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チョン・ヤギョンなんて知らない 「第九回」

                最終回


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 また淫らな夢を見てしまった。仙石さんは思わず股間に手を伸ばした。ペニスは硬く勃起していた。まさか、中学生の時のように夢精していないだろうな。もうすぐ還暦だという男が。触ってみると、どうやら夢精はしていないようだった。仙石さんはほっとすると同時に、夢精するほどの精力が自分にはすでに失われていることを少し残念に思った。仙石さんが杉本さんの夢を見るようになったのは、杉本さんから韓国語の個人レッスンを受けるようになってからである。それは徐々に性的なものに変化していった。ほとんど毎晩見る夢の中で、いくらか若返った仙石さんは裸体の杉本さんの温かく柔らかい肌を何度も抱きしめた。夢なのに、朝になっても杉本さんの肌の感触は、仙石さんの確かな記憶として生々しく残っていた。不思議だった。そういえば、「寅さん」映画はいつも夢のシーンで始まったなと、仙石さんは自分でも面白がった。最近、朝立ちしているのが当たり前になった。長らくなかったことである。また青春が戻ってきた。かつて、仙石さんが高校生の時、当時愛読していた焼け跡闇市派と呼ばれた流行作家が、「青春とは、その性生活の主要部分が自慰で構成されている時期を言う」と言った。高校生の時、仙石さんはオナニーをし過ぎて病気になるんじゃないか、あるいは、馬鹿になるんじゃないかと不安に思うことがあったくらい自慰にふけった。兄は、そんな仙石さんのことに気づいていたようである。だから、仙石サンが馬鹿にならずに大学の入試に合格した時、仙石さんを、昔の赤線地帯に連れていってくれたのである。相手の女性は優しい中年の女性で、兄に頼まれたのか、とても親切に仙石さんに性の初歩を手ほどきしてくれたのだが、ウブな仙石さんは布団を精液で汚してしまった。仙石さんにとって、それは今でも思い出したくない恥辱の記憶だった。それでも、仙石さんは、この時に童貞と確かに決別したのである。結局、一晩で計三度も射精した。若かった。それで、仙石さんの青春は終わったか。終わらなかった。大学生活の四年間、仙石さんの性生活の中心は、相変わらず自慰だったのである。仙石さんは女性に持てなかった。あまりにシャイだったから、自分から女性に話しかけることができなかった。そして、唯一にして絶好のチャンスだった、あの郷里での雪の夜の出来事でも、仙石さんは自らの殻を破ることができなかったのである。

 市役所に勤めるようになった仙石さんは、品行方正な公務員生活を送った。仙石さんの青春は長かった。そんな仙石さんがようやく青春と別れをつげたのは、現在の配偶者である乃里子さんと出会ってからである。二人は結婚した。そして、二人の子供に恵まれた。結婚後、仙石さんは、ほぼ貞淑な亭主だった。愛人をつくるなどという行動は一度もなかった。仙石さんは、いつも自分が公務員であることを忘れていなかったのである。実につまらない人生だ。大垣さんとの一夜を除いて、ドラマになるようなことはひとつもない人生だった。生命力が希薄なのかもしれないと仙石さんは思った。野生動物に生まれていたら、自らの子孫を残せなかっただろうタイプだ。今では乃里子さんとも、もう何年も性交していない。家庭内別居というような状況ではなく、すこぶる良好な関係ではあるのだが、二人は現在では、ともに子育てをした同志のようになっていて、なにやら近親相姦のような気分になるので、互いに性的な事は考えもしなかった。新婚当時は毎晩仙石さんを求めて、仙石さんを職場でウトウトさせ、同僚にからかわれさせた乃里子さんだが、今では、そんなことはすっかり忘れたような顔をしている。仙石さんは、還暦が近くなって、今更自慰もできず、かといって、役所の女子職員と親しくすると、セクハラやパワハラと言われる危険性があるから、必要以上に親しくすることはできず、夫婦共に公務員という恵まれた環境ではあったが、子供二人を大学にまで行かせて生活に余裕はなく、家計の管理は妻まかせなので自由に使える小遣いもない生活では愛人をつくるのはもちろん、一時的な浮気だって簡単ではなかったのである。女好きな男は金がなくても女遊びをするわけだから、お金だけの問題ではないのだろうが、ともかく、仙石さんは、最近ではほとんどセックスレスの生活を送っていた。

自分はこのまま男として朽ちていくんだろうか。もともと性的に淡白なたちではあったけれど、仙石さんはちょっと悶々としていた。もう一花咲かすことはできないのだろうか。定年後は第二の青春だというではないか。そんな日々に、娘のような年齢の魅力的な杉本さんと出会った仙石さんの卑猥な脳内妄想が爆発したのは当然なのだが、相変わらず、仙石さんは実際の行動に出ることができなかった。仙石さんは定年退職の日が来るのを心待ちにするようになった。杉本さんに手出しができないのは、役所でセクハラやパワハラだと言われるのを恐れるためだ。一刻も早く自由になりたい。規制を逃れたい。そうすれば、堂々と杉本さんをホテルに誘えるのだ。でも、誘ったとしたら杉本さんは自分を嫌いになるのではないか。もう会えなくなるのじゃないか。いや、彼女はきっと自分の誘いを待っているに違いない。彼女は父親のような年上の男が好きなんだ。きっと自分のことをなんて意気地なしなんだと思っているだろう。大垣さんの時のように。仙石さんの心は千々に乱れて袋小路に入っていた。でも、そんな仙石さんの悩みはいきなり解決した。杉本さんが、かねてからの希望どおり、ソウル大学校に留学することが決まったからである。二人の関係は、こうして何もないままに終わった。

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 前日の午後にソウルに着いてから今まで、すべてがとても順調だった。空港からリムジンバスで明洞(ミョンドン)のホテルに行き、一人でチェック・インをした。しばらく部屋で休息してから外出して、内外の観光客で賑わう、近くの繁華街をあちこち歩いて見物し、旅行ガイドブックで目星をつけていた韓国料理店で夕食をとった。ホテルでは日本語が通じたので確認できなかったのだが、この店で仙石さんの韓国語がかなり通じることがわかった。仙石さんは自信を持った。夜、日本にいる乃里子さんに電話して無事に着いたことを知らせた後は、ホテルの自室でテレビを見て、生の韓国語を聞いて耳を慣らした。かつて、韓流ドラマやKーPOPの人気のおかげで、急速に親しみを増した日韓関係だが、慰安婦問題や領土問題が韓国で再び採り上げられて、両国の関係は一気に冷え込んでいた。李氏朝鮮の歴史を勉強して、死者の墓まであばいて鞭打つほどの韓国人の激しい気性を知っている仙石さんは、かつて、様々な文化を教えてやったことがある、あの野蛮だった日本に、善なる儒教の国だった自国が併合されたという歴史上の屈辱を韓国の知識人は決して忘れられないだろうと思っていたので、関係悪化は不思議ではなかった。両国の関係が良くなれば、いつか必ず揺り戻しはある。でも、仙石さんが中学生の頃に締結され、戦後の両国の外交関係の出発点となった「日韓基本条約」の、韓国側の当事者であった朴正凞大統領の娘である朴槿恵さんが新しい大統領になった。相手の日本の首相は安倍晋三である。朴正凞大統領とも深い関係があった岸信介の孫だ。この二人なら、これからの日韓関係は良くなるんじゃないか。そんな淡い期待を持ちながらも、冷え切った両国関係に緊張感を持ちながら、仙石さんはソウルにやってきた。でも、実際にやって来たソウルは、あっけない程普通の街だった。

人々は日本人である仙石さんに親切で、反日的な雰囲気はまるでなかった。飛行機に乗ればたった2時間で来れるのに、どうして今まで来なかったんだろう。ヨーロッパにもアメリカにも中国にも東南アジアの国々にも、公務出張や家族旅行で行ったことがあったのに、一番近い隣の国に来たことがなかった。関心がなかった訳ではない。大学時代にその国の歴史を勉強したくらいなのだから。縁がなかったとしか言いようがなかった。初めて見る韓国は、同じような顔貌をした人々の国なのに、いやだからこそか、明らかに空気が違う、文化が違うと感じさせる紛れもない異国だった。でも、多くの日本人が漏らす、街に溢れる看板によるハングル酔いといった症状は仙谷さんには無縁だった。ここ数年の学習効果だ。ハングル文字は、すでに仙谷さんにとってローマ字と同じように親しいものだった。仙谷さんはソウルにいながら、出張で何度も訪れた東京にまた来ているような気さえした。東京の言葉も韓国語も、仙谷さんにとっては異文化の言語だったから。

 翌朝、仙石さんはホテルで朝食を済ませてから、チェックアウトはせず、部屋に荷物を置いたまま、地下鉄でソウル駅に来た。韓国の鉄道網は日韓併合時代に日本が建設した。ソウル駅も日本人が設計した。東京駅ほどの壮大さはないが、赤煉瓦の立派な建物だった。でも、今は使われていない。かつての朝鮮総督府の白亜の建物と同じように壊すという意見もあったらしいが、幸いなことに、ソウル市役所庁舎と同じように保存されることになった。その隣に建設された新しいソウル駅は、金属とガラスの巨大な構造物で、鉄道の駅よりも空港に相応しいような建築物だった。内部は天井がはるか頭上にある広大な空間である。壁がガラスだから外の光が入ってとても明るい。窓口で韓国語でムグンファ号の乗車券を買い、日本のような駅の改札口がないのにとまどいながらも間違いなく電車に乗り、水原駅に無事に着いた。ソウルからわずか30分ほどだった。セマウル号という特急電車もあったが、料金が高いのに、たいして時間はかわらないと杉本さんに聞いていたのでムグンファ号にしたのは正解だった。駅前からタクシーを拾って水原城へ向かった。水原城は、李朝第18代王だった正祖が築いた城だ。設計を担当したのは、若き日の実学者チョン・ヤギョンだった。仙石さんが、長らく丁若鏞として記憶していた人物である。チョン・ヤギョンは、西洋式の煉瓦建築法を取り入れて、かつてない堅固な城壁の城を築いた。正祖はソウルからこの水原へ首都を遷すことも考えていたらしい。正祖がここまで水原の地にこだわったのには理由がある。正祖は、英祖から王位を引き継いだ。英祖は正祖の祖父である。本来、その間をつなぐべき正祖の父親は若くして刑死した。実の父親である英祖によって、小さな米櫃に閉じ込めて殺されるという残酷な刑を受けた。謀反を疑われたのである。冤罪だったと言われる。英邁な王だと尊敬され、長期にわたって王位にあった英祖だが、謀反を指摘する臣下の大官たちの揃っての指弾には抵抗できなかった。王の直系の孫だったとはいえ、犯罪人の子となった正祖は、本来ならば、王になることはできなかった。しかし、英祖は正祖を守った。正祖を別の王族の養子にして、あくまで正祖を後継者として擁立したのである。即位するまでの正祖は、(韓国ドラマによると)いくつもの暗殺未遂事件からからくも逃れ、無事に王になることができた。正式に王になった正祖がしたことは、自分は犯罪者として刑死した亡き皇太子(世子)の息子であることを宣言することだった。正祖は父の陵墓をこの水原に築いた。そして、正祖はこの水原をソウルに替わる首都にしたいと考えた。それは、父親を非業の死に至らせたソウルの旧官僚社会への糾弾でもあった。しかし、その早すぎる死で計画は幻に終わった。水原が朝鮮の首都になることはなかった。それでも今、正祖は、その生涯が何度も映画やテレビドラマで描かれ、ハングル文字を制定した世宗に次ぐ、李王朝で二番目に尊敬される王になっている。チョン・ヤギョンもまた、正祖の死後、長く流刑者として苦難の生活を送ったが、今では、朝鮮後期の大学者として、韓国民の尊敬を集めている。これらは、大学時代の勉強の記憶をすっかり無くしていた仙石さんが、最近、韓国歴史ドラマによって、改めて得た知識だった。

 タクシーは、想像以上に壮大な、頑丈そうな煉瓦づくりの城壁をくぐった。 城壁はとても厚みがあって、今では城壁の上部は遊歩道になっているらしい。観光客らしい、歩く人たちの姿が多く見えた。西洋人らしい団体もいた。さすがに世界遺産だ。しかし、城壁をくぐったのでもう城内に入っているはずなのに、周囲の景観は城壁の外と変わらなかった。相変わらず、沿道には民家や商店や企業のビルが並んでいる。あれ?まだ城内に入っていないのかな。それとも、今のは日本の城郭でいう総構えにあたる外側の城壁で、もうひとつ内部に城を囲む城壁があるのかな。それにしてもなかなか着かないな。そんな風に仙石さんが不安に思い始めたやさき、車は、突然現れた王宮らしい建物の前で停車した。ここが「水原華城行宮」だった。中国や朝鮮では、城とは町のことである。堅固な城壁と城門で周囲を囲んだ中に街があり、その街の一角に王宮があった。水原華城の中の王宮、それが「水原華城行宮」だった。正祖は、ここをいずれは新しい首都の王宮にしようとしたとも、王位を息子に譲った後の隠居所にしようとしたとも言われる。この行宮は、日本の朝鮮併合時代に壊されて病院にされた。さらに、朝鮮戦争によって荒れ果てていたのを、最近になって復元工事が始まったのだという。日本でも人気となった「チャングムの誓い」の一部がここで撮影された。そんなことを、仙石さんは杉本さんから聞いていたのを、タクシーを降りてから思い出した。でも、ここの門前に、チョン・ヤギョンが水原城を建設する際に考案した、重い石を運ぶための滑車が展示されていますよと聞いたことは忘れていた。仙石さんは焦っていた。約束の時間が迫っている。待ち合わせの場所は、「水原華城行宮」の門前ではなかった。この行宮の背後にある小高い山の中腹である。行宮の背後に行く道をみつけて石段を急いで登った。日頃の運動不足のせいなのか年齢のせいなのか、すぐに息切れがした。しばらく石段を登って汗が流れてきた頃にようやく目的地が見えてきた。中国の万里の長城を一部分、短い区間だけ切り取ったような景観を背景にした、正祖の巨大な立像が見えた。その像の足元が杉本さんとの待ち合わせの場所だった。

  あの送別会から一年以上の年月が過ぎていた。その夜のことは、この間ずっと仙石さんの脳裏を離れなかった。送別会が終わってから、仙石さんを最後まで見送ってくれたのは杉本さんだった。話したいことはたくさんあるような気がしたが、仙石さんは、わざわざ送別会に来てくれたお礼を言っただけで、言葉が続かなかった。こんな時は何を言えばいいんだろう。もう還暦を過ぎたというのに、好意を持つ女性の前ではいつも口ごもってしまう。仙石さんは中学高校生の頃からちっとも成長していなかった。父娘ほどの年齢差があるのに、まるで杉本さんの方が年上のような立場になった。杉本さんは、かねてからの念願通り、その前年からソウル大学に正式に留学していた。この日は、仙石さんの送別会に出席するために、わざわざソウルから一時帰国してくれたのである。仙石さんはそのお礼を言った。


 「仙石さんの送別会に出席するために帰国したわけじゃないんです。大学が休みだったから、久しぶりに母に会うために帰ってきたんですよ。児玉さんとはソウルに行ってからでもメールのやりとりをしていて、たまたま送別会のことを知って、ちょうど良い機会だなと、日程を合わせただけです。ですから、気を遣わないでください。」杉本さんはそう言った。そうか、児玉くんとの仲はまだ続いていたのか。仙石さんは、酒の酔いが一気に醒めたような気がした。杉本さんが、仙石さんの部下である児玉くんから結婚を申し込まれていたことは杉本さん本人から聞いて知っていた。ソウルに留学する予定の杉本さんは、その事を理由に申し出を断ったはずだ。でも、まだ関係が切れたわけじゃなかったんだ。児玉くんは諦めていない。初めて児玉くんとの話を杉本さんから聞いた時、仙石さんはきっぱりと杉本さんへの思いを断ち切ろうと思った。もともとが無理な話なのだ。還暦に近い妻帯者の自分が、若くて魅力的な児玉君と張り合えるはずがない。だから、最近の結婚式は仲人なんて立てないらしいけれど、もしよければ、二人の結婚の媒酌人をしてもいいよと杉本さんに言ったのだが、児玉くんと結婚する気はないと杉本さんから聞いて、ほっとしたことを今も覚えていた。それなのに、杉本さんと児玉くんの関係は続いていた。仙石さんはまるで不治の病いでも宣告されたように凍り付いて何もいえなくなった。駅が近づいてきた。仙石さんは杉本さんの方を振り向いて、何か言おうとした。でも、なかなか言葉が出てこない。そんな仙石さんの様子を見ていた杉本さんは、いきなり仙石さんを暗い路地にひきこんだ。そして、仙石さんに軽く口づけした。仙石さん動転してますます硬直してしまった。杉本さんは両腕を仙石さんの背中にまわして強くひきよせた。男女が、そして老若が逆転している。仙石さんはあくまで受け身だった。二人の身体は互いの衣服を通して密着した。「自分は今、確かに杉本さんとキスしている。」そう仙石さんは、自分に言い聞かせた。信じられない出来事だった。どうしてこんなことになったのだろう。これは夢だ、妄想だ。でも、これは現実に違いなかった。そのキスがどれだけ続いたのかわからなかった。ほんの短い時間だったのかもわからない。でも、仙石さんにとっては永遠に近い時間だった。まったくどちらが年上でどちらが男なのかわからない。仙石さんは、まるで自分が生まれて初めて接吻した(そう、キスよりも接吻という古めかしい言葉がふさわしいと仙石さんは思った。)乙女のような気持ちになっていた。そして、今度は仙石さんの方からキスをしようとした。でも、杉本さんはそれを自然な身体の動きで拒んだ。とまどった仙石さんは思わず「ごめん。」とあやまった。 
「仙石さんがあやまることはありません。もともとは私が誘ったんですから。でも、ごめんなさい。今夜はここまで。今のキスは指切りの代わりです。いつか、私がソウルにいる間に一人で会いに来てくださいって言ったら、仙石さんはきっと行くと答えたでしょう?あの約束を忘れちゃいないでしょうね。私は本気なんですよ。会いに来てくれたら、この後を続けましょう。なんて、私、今夜は飲み過ぎたのかな。まるで性悪女の手練手管みたいにこんな大胆なことを言って。みんな冗談ですよ、気にしないでください。でも、韓国語の勉強はこれからも続けてくださいね。そして、私がいる内に、ソウルに来てください。もちろん、奥さんとご一緒でもいいですよ。私が案内しますから。」杉本さんは、そう言って笑った。

 そんな送別会の夜の思い出を胸に、市役所を退職した仙石さんは、その後も公民館で韓国語の学習を続ける他に、県庁所在地にあるカルチャースクールにも通い始めた。ここはずっと程度が高かった。同時に、テキストを買ってNHKのラジオ講座も熱心に聴き続けた。乃里子さんも仙石さんの勉強を応援した。定年後に何もせずに家でゴロゴロされるよりはずっと良い。長年、二人で公務員をしていたし、二人の子供も成人して家を出ているので生活に不安はなかった。不安と言えば、ようやく正式に結婚した、東京にいる長男夫婦にまだ子供ができないことだが、長女には女の子が生まれた。たまに孫の世話を頼まれるが、どうせ亭主は何もしないから、好きな事をしていてくれればいい。乃里子さんは仙石さんよりも一足先に退職していて、学生時代や公務員時代の友人たちと今も交流があるし、習い事をしたり、ジムに通ったり、旅行をしたり、さらには地域のボランティア活動をしたりと、孫の世話の他にも毎日を忙しくしていたので、亭主の世話をせずに済むのはありがたいようだった。だから、仙石さんが、韓国に一ヶ月の語学研修に行きたいと言いだした時も、あっさりと許してくれた。もはや仙石さんは乃里子さんに何も期待されていなかったのかもしれない。


 ソウル大学校に留学した杉本さんとは、あの送別会の夜以来、一度も会っていなかった。でも、メールでは互いの消息を知らせていたし、たまに電話で話をすることもあった。今回の成均館大学への短期語学研修も彼女の薦めだったのである。この大学は、かつて彼女自身が一年間の語学研修を受けた大学だった。韓国での語学研修や留学を斡旋してくれる業者がいくつかあって、今回、仙石さんはそんな業者に依頼したのだったが、経験者の杉本さんがいろいろとアドバイスしてくれるのは実に頼もしいことだった。いくつか選択肢があったソウルでの下宿を決める時にも杉本さんと相談した。明日は、仙石さんに付き添って、杉本さんが、大学でのさまざまな手続きを手伝ってくれることになっている。まるで、仙石さんは小学校に入学する子供で、杉本さんはその保護者のような立場になっていた。仙石さんは、かつて、同じ県内でありながら、北の雪国から南の温暖な都市へと、気候風土の違う地域に一人でやってきた大学一年生の時のちょっと不安な気持ちがよみがえってくるような気がした、今回はわずか一ヶ月間だが、仙谷さんにとっては初めての海外生活である。なにか、仙石さんの人生がこの一ヶ月ですっかり変わるような気がした。

 水原華城に来るタクシーの中で、仙石さんは大学時代の大教室での哲学の講義を思い出していた。哲学は必修科目だったから、たぶん、同じ年に入学したばかりの南さんも大垣さんも、そして荒川さんも、みんな履修登録していたはずである。真面目な学生だった仙石さんは、毎回かかさず出席していた。その講義の中で今もよく覚えているのはデカルトとバートランド・ラッセルの話だった。近代哲学の創始者だと言われるデカルトは、その主著である「方法序説」にこんなことを書いていた。世の中のあらゆる事象や存在は疑うことができる。しかし、疑っても疑っても、どうしても疑うことができないのは、今、他ならぬ自分自身が考えているという事実である。「コギト・エルゴ・スム。吾思う、ゆえに吾あり」。今こうして考えている自分というものが存在することだけは、もはや疑うことができない。これが全ての近代哲学の出発点である。学外にも知られる著名な哲学者だった教授は、このようにデカルトの思想を紹介したあとで、仙石さんたちが大学に入った年に97歳で亡くなった哲学者であり反戦活動家としても知られていた、バートランド・ラッセルの説を紹介した。「世界5分前仮説」と呼ばれる説である。この世界は、実は5分前に始まったのかもしれない。たとえば全能の神のような創造主によって、すべての存在が、5分前以前の全ての過去の記憶や記録や痕跡などを完全にともなって出現したとすれば、それが5分前に突然出現したものであることを否定することは誰にもできないという説だった。「つまり、デカルトが言う存在も、今ここに存在するとは言えても、それが5分前にも存在したとは言えないわけですね。哲学って、こんな変なことを考える学問なんですよ。」と教授の講義は続いた。


 仙石さんは、どうして唐突にこんな昔の事を思い出したんだろう。今、不安な気持ちを抱えながら、異国である韓国の水原華城に一人で来て、現実感覚を喪失してしまったのだろうか。仙石さんは、今ここに存在するという事実以外の全てが幻想のように思えてきた。たとえばあの大垣さんとの出来事も、送別会の夜の杉本さんとの出来事も、ひょっとすると、全ては仙石さんの脳内の幻想あるいは妄想に過ぎなかったのではないだろうか。仙石さんの過去30年以上の公務員生活もなかったのかもしれない。水原華城を歩きながら、仙石さんは、高校時代に愛読した荘子の有名な文章を思い出していた。私が胡蝶の夢を見ているのか、それとも胡蝶が私の夢を見ているのか。荘子によれば、デカルトのいう「コギト」さえも幻想なのかもしれない。仙谷さんはめまいを覚えた。

 「仙石さあん!」という声がした。声は頭上から聞こえた。正祖の像の方を見たが誰もいない。振り返ると、杉本さんの姿が小さく見えた。杉本さんは、山側の城壁の方からこちらへ降りてくるようだった。たしかに杉本さんだった。笑って手を振っている。ほとんど二年ぶりに見る杉本さんは、さらに美しくなっていた。杉本さんは全身で笑っていた。仙石さんを限りない幸福感が貫いた。ラッセルが言ったように、全ての過去は幻想かもしれない。でも、現在と未来は決して幻想ではない。これから仙谷さんと杉本さんとの間に何が生まれるのかわからない。それらは自らの意志でこれからつくりだしていくんだ。仙石さんは、もう過去を振り反らずに、前だけを向いて生きようと決意した。杉本さんの姿がだんだん大きくなってきた。それは美しい揚羽のようにも見えた。仙石さんは大きく手を振った。

                          (完)


                                


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