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今月読んだ本 (8)

2023年11月

 今月もいつも通り、kindleでの英語の本の読書から。今月は、DAVID GRAEVER+DAVID WENGROW"THE DAWN OF EVERYTHING"を読みました。共著ではあるけれど、あの「ブルシットジョブ」のグレーバーの遺作、従来の先史時代のイメージを書き換えた傑作、アメリカでベストセラーなどという諸情報を目にすれば、誰もが一刻も早く読みたくなりますね。私もまさにそうでした。でも、日本語で「万物の黎明」として刊行された書籍はなんと5,500円の分厚い本。でも、英語の電子本ならamazonで1,500円で手に入りました。というわけで早速読み始めました。近代政治学の祖であるホッブスが相互闘争の時代として否定的に描き、ルソーがそれとは正反対に理想化した、国家形成以前の先史時代。

 ルソーは、先史時代の人類には不平等はなかったと言ったわけですが、グレーバーらは、では、人類に不平等が生まれたのはどの時点なのだろうと、日本の三内丸山遺跡の発掘調査を含めて、世界中の考古学や人類学の文献をあさって探求を始めます。まず解ったことは、実はルソーはアメリカ新大陸から宣教師たちがもたらした原住民の情報に大きく影響されていたことでした。宣教師たちが見た現地の人々は基本的に平等で、同時代のヨーロッパ人よりもよほど人間的にも優れた人たちだったのです。

 グレーバーらは、「サピエンス全史」のノヴァル・ハラリや、「昨日までの世界」のジャレド・ダイアモンドなどが言う、人類が平和であった自然採集の時代から農業生産の時代に移った事が不平等と闘争の始まりだと書いた事を批判して、彼らは結局はルソーの説を繰り返しているにすぎず、さらには聖書の創世記にあるアダムとイブの「楽園追放」の物語を現代的に書いているだけだと批判します。ここまでは面白かった。それから私は方向を失って森の中をさまようような気分になりました。博引旁証というんでしょうか。先ほど書いたように、世界中の遺跡や遺物の話が始まります。しかもそれが長い。私は後悔しました。これは私の英語力だけの問題ではない。そもそも私には基本的に古代史や考古学や人類史に関する知識が欠けている。やっぱり日本語で読むべきだった。というわけで、半ばまで読んだところで挫折して、せめて結論部だけでも読んでおこうと思って読んだのですが、その結論がよく解りませんでした。グレーバーらがこの本で書きたかったのは、人類史はハラリやダイアモンドの書いたような単純なものではないよということだったのでしょうか。学者としてはそう主張するのは理解できます。私もその通りだと思いますが、でも、この浩瀚な書物は、ハラリやダイアモンドの本ほど面白く感動させる読み物ではなかった事は否定できない事実です。私は、嘘はいけないが、歴史もまた物語の一種だと思っている人間ですので、ハラリやダイアモンドの方の肩を持ちたいと思いました。それにしても、この本がアメリカでベストセラーになったというのは本当かな。やっぱり日本語でもう一度読むべきかな。いずれ文庫本になったら読んでみようか。そういえば、ハラリの「サピエンス全史」は最近やっと文庫本になりましたね。

 次に読んだのは、今月、文化勲章を受章された(おめでとうございます。)塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」の文庫本、3と4でした。結局、スパルタに対するアテネの敗北は、民主政か寡頭制かを問わず、ポリス国家としてのギリシャ全体の敗北に繋がった。なぜなら、彼らに替わって台頭したのは、かつて野蛮な国家だと言われた、フィリッポス、アレクサンドロス親子二代の王政の国マケドニアだったからだ。ギリシャを屈服させただけではなく、大国ペルシャをも壊滅させて更にインドにまで達したアレクサンドロスは若くして死んでしまったが、彼が遺したヘレニズム文明は、ギリシャと後につづくローマ帝国との架け橋になったのだというような物語でした。特にアレクサンドロスに関する描写が圧巻で、塩野さんはカエサルを描くために「ローマ人の物語」を書いたように、この「ギリシャ人の物語」では何よりもアレクサンドロスのことを書きたかったんでしょう。

 「ギリシャ人の物語」全巻を通じて、人類の「真善美」の規範を造り出し、また特にアテネは民主政発祥の地として後世において半ば理想化された古代ギリシャが、実は、現代の我々とちっとも違わない社会であったことを塩野さんは教えてくれましたが、文庫本第4巻末につけられた「あとがき」もまた短いけれど素晴らしいものでした。単行本の巻末につけられた文章の再掲ですから数年前の文章になるわけですが、塩野さんは、この「ギリシャ人の物語」を最後に「歴史エッセー」(塩野さんは自らの仕事をそう表現しています。)の筆を断つと宣言されました。驚きました。司馬遼太郎さんが晩年にもう小説は書かないと宣言された時と同じくらい驚きました。断筆宣言をした塩野さんは、自らの作家生活を短く振りかえります。大学を卒業し、海外を放浪している時に、中央公論の編集長になる粕屋一希さんと運命的に出会い作家として出発します。その時、編集者として塩野さんの作家生活に同行することになった編集者が塙嘉彦さんでした。塙さんは、大江健三郎と東大仏文同期で、後に文芸誌「海」の編集長として、日本の文学界に大きな影響をもたらした伝説の編集者です。筒井康隆も村上春樹も、塙編集長から大きな刺激と励ましを受けた作家たちの一員です。そんな塙さんが塩野さんの同行者だった。白血病で若くして亡くなった塙さんの枕元で、塩野さんがこれからも書き続けると約束したという文章を読んで、思わず涙が浮かびました。塩野さんの「あとがき」はそんな回想とともに、長年の執筆を支えてくれた読者への感謝で閉じられていました。巻末には、処女作以来の「歴史エッセー」の一覧表もついていました。長年の塩野ファンである私は大半を読んでいますが、未読の著作もまだいくつかあります。まだまだ楽しみは続きそうです。なお余談ですが、この塩野七生さん、須賀敦子さん、そしてヤマザキマリさんなど、イタリアと所縁のある日本女性はどうしてこうも皆さん魅力的なんでしょうね。もう一つ余談を書くと、アレクサンドロスの
遠征行程のひとつにガザの地名がありました。古い街なんですね。ついつい、現在のガザの人たちの事を考えてしまいました。

  次に読んだのは、立花隆「エーゲ 永遠回帰の海」でした。私は立花さんも長年敬愛していたので、本棚に立花さんの本がたくさんありますが、膨大な仕事を遺された立花さんですから、未読の本はまだまだたくさんあります。今回は、そんな本の中から、ギリシャつながりという意味で、この本を選びました。文庫本ですが、紙質を含めて写真集のような美しい本です。立花さんの解説によると、田中角栄裁判の取材が一段落ついた時、立花さんは二つの仕事をしました。ひとつは「宇宙からの帰還」に結実した取材。もうひとつが、エーゲ海周辺の遺跡を見て回る月刊誌の仕事でした。この仕事は写真家の須田慎太郎という方との共同作業でした。月刊誌への連載が終わった後、すぐに書籍化する予定でしたが、立花さんに時間がなくなります。また田中角栄の裁判が再開されたのです。いつまで経っても本にならないので、須田さんが写真だけの個展を開くことになりました。立花さんはその個展のために解説の文章を寄せます。それを見た編集者が、これで本に出来るじゃないかと立花さんを説得しました。というような経緯でこの本はできました。40代でした旅の記録を60代で出版したこの本は、立花さんにとって特別な感慨がある本だという事がよくわかりました。私は今でも、立花さんの本来のフィールドは宇宙や科学や哲学や芸術の分野にあったと思っていますので、依頼があったとはいえ、立花さんが田中角栄をはじめとする日本の政治などというつまらないものに多くの時間を費やしたことを大きな損失だと思っています。でも、とりあえず、当初の構想とは違ったささやかなものであったとしても、このような美しい本が遺されたことを喜びたいと思いました。

 立花さんの没後に放送されたNHKスペシャルの題名は「見えた 何が 永遠が ~立花隆 最後の旅」というものでした。今回、この「エーゲ 永遠回帰の海」を読んで、迂闊なことに、これがランボーの詩句の引用であったことを知りました。この紀行文に立花さん自身が引用していたんですね。本のあとがきに立花さんはこう書いています。「連載を終えてから、それを完成稿にするために、ほぼ半生を私はかけたことになる。それだけの中身がここにつまっているともいえるし、まだまだ足りないような気もする。見えた 何が 永遠が といま本当にいえるのだろうか、と自問しっつ私は本書をここに手放そうとしている。」この本を読み終えた私は、立花さんにこう言いたい。確かに見えましたよ。永遠が。

 立花さんの上記の本の最後にアリストテレスの名前が出てきます。立花さんはギリシャ哲学の源流であるイオニア学派の自然哲学者たちを高く評価し、アリストテレスはかろうじて自然哲学を引き継いでいるが、それ以後の哲学者たちは頭の中で思考をもて遊ぶだけで自然を忘れてしまったと批判して、近代の自然科学に至ってやっと古代ギリシャの自然哲学が復活したのだと書いていました。アリストテレスと言えば、若きアレクサンドロスの家庭教師を務めた事でも有名ですね。というわけで、良い機会なので、長年の懸案だった、「世界の名著 第8巻 アリストテレス」を開いてみることにしました。といってもちゃんと読んだのは、田中美知太郎さんによる解説だけで、他はざっと眺めただけなんですが。アリストテレスが20年間もプラトンの元で学んだことは塩野さんも書いていたことですが、この解説で、師の死後にアリストテレスがマケドニアでアレクサンドロスの家庭教師になったのは、
彼の父親が元々マケドニア王家の侍医だったからだということを知りました。アレクサンドロスが東征の旅に出た後、アリストテレスはアテネに戻って自らの学校を開きますが、どうやらその時すでにアテネの支配者だったマケドニア王家からの資金援助があったらしい。アレクサンドロスの死によって、もともとマケドニアに反感を持つアテネにいづらくなったアリストテレスは異郷に逃れて、そこで亡くなります。そういう伝記的な事実を知っても、アリストテレスの学問理解とは関係がないんですがね。

 昔、SF少年だった頃に、ヴァン・ヴォークトの「非(ナル)Aの世界」というSF小説を読んだ事があります。内容はとっくに忘れましたが、題名だけは今も覚えている。このAはアリストテレスの事なんですね。主人公が、非アリストテレス的な思考法で敵と立ち向かうという話だったと思います。当時、非アリストテレス的思考法って何だろうと疑問に思ったものです。どうやら、演繹的ではなく直感的な思考という意味だったようです。いずれにしても、アリストテレスは、少なくとも欧米においては、全ての学問や考え方の基盤と言える地位にあったのでしょう。師匠であったプラトンではなくてアリストテレスなんですね。とにかく、政治学、形而上学、動植物や気象を含む自然学、倫理学など、実に多様な学問分野の創始者となりました。田中先生の解説によると、アリストテレスの残した文章は膨大な量になるが、失われた文献もまた数多かったろうといいます。でも、これだけの量が現代まで遺されたという事は、何千年にわたって、たくさんの人たちが文章を写し、それを残したからで、アリストテレスはそれだけずっと尊敬されていたのでしょう。なお、この「世界の名著」に収録されているのは「政治学」「詩学」「形而上学」「エウデモス倫理学」のいずれも抜粋でした。アリストテレスの倫理学というと、「ニコマコス倫理学」が、NHKの「100分de名著」にも採り上げられて有名ですが、解説によると、「ニコマコス」は大衆向けの講義録のようなもので、「エウデモス」の方がやや上級者向けなのだそうです。いずれにしても中庸の徳を説いているところは同じかなと思いました。アレクサンドロスはたぶん倫理の講義は受けていないでしょうね。

 大江健三郎「親密な手紙」は、没後に出版された最新のエッセー集です。もとは、10年ほど前に出版された最後の小説「晩年様式集」と同じ時期に書かれたエッセーですが、もう一章分を書き加えて出版する予定だったのが、大江さんの死去によって、この形になったそうです。それぞれは短い文章ですが、大江さんに決定的な影響を与えた伊丹十三との高校時代の出会いをはじめとする、敬愛する懐かしい人々や本たちとの出会いが、あの独特の文体で簡潔に綴られています。塙さんの名前も出てきました。光さんと三島由紀夫の話も興味深かったですね。確かに、もう一章か二章あるとよかったなと思いました。でも、これでも満足です。いったん本を開けば、その著者が生きているか死んでいるかは関係がありません。本の中には著者の魂がいつも生きていて、読者はその魂と自由に対話することができます。その喜びを「読む人」でもあった大江さんほどよく知っていた人はいないでしょう。この小さな本は、大江さんからの「親密な手紙」でもありました。

 ここで、この本を読みながら思い出した、大江さんに関わる私の個人的な思い出を少し書いておくと、大江さんも書いているように、長男の光さんの作曲した曲がCDとして発売された時期に、演奏と講演のイベントが全国で開催されたことがありました。私が住む岸和田市にもこられたので、私も家内と二人で会場に出かけました。大江さんの読者である会社の同僚もわざわざ岸和田までやってきた事を覚えています。その時に、私は、生身の大江さんと奥さんのゆかりさん、そして光さんの三人の姿を初めて目にしたことになります。たぶん、大江さん一家にとっては最も幸せな時期だったのではないでしょうか。とても気持ちのいい催しでした。その時に買ったのか、その後で買ったのかは忘れましたが、光さんのCDは今も大切に持っています。

 もう一つの思い出はもっと古いものです。広告会社のサラリーマンになって数年後、企画部門に異動になったばかりの私は、市場調査という名目で、一週間も東京に出張することになりました。荻窪にあった同期の同僚の下宿に泊めてもらって、東京23区内のあちこちを歩きました。上司のいない、一人だけの出張だったので、時間は自由に使えました。新宿の紀伊國屋劇場で、つかこうへいの「熱海殺人事件」の舞台を見たのもこの出張中の事でした。ほとんど観光旅行ですね。その時に、市場調査とは関係がなかったのに、成城へも行きました。長年敬愛する作家、大岡昇平さんか大江健三郎さんに路上でばったり出会えないかなと思ったんですが、当然ながら、会えませんでした。「親密な手紙」には、そんな大岡昇平さんと大江さんの交流ぶりも鮮やかに書かれていました。野上弥生子さんや安部公房さんも近所に住んでいたことはこの本で初めて知りました。

 もうひとつ思い出しました。先ほど書いたコンサートがあった年の夏、私は家内と一緒にフェリーで四国に渡り、愛媛県内を車で回りました。道後温泉から宇和島まで、県内のあちこちに行きました。その時に、私の希望で、大江さんの出身地である内子町大瀬を目的地のひとつに加えました。その大瀬に向かう際、ルートを間違えた私は、車がすれ違う事ができないほど狭い森の中の細い路を走ることになりました。片側は断崖の道です。運転する私は生きた心地がしませんでしたが、後で振り返ると、これは大江さんが生まれ育った場所がいかに深い森の中にあるかを追体験する貴重な経験だったと言えるかもしれません。(本当はもっと広い道路があったんですが。)無事に大瀬に着いてからひとつの出来事がありました。大江さんの生家を探して一人歩く私(大江文学に関心がない家内は車中で休憩していました)は一人の少女と偶然出会ったのです。東京弁を話す可愛い少女でした。たぶん夏休みで帰省中だったのでしょう。その少女が大江家の場所を教えてくれました。ご近所だったようです。大江さんの生家はもともと商家だったようですが、私が見つけたその町家は、つい最近改築されたのか、小さいけれども由緒ある料亭のような建物でした。表札には確かに大江とありました。たぶん、大江さんのお兄さんが住んでおられたのだと思います。今思い返すと、あの時あの場所で少女に出会ったのは、偶然とは思えなくなりました。ひょっとすると、あの少女は、大江さんの小説から出てきた妖精だったのかもしれない。

 今月最後に読んだのは、松岡正剛+津田一郎「科学と生命と言語の秘密」でした。題名の前に「初めて語られた」とありますが、これは長年プライベイトで対話してきたご両人の対話が初めて公になったということのようです。松岡正剛という人は、立花隆さん亡き後、私が「知の巨人」と仰ぎ見る唯一の人物です。ちなみに、私の個人的な「知の巨人」は、小松左京→立花隆→松岡正剛ということになります。その条件は、文系でありながら、文系と理系の垣根をとびこえた巨大な知の持ち主であることです。もちろん博覧強記の読書家でもある。三人とも質だけではなく量的にも膨大な仕事をした人たちなので、その著作を全て読む事はできませんでしたが、それはこれからも読む楽しみが残されているという事でもあります。松岡さんの著書にも未読のものがたくさんありますが、何度かガンとの闘病から生還された松岡さんからは今後も新しい本がたくさん生まれることを期待しています。

 さて、松岡さんが天才と認めた、数理科学者である津田一郎さん(今回初めてお名前を知りました。)との充実した対話を収録したこの新刊についてですが、正直なところ、話されている内容のほとんどが理解できませんでした。バートランド・ラッセルはその自伝で、自分は頭が一番良かった時に数学を研究し、少し悪くなってから哲学に転向し、さらに頭が悪くなってから歴史を研究したと書いていますが、私は大学で歴史を専攻した人間です。SF少年でもあり、高校時代は理科系の進学クラスにいたのに、結局は数学や物理ができなくて転向しました。そんな人間ですから、津田さんのお話がよく理解できないのは当然ですが、そんな津田さんと対等に楽しげに話しをされている松岡さんの発言内容もほとんど理解できなかったのは、ちょっとショックでした。私は長年の読者のくせに、松岡さんの事もほとんど解っていなかったのだと。この対話の中で、松岡さんが自らの「編集工学」の奥義のような話をされたのは実に面白く読んだんですが、科学的な話になるととてもついていけませんでした。それなのに、とても刺激的でなんとも楽しい読書でした。

 勉強を強いるのではなく、自分では理解できない内容を大人たちが楽しんでいる姿を見せることが、子供たちへの最大の教育なのだという説をかつて読んだことがあって、もっともだと思いましたが、すでに老人になった私が、この訳のわからない対話に知的な刺激を受けてまた勉強しようと思ったのです。そういえば、大岡昇平さんが晩年になって数学の勉強を始めましたね。とりあえず、この対話の大きなテーマのひとつになった「変分」というのが何なのか勉強しようかな。「変分」とは「微分」の親戚みたいなもののようです。思い返せば、私は「微分と積分」あたりで早くも挫折したのでした。なお、この対話は、松岡さん自身が、かなりきわどいとおっしゃっています。私の若い頃に流行した「ニューサイエンス」の臭いもしました。かつて立花隆さんは「ニューサイエンス」に傾倒していると一部から批判されていましたね。「ニューサイエンス」は決してエセ科学ではなかったと思いますが、まあ世の中には「トンデモ」だと思っていた人たちもいますからね。さて、この素晴らしく面白い対話が「予言」の書になるのか、かつての「ニューサイエンス」のように、「トンデモ」視されることになるのか。当然ながら、私には判断ができません。でも、先ほども書いたように、とても刺激的で楽しい読書でした。松岡さんは、デーモンとゴーストの対話だと書いておられましたが、確かに人間離れした対話であったことは間違いありません。


 

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