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中江広踏の連載小説のまとめ他
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#歴史小説

「連載第二回」

 加藤清正の虎退治の話以来、朝鮮というとすぐに虎を連想するのはこの国の人々の習いになっていたから、お咲きも鼓二郎も、虎と聞いて、一層、耳をそば立てた。伝蔵が藩の先輩たちから聞いた話では、倭館の塀を飛び越えて虎が侵入する事は何度かあったそうである。倭館の番犬が何頭も喰い殺された。そんな時には、倭館の人間が数人で銃や刀を持って退治に出かけるのだが、ある時、二頭も出現した虎と大格闘を演じて、大怪我を負いながらも見事に仕留め、皮を剥いで、口上書とともに国元の対馬に送り、肉は焼いて皆で

「連載第三回」

 第十代将軍、徳川家治の就任を祝賀する朝鮮の使節が漢城(ソウル)を出発したのは英祖39年(1763年)8月の事だった。正史は、当時、朝鮮きっての知日派と言われた、弘文館副提学(正三品)趙嚴(日偏に嚴)、副使に世子侍講院輔徳(従三品)李仁培、従事官に弘文館修撰(正六品)金相イク(立偏に羽)の三使臣をはじめとする、総勢477名の使節団であった。漢城から釜山までは陸路、釜山から海路になる。釜山では、現地の役人が主催する妓生を交えた歓送の宴会や、航海の無事を祈る「祈風祭」などの公式行

「連載第四回」

 「鼓二郎起きろ!」兄の声で鼓二郎は目覚めた。子供の頃から皷二郎は寝起きが悪く、父母や兄からよく叱られていた。とっくに元服した今、兄の声で目覚めるのは随分久しぶりの事だった。  「何やら韓人らが騒がしい。何か起こったようだ。お前、行って何があったか確かめてきてくれ。」藩の重役である自身では動きにくい、かといって、家臣の報告では心許ない。ここは鼓二郎の出番だった。的確な観察眼と判断力を持つ皷二郎は、子供の頃から兄に信頼されていた。兄は町民の扮装をして、だんじりの屋根に上がるよう

「連載第五回」 最終回

 あれから五年がたった。今、家老屋敷の庭から天守を眺めながら、鼓二郎が伝蔵、お咲と三人で、ここで初めて一緒に地車囃子を聞いた日の事、そして、その十年後のあの事件の事を思い出したのは、久しぶりにここに来たからという事もあった。今は分家している鼓二郎が、生まれ育った家老屋敷に久しぶりに来たのは、兄の長男の元服を祝うためだった。それでも、あの事件の後初めてここに来たというわけではなかった。この庭をみると、あの若い頃の苦しい恋の記憶が蘇ってくる事は避けられなかった。でも、あの事件の事