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怒られるということ

(この写真の直前に怒られました。顔w)
いつもと感情の処理や行動が違ったなと思ったので書き出してみる✍️


怒られるのが死ぬほど嫌いです。
ひい!死ぬ!?って体がひるむ。
なぜかな〜って自己対話してたら、母親の教育に由来してました。
母親は、「怒らない」で「ちゃんと話す聞く」(もしくは「諦める」w)を
ひた・・・っすらやってくれようとした人だった。
いつでも優しい静かな声で話そうとしてくれたな〜
すごすぎる。

私たちは、母親役の人に
・されたこと
・されなかったこと
を愛情表現だとインプットする
からさ!

ちなみにうちの父親は真逆で、
私に怒りゲンコツする(古い)→ゲンコツした父を母が怒るのコントでした。

だから大きい声を出す、圧力高めに話す、語気を強めて言う、
何よりもよく知らないエネルギーも「怒られた」にカテゴライズして
ピーーーーッ( ;  @; )と怯えていました。
「よく知らない」は怖いし、嫌うのは動物的本能だね。

自分にも
怒りを表出するのを禁止し、
心の中で思ってもダメだと禁止することで、
逆に怒りを腐らせて心のタッパーぱんぱんになって
くさ〜いのが漏れ出てました。お恥ずかしい。

教育者として怒っていた時

私が先生だったとき、どんなタイミングで怒ってたかな〜と考えた時、

・体が危ない時
・心が危ない時
・奪ってる時

今思い出せるのはこれ。

例えば、ハサミ振り回して走る時、複数人でひとりを責め立てる時、
時間、安心、チャンスなんかを自分や他人から奪う時。
これは放っておいたすぐ先の道があまりに心配だから、
今すぐ止めたくて言ってたんだ。

怒るって、ほんっ・・・とにエネルギー使う。
鬼婆な自分の姿が好きじゃないし笑
怒るの前提に「愛してる」「大事に思ってる」がないと到底できない苦行。
本気で腹決めて、親くらいのエネルギーをかけて、冷静にすることだった。

そして、フォローに時間をかけていた。
「私(先生)に言われたから、やる/止める」を抜け出て行って欲しくて、

・見えてない視野の部分を伝える
・自分で想像する時間をとる
・自分で次の行動を「〜する」型で答えられるよう質問する
・気持ちは自由だと念を押す
・した「こと」が良くない(した「人」では、決して無い)

あと、他の時間にいいところを見つけて分かりやすく褒めていた。
さらに事情によっては、家庭に電話報告。
ゴールは「よりよく生きる」なので、
凹ましてコントロールじゃ無いからこそ
手間がかかったなぁ。

その分、素晴らしくスクスク育つから感動もひとしおだった。
そこに私欲?とかはなくて、
ただただその子自身とご家庭を見ていた。

伝わらないとものすごい反省してやり直し、
伝わると、うわあんよかった( ;  ; )と喜び合えて
なんとも幸せだった。

教育って楽しくて面白い!!


表現者として怒られていた時


結局同じかもな?と思った。私も、
・心が危ない時
・奪ってる時
に怒られて来ていたよ。

私は怒られ慣れて無いので、
身体は逃げようとして、恐怖と不快で顔と姿勢がねじ曲がる!!
頭は冷静によく話・言葉を聞いて理解しているのだけど、
曲がった体は、ものすご〜い態度悪く
顔は、聞けてない人に見えるらしい。
心は不安になる。
不安に怯えた私は、全てのパフォーマンスがガタガタに落ちる。

役と自分自身の分け方もわからなかったし、
自分を冷静に見る目が開いていなかったから
どんな言葉にも死ぬほど驚いて、衝撃がすごく大きかった。
言われた言葉をもとに、自分をメッタメタに凹まして泣いていた。

自分が否定してるからこそ隠していたつもりの
自分の特性を指摘されて
やっぱりこんな私は、ダメだった!!!
ってまたボコボコに否定する、とか。

表現上での「別のチョイス」を提示してるだけ
今までの自分をザーッとドミノ倒しみたいに否定してるのは私だけ
表現上では色んな人生にチャレンジができる
本物の人生はどう選択しても自由

だけど今の思い込みを知るまで選ぶ自由もないのだ
と、理解しました。

何回か同じルートを辿り、さらに追い討ちで怒られた。

それは、
・心が危ないから
・奪ってるから

かな?と思う今。

このまま自分自身の否定や自責をしてたら、
色んな可能性を、
健全なチャレンジの機会を、成長を奪ってしまうって。


いつだって、目の前の教育者は、
私たちの無限の可能性を、私たち以上に見て、信じてくれている。

だから、自分に怒ってるのは、本当は、自分自身。

「どうして私を信じてくれないの?」
「私はまだまだこんなもんじゃない」
「私にはもっと可能性があるのに」

愛ある教育者ほど、
この無意識の声を拾って伝えてくれる。
だから、怒られても怒られなくても自分を愛すことに変わりは、ない。

成長に必要な、適切な負荷をかけることを
6月Polygamyまでのお稽古で学びました。ピース。


一番最近怒られた時


ま、とは言え、思考のクセはすぐには治らず、
一瞬べコンと凹むし、
ピーーーーッ( ;  ; )って怯えるし
もうダメか?と自分の愛を疑う

けど、
これまたすぐに

「さあ!!どうしたい?」
「今できることは?」
「これからやることは?」

って方向にシフトできるようになった。

感情や思い込みについて自己対話もするんだけど、
それはひとりで後でもできるから!今しかできないことを先に!!
ってタイムロスなく動けて嬉しい。
(振付見せてもらうとか、わからないところ聞くとか、合わせてみるとかさ)


一番上の写真
「ひえええ〜〜?辛( ;  ; )凹」
ってなってしまって、なんとも言えない顔してるけどw
このあとすぐに(!)
ダンスと歌の自主練ができたんだ。いえ〜い。

やればできるって本当なんだと、思う。

自分がやると決めたものは、
できる想像しちゃったものは、
いいな〜やりたいなぁと願ったものは、
いつか、できる。
何度も何度も何度も何度もトライすれば。
さらに正しい方向に初めから進めたら、怪我や事故を避けて時短もできる。
だからめっちゃ話聞いてる。

それから、今回、信じてもらえてるように
私の自己像や意識ももっと好きに変えて行けるのかも
とも思えた。(快挙)

私は体がバラバラで思うように動けなくて
振付を覚えるのが遅くて後で出来るようになるまでミスってて
上手な人とは別の生き物

って事実を強く握りしめて思ってるのに気づいた。

私の体は一つで思うように動く!
振付はすぐに覚えて音楽と楽しめる!
上手な人も同じ人間で、きっとずっとたくさん練習してきたんだ。
つまり私も練習したらもっと格好良くなるかも!

って思い直すぞ。
その意識で、もっと集中してもっと練習する。
初めて歌う曲で初めての振り付けで初めての構成でも
パニックになってる場合じゃない〜〜〜


や〜それにしても
楽曲も振り付けも陽気で、
歌詞を表現するのが楽しくてさ、
出来不出来にかかわらず、顔はニコニコしちゃうのだ。楽しいいいい

11/12・13(土日)
光が丘IMAホール
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