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中江広踏の旅の記録
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#北京

中国の旅 #7

2度目の北京(つづき)  2011年  3日目は自由行動の日である。実は、本来ならこの日は天津への日帰り旅行の予定だった。しかし、7月の新幹線事故(中国新幹線の車両が脱線して高架から転落した。当局は、あろうことか車両ごと地中に埋めて、事故を隠蔽しようとした。)を見て、急遽キャンセルしたのである。北京と天津の往復は、時速350キロの中国新幹線を利用する事になっていたから、それは、あまりに冒険だった。というわけで、まる一日が空いた。さて、その一日をどう使うか。旅行前の予定では、

中国の旅 #6

2度目の北京  2011年  沖縄あたりで停滞していた台風15号が、ようやく本土をめざして北上を開始し、我々の住む近畿地方に最接近する時間帯が、まさに、我々の北京行きの飛行機が離陸を予定している頃だった。この分だと欠航するかもしれない。我々は、暗い気分で当日の朝を迎えた。空港での集合時間は午前8時。6時前に目が覚めた我々は、テレビで台風の進路を確認した。どうやら東海方面に上陸しそうだ。近畿直撃はない。外は雨だが、風はさほど強くない。中部空港発着の飛行機は欠航になるようだが、

中国の旅 #3

はじめての北京 1991年 (その2)  翌日は、一日フリータイムだった。上海の旅行日程にはなかった、このフリータイムが、はじめての北京の旅を思い出深いものにした。朝食の後、長富宮飯店を出た私たちは、ホテルから近い建国門の駅から地下鉄に乗って、前門駅に向かった。現在の北京の地下鉄には24も路線があって、1日平均1000万人を運んで、世界一の輸送量を誇るらしいが、当時は、ほんの数本しか路線はなかった。ひょっとすると、1号線と2号線の2本しかなかったかもしれない。1号線は、王府

中国の旅 #2

はじめての北京 1991年 (その1)  上海から北京に飛んだ。どこの飛行機に乗ったのかは記録も記憶もない。やっぱり、中国東方航空だったのだろうか。たぶん一時間くらいで北京国際空港に着いた。今では、北京には複数の空港があるので、ここは北京首都国際空港という名前になっているようだ。北京中心部からは東北方向の郊外にあった。現在の空港は、私たちが行った時の3倍の広さに拡張されているというが、当時は、大阪の伊丹空港などとさして違わない、古ぼけた印象の平凡な空港だった。ここでも、空港