彼らが願った自由な日本は本当に自由なのか
先日、所属している経営者団体の視察研修で鹿児島へ訪問しました。
創業70年の株式会社河内源一郎商店さん、民間で運営されている特攻隊記念碑、知覧特攻隊についての見聞を深め追体験をし、最後は薩摩の歴史についての講話、というアレンジ頂いた方々には感謝でしかない、本当に贅沢な2日間でした。
この会に入ってからずっと行きたかった研修研修。
民間で運営されている記念碑、トメ食堂、平和記念館、滑走路などの跡地、様々な場所での伝わり方が同じ歴史であってもまた違い、様々な思いを巡らせました。
戦争自体はあってはならないこと前提で、特攻隊自体がなぜ「神風」や国の英雄のように扱われているのか、子供の頃から不思議で仕方がありませんでした。
研修に行った今でも、特攻はアホな愚策としか思えないし、何故未来ある若者ばかり(しかも有名大学を出ている優秀な方たち)が選定され、結局は国は若者や国民を国の資源、としか思っていなかった、特攻隊で突っ込まれた先にも米兵の家族がいた訳で、知れば知るほど「テロと一緒やん」という気持ちになり、私は最後まで平和記念館にいることはできませんでした。
戦争においては日本は敗戦国ではあるが加害者であったことは忘れてならないです。
そして彼らが「お国のために」「家族のために」命がけで守った日本はいま、本当に自由であるのか。
当時の検閲とまではいかなくても、見えない鎖に繋がれたまま生きている人の方が今も多いのではないか。
そんなことを帰ってからずっと考えています。
戦後78年。
学校でも社会でも、「黙って従うことが偉い」とされ、違った意見を出したり行動するとモグラ叩きのように封じ込められ、阻害されることが多い日本。
海外では意見がない人はアホ扱いされ、どんなおかしなことを言っても言ったもん勝ちな文化。
「ここは日本だから」と聞こえてきそうだけど、いつまで戦中マインド引きづっていくんですか、という話です。
「違いがあっていいんだよ」
「ちゃんと自分のペースで生きていいんだよ」
そんな社会や風潮ひとつで、子供も大人もどれだけの人が救われるんだろう。
そして女性の立場で印象に残ったことが、特攻隊員をお世話するのは揃いも揃って、女学生(13歳〜17歳)だったこと。
食堂は別にあったようだし、洗濯や身支度なんて男性が自分でやればいいやろ!と思うし、懇親会で「死ぬ直前はセックスしたい」という男性からの声も聞こえてきて(その前にデリカシーのなさな?)公にされていないけど、そういうこともあったんだろうな、と思う自分がいたり。
お手伝いをしていた女学生が特攻隊員に恋焦がれる唄が石碑にされてたけど、その唄自体にも違和感を感じた、38歳フェミニストがここにいます・・。
話は戻り。
結局は一人一人の尊い命にも関わらず、組織の中では人はコマにされることが多く、そのコマを上手く回すことが良き組織とされる文化。
私はスタッフを雇用した時から「スタッフの貴重な人生の時間を使ってもらっている」それができないなら雇わない。とずっと思っていて(実践できているかはスタッフに聞かないと分かりませんが)これからもその方針は貫いていきます。
そして私自身が大きな力に負けずに、貫く力を見せていくこと。
それが微力ながらも未来につながると確信しました。
教員からネイリストに転職。
ネイルサロン勤務・NYインターンを経て2013年ネイルサロン「maninail」開業。
2015年より一年間、フランスパリにて活動のち2016年再開。
ネイルサロン5店舗経営、海外ネイル協会運営、シニアネイル事業の監修を行っている。
女性支援の事業を通してジェンダー格差のない社会を作ることが目標。
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