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アカシヤの大連 2016年 大連市内に戻って、まず訪れたのは旧満鉄本社ビルだった。満鉄、正確には南満州鉄道株式会社は単なる鉄道会社ではなく、半官半民の国策企業で、学校や病院や遊園地までも経営していた。ほとんど大連における日本政府だったと言ってもいい存在だった。この本社ビルは、ダーリニー時代のロシアが商業学校にしようとしていた建物を満鉄の日本人建築家が増改築したものだったが、いかにも満鉄の中枢部に相応しい立派な建築だった。現在では、旧満鉄の歴史資料館として利用されている。
大連と旅順 2016年 大連の国民学校に転校して行った親友から届いた絵はがきを見て以来、大連は、井上ひさしさんの「夢の都」になった。後年、井上さんは、大連や満州の古い絵はがきや地図類の熱心な収集家になる。そんな井上さんが、昭和20年8月末、敗戦直後の、ソ連の占領地になった大連の二日間を舞台に「連鎖街のひとびと」という戯曲を書いた。歌がいっぱいの音楽劇だ。井上さんは、登場人物が架空であっても、その詳細な年表や、住まいの間取り、関係する土地の地図などを作成することで知られ
2度目の北京(つづき) 2011年 3日目は自由行動の日である。実は、本来ならこの日は天津への日帰り旅行の予定だった。しかし、7月の新幹線事故(中国新幹線の車両が脱線して高架から転落した。当局は、あろうことか車両ごと地中に埋めて、事故を隠蔽しようとした。)を見て、急遽キャンセルしたのである。北京と天津の往復は、時速350キロの中国新幹線を利用する事になっていたから、それは、あまりに冒険だった。というわけで、まる一日が空いた。さて、その一日をどう使うか。旅行前の予定では、