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神須屋通信 #29

WBCと旅行団

 詳しい経緯は忘れたけれども、長年、年賀状を交換するだけだった大学時代の仲間たちと、全員が還暦を過ぎた頃に再会して、一緒に一泊旅行をしました。残念なことに、その中の一人は早世してしまいましたが、その後、残りの4人で毎年定期的に旅行することに決めました。今月は私が幹事で、滋賀県の彦根と長浜に旅行してきました。お城見物です。2年前に計画し、コロナ禍の影響で中止していた場所です。今回は再チャレンジ。かつてはガラケーさえ所持しないメンバーがいたのに、昨年会ったら、なんとその男がスマホデビューしていました。奥さんに強く勧められたそうです。さっそくLINEグループを結成して「弦月旅行団」と命名しました。いやあ、便利ですね。日程調整など、旅行の打ち合わせが実に簡単になりました。でも、今回、このLINEグループが役に立ったのは旅行だけではありませんでした。今月、日本中を熱狂させたあのWBCの試合のかずかずを、まるで一緒に観戦しているかのような茶の間の役割もしてくれたのです。

 3月9日。我が家の狭い庭で満開になっているキズイセンを発見した私は、その写真と一緒に次の俳句(らしきもの)をLINEグループに投稿しました。実は、LINEグループを結成して以来、70歳を過ぎて初めて俳句の面白さにめざめた、元高校教師のメンバーの一人が定期的にLINEに俳句を投稿していたんです。これはその流れに乗った投稿でした。

 WBC初戦の朝に黄水仙
 黄水仙ころがる球の行くところ

 後の句は、言うまでも無く、草野球をイメージしたものです。これを読んだメンバーも、野球小僧だった時代を思い出したと言ってくれましたが、同時に、黄色という事は「侍ジャパン」の世界一に黄色信号がともったということかという反応もありました。私はそれにはあえて答えませんでしたが、正直なところ、一次ラウンドは突破しても、世界一は無理だろうと思っていました。中南米やアメリカの強さが際立っているように思えたからです。ワイドショーなどのメディアが、やたら世界一奪還を連呼することにも反感を覚えていましたし。

 夜7時から始まった初戦の相手は中国。大谷が二刀流で先発。中国相手なら圧勝だろうという予想と違って、少なくとも前半は苦戦したジャパンに、国際試合の難しさを実感しました。翌日は韓国戦。初戦でオーストラリアに負けた韓国は必死だから怖いと言われていた通り、先発のダルビッシュが打たれてリードされた時には半ば負けることを覚悟しましたが、先取点をとられたその回に日本は反撃を開始、最終的にはコールドゲーム寸前で大勝しました。これで一次ラウンド突破は確実。たしかに大谷の存在は大きいが、ヌートバーと近藤の1、2番の活躍が目立っていました。また、この試合はダルビッシュを負け投手にしないために全員が結束したという見方があるくらい、キャンプから合流してチームの和をつくりあげてきたダルビッシュの役割も大きいでしょう。

 3月11日に、東日本大震災で身内をなくした佐々木朗希をチェコ戦に先発させて勝利。翌日の一次ラウンド最終戦のオーストラリア戦の先発は山本由伸でした。安心して見られる試合です。その日、私たち夫婦は地元岸和田の「南海浪切ホール」で開催された森山直太朗の「素晴らしい世界」<後編>ツアーを見ていました。コロナ禍をはさんで久しぶりのコンサートは実に素晴らしい出来で、特に、アンコールで最初はアカペラで次にピアノだけの伴奏で聞かせてくれた名曲「さくら」は絶唱でした。帰宅したら、WBCの試合は終盤にさしかかっていました。大谷君が初回に打ったという特大の3ランはビデオで見ました。これで日本は1次ラウンド4連勝で首位突破。心配していた準々決勝の相手はイタリアに決定。キューバでなくてよかった。これでベスト4、そしてアメリカ行きはたぶん大丈夫だと思いました。世界一をめざす選手たちには健闘を祈るが、前回前々回と同じベスト4でも充分ではないかと思いました。この時点でも、私はまだ世界一を疑っていたわけですね。この日、一次ラウンド首位突破を祝って、LINEにこんな俳句を投稿しました。

 春霞はらう風立ちヌートバー

 私は一次ラウンドの最高殊勲選手は、栗山監督が見出した若き大リーガー、ヌートバーだと思います。打撃に守備に、素晴らしい活躍でした。愛国心の熱狂を誘いがちな国際試合に、母親が日本人だといってもアメリカ人の彼が入っていたことが、今回のチームに明るさと風通しの良さを与えていたと思います。いずれはラグビーのように、日本で数年間以上活躍する外国人選手はみんなジャパンでよくないかとさえ思いました。あっ、そうすれば大谷はアメリカチームの一員になるのか。それはまずい。

 イタリア相手の準々決勝も安心とは行かず、なかなかハラハラする展開でしたが、大谷とダルビッシュがともに登板する全員野球で、日本は準決勝に進みました。いよいよベスト4。決戦の舞台はアメリカ、マイアミ。3月21日。朝ドラ「舞いあがれ!」を録画設定して、朝8時からWBC準決勝を見ました。対戦相手はメキシコ。終盤まで3-0で負けていて、日本はチャンスは作ってもタイムリーが出ず、ほとんど負けを覚悟しかけた時に吉田正尚のスリーランで追いつきました。まさに起死回生。でも、再び2点差をつけられて迎えた9回裏。先頭打者の大谷が二塁打。続く吉田は四球。そして、今大会中絶不調、この日も3三振で、代打を送られかけていた村上が土壇場で逆転サヨナラの2塁打。まさに劇的な幕切れとなりました。

 神様の出番が来たぞ村の春
 大いなる谷越え来たる村ツバメ

 そして3月22日。いよいよ決勝戦です。相手はアメリカ。これ以上ない舞台が設定されました。正直、勝てるとは思っていませんでしたが、村上と岡本がホームランを打ち、ダルビッシュと大谷も投げて、3-2の勝利。強打のアメリカを抑えた投手陣の頑張りが目立った、しびれる試合でした。最後の大谷とトラウトのエンジェルス対決はこれからも長く語り継がれるでしょう。14年前の世界一の興奮が久しぶりに蘇りました。今大会のMVPは大谷ですが、吉田正尚の貢献の大きさも忘れてはいけません。そして、投手陣の精神的主柱になったダルビッシュも。それにしても、今大会のこんなシナリオを誰が書いたのか。なにもかも、あまりにも上手くいきすぎた感じで現実感がありません。まるで漫画です。まあ、大谷の存在そのものが漫画なので、全てが彼の宇宙の中の出来事だったのかもしれません。それにしても、一ヶ月間も、良い夢を見せてくれたのだから文句はありません。少年時代から野球ファンでしたが、最近はテレビの野球中継を見なくなっていたのに、久しぶりに野球に熱中しました。栗山監督はじめ、選手やスタッフ関係者の皆さんには感謝しかありません。ありがとう、そして、おめでとう。

 この国に生まれてよかった花盛り

 弦月旅行団の彦根&長浜の旅は決勝戦の翌日でした。初日はあいにくの雨でしたが、そんなことは問題ではない。会ったとたんに話がはずみました。話題はもちろんWBC。一泊旅行が無事に終わって帰宅した私は、こんな俳句を投稿しました。

 昼も夜も野球談義の春湖北

□今月読んだ本

 まずは、CIXIN LIU "BALL LIGHTNING" 。今や中国を越えて現代SFの世界的な古典となった「三体」三部作と同じ時期に書かれ、「三体」より先に発表された作品。日本語訳の題名は「三体0球状閃電」。それにしても、私と同じくA.C.クラークを尊敬しているという劉慈欣の巨大な才能と長距離ランナーのような持続力には感嘆するしかありません。理科系の緻密な頭脳と誇大妄想的な構想力が一緒になっているのだから、天下無敵です。コンピューター付きブルドーザーと形容された小松左京が日本沈没を科学的に描いたように、劉慈欣は巨大電子サンダーボールの存在をいかにも科学的に描写しきりました。「三体」でも量子が重要な役割を果たしましたが、この作品では電子そのものが主人公です。サッカーボールほどの巨大な量子を、007にちなんで、サンダーボールと名付けたのは面白いが、なによりも面白いのは、その量子をつかった光球に襲われた人間は、量子的な情況、つまり、シュレジンジャーの猫のように生きているか死んでいるかわからない状態になるという、まさに劉慈欣にしか書けないような魅力的な大嘘です。楽しい読書でした。読み終えた後、主人公の一人、天才物理学者のディン・イーが「三体」にも登場していたことを知りました。なるほど、この物語は、著者がいうとおり、「三体」の前日譚だったのですね。

 阿部和重「オーガ(ニ)ズム」は著者の故郷神町を舞台にした「神町サーガ」3部作の完結編です。文庫本上下2巻の長編ですが、それにしても、WBCのせいで読書に集中できなかったせいか、なんと読了に半月ほどもかかってしまいました。そのせいもあって、読後の印象は散漫なんですが、それは小説自体のせいもあるんでしょう。なんというか、阿部和重の小説は人生の教訓にはならないし、ひとつのあらすじで語れるようなものでもありません。物語の骨格ではなく細胞のひとつひとつが魅力的なのです。神は細部に宿るという言葉を思い出させるほどです。もともと映画批評の世界から登場してきたという出自のせいか、言葉で紡いだ雑多な映像作品のような世界、それが阿部和重の小説だと思っています。3部作の前2作「シンセミア」と「ピストルズ」についても、さて、どんな物語だったのかもう記憶がありません。でも、それでいいんです。とにかく幸福な読書の時間を味わえたという記憶だけはあったので、この小説が文庫化されてすぐに購入したのでした。そして、前2作の記憶がなくても、この小説は独立して充分楽しむことが出来ました。ハリウッドのスパイコメディのようでもあり、最後の場面は未来になったから、これはSFでもありました。それにしても、オバマ大統領やキャサリン・ケネディ大使も登場するこの小説は、英訳が可能なのかが気になります。ところで、この3部作は題名にも凝っています。「シンセミア」は種なしの大麻の花という意味だそうだし、「ピストルズ」は雌しべという意味だそうです。これらは3部作の主人公である菖蒲家の男系の血が絶えて女性に引き継がれたことを示しているようなのですが、さて、今回の「オーガ(ニ)ズム」は何を意味しているんでしょう。英語ではorganismは有機体、orgasmは性的絶頂の意味ですが、さて。

 今月の3日に大江健三郎さんが亡くなっていたというニュースを聞いて、追悼の読書をしました。88歳という年齢を考えれば、なかば覚悟していたことですが、高校時代から愛読していた作家の死にはやはり感慨深いものがありました。中上健次と村上春樹が大江さんのそれぞれの部分を引き継いだ作家だと言われるくらい、ノーベル文学賞を受けた大江さんは現代日本文学の根幹となる巨匠でもありました。でも、敬愛していた作家&批評家の丸谷才一さんは、日本の近代文学には3つの柱があり、それはモダニズム小説、プロレタリア小説、そして私小説だと定義して、モダニズムの代表は村上春樹、プロレタリアの代表は井上ひさし、私小説の代表に大江健三郎の名前をあげました。大江さんを私小説作家だと規定するのは大胆ですが、確かに、障害のある長男の光さんが生まれて以来の大江さんの小説は私小説的だと言えるでしょう。今回私が追悼読書に選んだのは「二百年の子供」です。2003年に読売新聞に連載された小説で、船越桂さんの挿絵がたくさん入った美しい本でした。大江さんによると「永い間、それもかつてなく楽しみに準備しての、私の唯一のファンタジーです。」ということですが、あきらかに大江一家をモデルにした、障害のある長男ら三人の子供たちの四国の森での過去への時間旅行の物語でした。ここでいう過去とは、大江さんがかつて書いた四国の森の物語の過去のことです。ここで時間旅行に使われる木の「むろ」というのは、たぶん読書の事なのだろうと思います。膨大な読書によって人格形成をしてきたと自覚する大江さんが、豊富で多様な読書によって想像力を身につけて欲しい、そして助け合って平和を追求してほしいという、光さんをはじめとする自己の3人の子供たち、そして世界中の子供達に向けたメッセージがこのファンタジーに込められているのでしょう。ご冥福を祈ります。


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