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雑記5

・生きたさがすごい

・人の大切にしているものをゴミ扱いするひとに今後出逢うことがありませんように

・日記を書くペンに、フリクションペンをゴリ押しします。間違っても消せるから、ぐちゃぐちゃと横線引いて日記が汚くなって書く気が失せた…みたいな現象が減る

・相手の意見をねじ伏せる感じのポジティブ圧が怖い、ずっと

・仕事辞めたら眉全剃りしたい

・人間は変わるってこと、もっと多くの人が大前提に心に置いて人のこと見たほうがいいと思う。昔ああだったのに今こうで筋が通ってないと他人に言っても、そのひとが経験積んで生きてきて変化したというだけかもしれないから

・2日目の味噌汁にニンニクチューブ少し入れて飲むと元気でる

・人生、「なんで私がこんな思いしなくちゃならんのか意味不明でわろた」こと多し

・かき氷って水なのに高い

・チョコあ〜んぱんと、ローソンの飲むヨーグルトと、ローソンのハニーラテが製造終了なんかしてしまったら、俺は、もう、アマゾンの奥地へ消えます_______

・ポジティブな女性が可愛らしくて良いとよく言われてるけれど、たまにネガティブに飲み込まれる私だって可愛いよと言いたい。ネガティブは悪じゃない

・ハムスターって名前、可愛すぎて、考えるだけでデュフフと笑っちゃう

・「本音」「腹を割った話」というものは、別にお酒を入れなくたって話すことが可能なのだよ

・学生最後の夏休み、もう二度と来ないということをもっと自覚的に、もっと大切にすればよかったな。「夏休みがほしい」も「勉強したい・授業受けたい」も、大人になってから切願しだしているよ

・パチパチが入ったチョコと、グミをチョコでくるんだやつが本当に大好き

・デカビタ 畑仕事の味

・自分の気持ち押し殺して好かれるくらいなら、自分の気持ち出して嫌われる方がマシだ

・歌詞のスクショの歌詞部分だけトリミングしてアップするひと、できればアーティスト名と曲名部分も入れてトリミングしてほしい

・辛い時優しさをくれたひとのことも、辛い時見て見ぬ振りしたり更に追い打ちかけることを言ってきたひとのことも、反対に、辛そうな姿を見かけた時勇気が出ず声かけられなかったひとのことも、同じくらい忘れてない

・「やっぱり◯◯ちゃんとの飲み楽しい!」と言われるたびに嬉しくなる

・マユリカ阪本さんかなり好き。めっちゃをむっちゃって言うとこも良い

・マユリカの二人の会話って、私的に毎度どちらの言い分も分かるので、どちらか片方につくのではなく中立の立場で終わりのないその言い合いを楽しく傍聴させてもらう感覚になり、これがたまらんのである

・「もの」への執着や憧れのようなものが子どもの頃から強く、雑誌の『カバンの中身紹介コーナー』が昔から好きだった。大人になった今でも雑誌やYouTubeのそういった企画にはつい目が奪われるし、本は電子より紙がいい・大好きな音楽はできればモノとして(CDやレコード)手元に置きたいというこだわりもまた「もの」への執着や憧れ、または私なりの愛なのだろうと思う

・SNSを断つ経験をすると、SNSに復帰してからは生活の中に「SNSをする」というスケジュールが組み込まれる感覚が生まれる。SNSって、本来なくても生活できていたのよね

・私と親密な関係になっていただいた暁には、八十八ヶ所巡礼のCDをお貸しすることができます

・心の中に岡村ちゃん(岡村靖幸)がいる

・綺麗事なく「お金は必要」とちゃんと歌ってくれる曲が好きです

・好みドンピシャの選曲だなと思ったら自分のプレイリストだった

・ヤクルト全然足りなさすぎるから500のペットでがぶ飲みしたいよ

・こんなに体内の血液が沸騰するような、からだがひとりでに踊りだして興奮で眠れないような、パフォーマンス観ただけて愛おしすぎて涙出るようなグループに、この歳になってまた新たに出逢えるとは予想しきれてなかったのだよ ありがとう

・やっぱさぁ、プリキュアになれる力とかあったら見える世界変わるのかなー

・仕事辞めてSNS全消しして自分のこと誰も知らない土地に旅して車窓から眺める風景に涙したりしてしばらく時間に追われない気楽な生活をして、それから考えたいよ。今後のこと

・恋愛感情の粘着剤に音楽を組み込まないようにしている

・推しが「命懸けで」という発言をすると、なんだか勝手に苦しくなってしまう

・作品というものは賛否両論ひとそれぞれの感想があって当然で、自分と違う視点に気づけるので批評を見るのは結構好きなタイプだけれど、それに侮辱的ワードやニュアンスが含まれていると「苦手だ」と率直に思うのであった

・"カバー"の作り込みの精度ってアーティストごとに差はあれど、良し悪しって結局は個々人の思い入れだったり好みに委ねられるものだと思っている。オリジナルにものすごい思い入れがあるひととそこまでのひとが同じカバーを聴いた際に良し悪しの評価が別れるのは当然考えうることで。また、その"カバー"が"原曲超リスペクト"の場合もあるし、"リスペクトの上で全然違った見せ方をする"場合もあるし、それを良い/悪いだとか、許せる/許せないだとか捉えるのもまた、個々人の物差しに委ねられることではないだろうかと思う

・ダイソーには入店した瞬間買おうと思ってたものを全て忘れさせる魔物が潜んでいるし、Twitterには5分前にしようと思っていたことを忘れさせ更に軽く30分は奪い取る魔物が潜んでいる

・「たくさん持っている」が愛のひとと、「たったひとつを大切に持っている」が愛のひとといて、こんなにも真逆なのにどちらも確かにそのひとなりの愛であることには変わりなくて。愛ってすごい。
音楽でもそうだ。「たくさん知っている」が愛のひとと、「1アーティストを深く長く好き」が愛のひとと。
日常でもそうだ。「日頃から愛してるとたくさん伝える」のが愛のひとと、「愛してるを多様せず特別な日にだけ伝える」のが愛のひとと。
愛を図るには「多さ・少なさ」って案外頼りにならないのかもね。

・借りた本を"返すため"に急かされた気持ちでする読書はきっと不健康だ

・ずっと思ってるんだけど、不揃いバウムの揃ってる方はどこに行ってるの?

・夏は特別好きなわけではないけど、夏の始まりは何かを頑張ってみたくなったり行動欲がなぜか増す。行動"力"というより行動"欲"。夏の始まりはいつも気持ちが先走っている

・この世の全てが小さな粒でできているとか、質量保存の法則とか、「鶏が先か、卵が先か」とか、ぬか漬けは手の常在菌が味の変化をもたらすとか、いまだにちゃんと理解できてないし、怖くて理解したくないのかもしれない

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