼食をとった。せっかくの京都なのに、私が食べたのはステーキ定食。実は、和食というのは糖尿病患者にはよくないのだ。それに、これからの京都見物のための体力もつけないと。
●昼食後、四条河原町から四条通を烏丸まで歩く。久しぶりなので、京都の町を歩いているだけで楽しい。ただし今回は、いつも行く錦天満宮や錦市場へは寄らず、四条烏丸の交差点までまっすぐに歩いた。建築ファンの私の目当ては、交差点近くにできた「京都経済センター」のビルだった。京都商工会議所やさまざまな経済団体が入居する、京都経済の中枢。建物の外観を見ると、てっきり隈研吾設計かと思ったら、どうやら違ったようである。二階にあがって建物の周囲につくられたデッキから町並みを眺めただけで建物見物は終了。すぐ横に、池坊の短大があった。帰りは市バスに乗って体力を温存。四条河原町まで戻るつもりだったが、思いついて祇園まで乗った。少し戻って、花見小路を歩く。なにやら工事(後で水道管の入替工事だとわかった)をしているようで、せっかくの石畳が剥がされてアスファルトになっている。風情もなにもない。来年か再来年に帝国ホテルが出来るという、祇園歌舞練場の工事現場を過ぎて建仁寺に入った。家内がネットで調べて、来年の干支であり、私たち夫婦の干支でもある寅にゆかりの神社がこの建仁寺の塔頭、両足院にあるらしいと知ったからである。狛犬の代わりに狛虎がいるという。両足院の門扉は閉まっていた。でも、その隣の毘沙門天堂に入ってみると、そこに狛虎がいた。狛虎だけではなく、この御堂の内部にも虎の像があって、絵馬には虎が描かれていた。なんと、売店で虎の縁起物も種々売っていて、家内は、可愛い虎の形をしたおみくじを記念に買った。毘沙門天はもともとインド由来の神様で、四天王の一員として多聞天とも呼ばれるが、虎と縁があるとは知らなかった。
●建仁寺から東大路通に出て、またバスに乗って、歳末の顔見世興行で賑わう南座の前で下車。そこから歩いてホテルに戻り、チェックインを済ませて部屋に入った。荷物は先についていた。このゲートホテルは、京都市立の立誠小学校の跡地に建てられたもので、小学校の建物の一部を保存していて、新しいホテルなのに、すでに街になじんで風格を帯びていた。しかし、内部は最新設備。部屋は広く天井が高く、浴室とトイレは別。驚いたのは洗面が二つ並んでいたこと。最近の高級ホテルではこれが普通なのかもしれないが、料金的には、ゲートホテルは特に高級というわけではないのだ。
6階にある私たちの部屋の窓からは、鴨川越しに東山の峰峰から微かに紅葉のなごりを残す比叡山までを望むことができた。山裾には、清水の朱色の塔や祇園閣の鉾、知恩院の山門、坂本龍馬が眠る霊山墓地など、京都の観光名所が並んでいる。この景観を見せるためだろう、広々としたソファーが窓側を向いて配置されていた。とにかく居心地の良さそうな部屋だった。めったに京都には宿泊しないけれど、これからはこのホテルを京都の定宿にしてもいいなと思ったくらいだ。後で調べると、このホテルはヒューリックという不動産会社が運営しているのだが、先ほど泊まった「ふふ奈良」もこの会社がやっているらしい。都会のリゾート。ターゲットは中高年とか。なるほど、なるほど。
●部屋で少し休憩した後、タクシーで清水寺へ向かった。いまさら、コロナが収まりかけ、修学旅行生らで混雑しているという清水寺に行くなんて、あまりに芸がないが、京都は久しぶりだし、清水の紅葉のなごりが見たかったのである。というわけで、雑踏の清水坂を歩いて清水の舞台に着いたら、つい1時間ほど前に、「今年の漢字」のイベントが終わったばかりだった。書き終えたばかりで、まだ墨が乾いていない、「金」の文字を書いた看板が、ガードマンに守られて飾られていた。また「金」。五輪の年にはいつも選ばれるので予想はしていたが、ちょっとがっかり。私なら、大谷翔平くんの「翔」を選ぶね。あるいはコロナの「冠」か。でも、舞台から音羽の滝へ降りる石段は、まだ晩秋の風情を残していた。やっぱり、清水寺へ来てよかった。
●清水寺から、観光客で賑わう、三年坂、二年坂、ねねの道と京都定番の観光ルートをたどって、いつもは通り過ぎる高台寺を拝観した。ここに入るのは数十年ぶり。この寺は、北政所ねねが夫の秀吉の菩提を弔うための寺だったが、建てたのは徳川家康である。淀殿への対抗心からか、ねねは徳川贔屓だった。境内にある、ねねと秀吉の木像が安置されている霊屋や傘亭、時雨亭などは記憶通りだったが、記憶の中ではこれらの建物は密集していた。今回、久しぶりに見物して、高台寺がこれだけ広大な敷地を持っていることに驚いた。歩きつかれた。境内は、紅葉のさかりは過ぎていたが、まだかすかに紅葉の名残があった。ほとんど人気がなく、美しい景観の中で静かな時を過ごすことができた。これぞ京都。
●高台寺からはタクシーでホテルに戻った。若い頃なら歩いて帰れる距離だが、夫婦とももう年である。それでもかなり歩いたので、ホテルの部屋でしばし休憩。宿泊者が自由に飲料を飲めるラウンジがあるのだが、ここにはチェックインした時に入ったので、一日に二度も只で珈琲を飲むことは遠慮した。
●しばらく部屋で休憩した後、夕食のために外出した。このホテルは、高瀬川沿いの木屋町にあって、四条河原町から三条周辺までの数え切れない店に徒歩で行けた。この夜、私たちが選んだのは、電柱電線が地中化され、すっかり美しくなった先斗町だった。細い路地である先斗町には、両側にたくさんの飲食店が並んでいるが、大阪人の私たち夫婦にはちょっと敷居が高い感じがして、今までどの店にも入ったことがなかった。今回、なにしろ久しぶりの京都だし、思い切って入ったのは「卯柳」という店だった。二階の広い座敷に通された。客は私たち夫婦だけ。窓の下には鴨川が流れているが、もう暗くなっているので、景色は見えなかった。マスクで顔はわからないが、アルバイトらしい可愛いい女性が接客してくれた。刺身の盛り合わせなど、普通の居酒屋料理を注文した。さすがに良い素材を使っているようで、美味だった。普段、私たちが居酒屋で使う料金の倍以上の金額だったが、満足して店を出た。私たちがいる間、他の客は一人も来なかった。その夜は、ホテルに戻って広々とした浴槽で疲れをとり、早めに寝ることにした。ベッドも上質な白いパジャマも快適だった。

1214(火)
●今回のホテルには大いに満足していたのだが、朝食をずいぶん待たされたのは大減点。コロナの影響で、席数を減らしたり、ビュッフェ形式に出来ないことも理由にあるのかもしれないが、朝食会場に入るのに10分も待たされたのは初めてだった。朝食の内容自体には満足したのだが。
●10時前にチェックアウト。家内によると、ワクチン接種済み証を見せたら割引になったそうだ。ホテルを出て、阪急四条河原町から四条烏丸へ。地下鉄に乗り換えて、東西線の東山駅で下車。駅のロッカーに荷物をあずけて岡崎へ向かった。ホテルから三条京阪まで歩けば、そのまま地下鉄東西線に乗れたのにと気づいたのは、地下鉄が三条京阪駅を通過した時だった。ずいぶん遠回りしてしまった。
●この日、私たちが向かったのは、平安神宮の巨大な朱い鳥居の近くにある、かつての京都市美術館が生まれ変わった、京セラ美術館だった。考えてみると、一年半前に京都に来たのは、この美術館の開館記念展を見物するためだった。今回は、開館一周年記念展「モダン建築の京都」を見るのが、京都に来た主目的だった。久しぶりに京都に来ること自体が目的だったと言えなくもないけれど。
●建築ファンである私にとっては、明治以降の京都の名建築を模型や図面で概観する「モダン建築の京都」展は、ぜひとも見ておきたい展覧会だった。実際に、とても興味深い展示だった。特に、私がかねて敬愛している伊東忠太やヴォーリズの作品がいくつか紹介されているのが嬉しかった。
●美術館のカフェで休憩しようかとも思ったが、もう昼なので、そのまま疎水ぞいに南禅寺まで歩くことにした。目的は、もう50年も贔屓にしている湯豆腐の老舗「順正」である。予約はしていなかったが、平日だから大丈夫だろうと思った。その通り、すぐに中に通された。この50年の間に、順正はどんどん発展しているようで、美しく整備された日本庭園の周りに、いくつも棟がたっていた。この日、私たちが通されたのは、初めて入る、最も奥にある棟だった。昔は靴を脱いで、漢方薬の看板がたくさん壁にかかった畳の大部屋で食べたものだが、新しくできたいくつかの棟は、いずれも、土足で入れる椅子席である。この日は、私たち以外にも何組も客がいて、棟内は賑わっていた。湯豆腐のコースは昔ながらの順正の味だった。
●食後、すっかり満腹になったので、腹ごなしに南禅寺の境内を散策して、今回の京都観光は早めに終了。帰り道で、有名な老舗「瓢亭」の裏手に「ふふ京都」の建物があることを知った。近くの建物のいくつかに、建築反対の横断幕が貼られていた。同じようなものを「ふふ奈良」でも見たなと面白く思った。チラリと見た限りでは、「ふふ奈良」と同じく、「ふふ京都」の建物が景観破壊をしているとは思えなかった。ゲートホテルの窓から見下ろした印象では、京都の街の景観はすでに破壊されている。パリなど、ヨーロッパの都市と比較して、日本の都市は醜悪とも言えるほどに混乱している。京都でさえだ。日本という国は、こと建築に関してはアナーキーなのである。これは行政の責任だ。せめて、鴨川から東山にかけての地くらい、かつてのパリのような大改造ができないものかといつも思う。もちろん、全面的に低層化するのだ。そして木の街にする。今は不燃の木材ができているから。

1216(木)
●太極拳教室に行く家内を駅まで送迎。迎えの車中で、先日録音したUSBで山下達郎を流した。とても良い感じ。
●録画してあった「日本沈没」の最終回と、amazon primeで「鬼滅の刃 遊郭編」のエピソード1を見た。「日本沈没」はよくできたドラマで、私は未読だったが、谷甲州と小松左京が共作した、第二部のエピソードも加えられていたようで、ありがたかった。でも、このドラマを見た人の何割が、自分たちが将来難民となる可能性を考えただろうか。絵空事としか思えなかったのでないか。天災列島ではあるが、日本列島は、日本人にとって、あまりに居心地が良すぎるのだ。
●亀山郁夫「ドストエフスキーとの旅」読了。亀山さんは私よりも二歳年長の団塊世代。昔なら、70歳を越えた学者が書くエッセーは、もっと枯れたものだったと思うが、亀山さんの文章は、まるで鋭利な才能と熱い心をもった若者のものだった。だからこそ、中年を越えてもドストエフスキーと格闘を続けられたのだろう。三浦雅士さんが言うように、ドストエフスキーは基本的に青春文学である。それにしても、その世界を股にかける行動力はうらやましい。もっとも、この本はドストエフスキー生誕200年を記念して今年出版されたが、内容は、かつて違う出版社から出版されたものの増補版だったらしいので、老人らしい文章でないことは当然だったのかもしれない。なお、亀山さんが大江健三郎や村上春樹の読者でもあったことにも親しみを覚えた。
●ついでに、私自身のドストエフスキー体験を書いておくと、「カラマーゾフの兄弟」は若い頃に、「白痴」は社会人になってから読んで感動した。「悪霊」は読んだことは読んだが、英訳で読んだので、内容が、頭はともかく魂には入ってこなかった。たぶん、登場人物の誰にも感情移入できなかったのだろう。亀山さんは、できれば「悪霊」は危険な書だから読まない方がいいと言っている。その亀山さんが若い頃に読むべきだと言った「罪と罰」は、どういうわけか、ラスコーリニコフの殺人のシーンまでしか読んでおらず、その後の彼の運命を知らないままだ。その他の作品は読んでいない。なお、アンリ・トロワイヤの分厚い「ドストエフスキー伝」は読んでいる。我が家の書棚には、広辞苑なみに分厚くて真っ黒な「埴谷雄高ドストエフスキー全論集」が長年眠っているのだが、今年が読むチャンスだった。でも、もう今年も残りわずかだから、来年にするか。

1217(金)
●北新地で悲惨な事件が起こった。ビルの中の診療所での放火殺人で24人が亡くなった。(その後、死者は一人増えた。)京アニの事件を思い出す。2カ所以上の避難経路を義務づける消防法の改正が必要だ。(消防法は改正されているが、古いビルには適用されていないのだそうだ。)
     
1218(土)
●昨日放火された診療所は、精神科で、失業保険を受給したり職場復帰(リワーク)したりする場合に、ここの診断書が必要だという施設だったらしい。現在病院で手当を受けている犯人は患者だったという。つまり、何らかの逆恨みの上での犯行で、ますます京アニ事件と共通している。やりきれない。とても評判の良いお医者さんらしかったし、多数の犠牲者があまりに気の毒だ。
●LAUREN GROFF "FLORIDA" 読了。文学賞受賞作でもない、未知の女性作家の短編集をどうして読む気になったのか、もう記憶にない。たぶん、新聞の書評欄かtwitterで激賞されていたんだろう。確かに、読んで損をしたということはなかった。でも、古希を超えた男性である私が、どの程度これらの短編の繊細な感覚を味わうことができたのかは疑問だ。やはり女性向きだろう。短編の全てはフロリダを舞台にしているか、北部の出身だが、今はフロリダに住んでいる女性が海外旅行をする話だ。蛇がよく登場する。フロリダには蛇が多いのだろうか。それとも蛇は何かの象徴か。蛇以外にも、先日読んだ「ザリガニが鳴くところ」を思わせる自然や生物の詩的な描写が記憶に残る。全体的に、オチのある、切れ味の良い短編というよりは、ヴァージニア・ウルフ風の意識の流れ的に、人生の一場面における感情の微妙なゆらぎを切り取っただけで、結論がない話が多い。でも、文章がうまいから、読後感は悪くなかった。なお、この短編集のおかげで、ブラジルのSalvadorや、フランスのAportという、初めて聞く海外リゾート地の名前を知ることができた。世界は広い。さっそく、YouTubeでどんな地か確かめてみた。便利な世の中になった。もちろん、映像と実際とはまるで違うのだが。

1219(日)
●今日は、さまざまなスポーツイベントがあった日だが、どれも見なかった。浦和が優勝した、天皇杯サッカー決勝が今日だとは知らなかった。毎年やっていた元旦の試合はないのだろうか。甲子園ボウルは、関学が圧勝して大学日本一。
●夜は「青天を衝け」と「王女ピョンガン」。前者はいよいよ来週が最終回。話題の「M1グランプリ」は、例年通り、見なかった。最近は、芸人があらゆるところで幅をきかせすぎていると思う。

1220(月)
●デジタル庁がつくったワクチンパスポートアプリの評判が、ネット上では良いし、マイナンバーカードを持っているので自分でもやってみた。なるほど操作は簡単だったが、なんと、私は2回接種を受けているのに、接種したという記録がなかった。これはデジタル庁ではなく、基礎データを管理している、私の地元の岸和田市の責任なのだろうと思うが、いったい何をやっているのか。

1221(火)
●朝、念のため、もう一度ワクチンアプリを試したら、今度はスムーズに2回接種のデータが出た。どういうことだろう。サービスは昨日からのはずなのに、岸和田だけ今日からだったのか、それとも、昨日の私の操作が間違っていたのか。
●今年最後の中国語教室。全員出席。授業中に、テープでヒアリングの練習もしてくれるのだが、聞き取れず。我ながら、10年もやっているのに、ちっとも進歩していないなと落胆する。
     
1222(水)
●朝ドラ「カムカム・・」は面白いが、あまりに展開が早くて、ながら視聴が出来ないのが欠点なのだけれど、今朝はその絶頂だった。ヒロインが上白石萌音から深津絵里に最後で入れ変わる。その前が怒濤の展開。映画一本分の展開を15分間に詰め込んだ感じ。消化できない。胃もたれがする。
●初めてのオミクロン株の市中感染が大阪で確認された。さて、どのくらいのスピードで日本中に拡がるのか。重症化率は低いと言われているが、心配なことだ。

1225(土)
●ハングル教室に行く家内をLEAF で駅まで送る。新車を運転するのは緊張する。
●2ヶ月待たされたiPadがようやく入荷したというので、帰宅した家内と一緒に、ジョーシン電機に行った。買ったのはiPad第9世代。スマートキーボード込みで58,600円。applepencilは買わなかった。店員によると、今日一気に大量入荷したそうで、アップルからのクリスマスプレゼント。長年愛用していたiPad Air2はバッテリーがへたって、充電ができなくなっていたので、新しいiPadを待ちわびていた。なんとか間に合った感じ。それにしても、半導体不足の影響は大きい。
●今日はソ連崩壊から30年目の記念日だそうである。そんなに時間が経過したとは思えないが、クリスマスに崩壊したという事はすっかり忘れていた。主役だったゴルバチョフはまだ健在。いつか、同時代の貴重な記録として、彼の伝記か回想を読んでみたいと思っている。でも、改めて考えてみると、若い人たちはソ連という国を知らないんだな。

1226(日)
●夜は、最終回の「青天を衝け」と「王女ピョンガン」。「青天を衝け」は例年よりも放送回数が少なかったのは残念だったが、とても素晴らしい出来だった。特に今夜の最終回は、このドラマの制作者たちがいかに澁澤栄一に心酔していたかを示すような感動の内容だった。主演の吉沢亮は若さで最後まで演じきり、慶喜役の草薙くんは演じすぎない自然な演技で出色だった。他の役者たちも皆素晴らしかった。この作品は、NHK大河の長い歴史の中でも記憶されるべきものだと思う。来年からは三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」。これもまた、今から楽しみだ。

1227(月)
●寒波襲来。各地で大雪。大阪では雪は降らなかったが、とても寒い一日。
●飯嶋和一「星夜航行」読了。文庫本上下で合計1500ページ。簡潔ではあるが、会話が少なく密度の濃い描写ばかりの1500ページは、読むにも時間と体力を要した。さすがに飯嶋和一、圧倒された。父親である家康によって殺された信康の小姓から始まり、助左衛門の下で国際貿易商人となり、最後は李氏朝鮮の役人(?)になって日本を訪れるまで、戦国末期を生き抜いた主人公の沢瀬甚五郎の国境を越えた波乱万丈の人生は、澁澤栄一にも劣らない。司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、日露戦争のシーンが長すぎると、時に批判されるように、この小説も、秀吉の朝鮮侵略戦争である、文禄・慶長の役の描写が長すぎると思わないこともなかった。なにしろ、その間、主人公の姿が消えてしまうのだから。でも、時には小説としての完成度を犠牲にしてでも書きたいことを書くからこそ、飯嶋和一の小説はいつも、「よく出来た歴史エンタテインメント」以上のものになっているのだ。

1228(火)
●郵送を頼んでいた運転免許証が届いた。次回の更新は2026年(令和08年)、やっと免許証も西暦との併記が採用されて、次の更新がいつなのか分かりやすくなった。
●昼食は「いも膳」。今日の午後で閉店のはずだが、店内に、長年の愛顧に感謝する貼り紙もなく、まったくいつも通りの営業。本当に閉店するのだろうか。

1230(木)
●國分功一郎+千葉雅也「言語が消滅する前に」読了。この二人の哲学界の若き俊秀は、私の子供ほどの年齢だが、この対談集を読むと、私が愛読している、私の同学年でもある、内田樹さんや高橋源一郎などと共通する考え方を持っているようだ。リベラルではあるが保守にも理解を示し、精神の貴族性を重視する態度。つまり、ネガティブではなくポジティブな思考をいつも心がけ、なによりも主体性を大事にするとともに、言語に対する信頼感が失われつつある日本の現状への危機感を共有している。こういう人たちが、大学の教壇に立ち、その著書が現代の若い学生らに人気があるらしいことを、末頼もしく思った。
●今年はコロナ禍の下、本来ならば、読書量が増えてもよかったのだが、私生活でいろいろな事があって、近年で最も読書量の少ない一年になってしまった。来年からは量よりも質を目指すかな。
     

 
     

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