月と六文銭・第二章(5)
千堂綾乃は、新潟で武器横流しの証拠を探していた。
ホステス・沙絵子として働くスナックに来る自動車ディーラー社長の酒井忠と公務員・田中宏が何らかの理由でつながっていることまでは見つけたが…
~公務員・田中~
1
「田中さんは何してる人なの?」
田中は沙絵子に聞かれ、苦笑しながら答えなかった。
「うぅん、沙絵子、当てちゃう!
公務員というか、学校の先生でしょ?」
「先生じゃないけど、公務員ってことでいいじゃないか」
「はーい、当たった、当たった!
最近、公務員も楽じゃないよね?!」
「そうだね。
サエちゃんは昼間は何してるの?」
「大学生!
沙絵子、個人輸入業を起業するため、英語とマーケティングを勉強中!」
「そうなんだ」
田中宏は真面目な人だった。妻と子供が一人いたが、少し前に両親を交通事故で亡くしたばかりだった。
特に妻に不満があったわけではないが、子供が生まれてから夫婦生活がなくなっていた。日本では、どちらが直接悪いと決められないのが、この問題の解決を困難にしていた。
新潟はダムや原発建設があった時に風俗が盛り上がり、いまだに結構盛んだったが、田中は興味を示さず、飲みばかりだった。キャバクラもうるさくて敬遠していた。
繁華街のはずれにあったスナックで見つけた沙絵子は癒し系で、無理に店に来いと言わず、一緒にいて正直楽しかった。
月に一回酒井と会うために行くようになった店だが、あまり高くなく、今や週2回顔を出して、たまに沙絵子とデュエットもした。沙絵子はどんな歌でも無難に歌えた。おじさん好みの演歌、都はるみや八代亜紀が得意だったり、ちょっとセクシーなアン・ルイスもOK、もう少し若い人向けにはドリカムやプリプリを披露した。
田中はあまり歌わず、他人が歌うのを聞いているのが好きだった。沙絵子はデュエットも嫌がらず、腰に手を回されても手を添えたりしたので、中年にも比較的若い男性にも人気があった。
2
「田中さん、たまには歌う?」
「いや、俺、音痴だから…」
「きゃ~、久しぶりに音痴って言葉聞いた!
大丈夫、大丈夫、沙絵子がリードするから」
田中は沙絵子のリードでうまく歌えたためか、久しぶりに楽しいと感じていた。
「サエちゃ~ん、六本木心中!」
田中とのデュエットの後、客席の中ほどから声が掛かった。
「えぇ~、またですかぁ?!
番号、入れてくださ~い!」
沙絵子はステージ横からパイプ椅子を持ってきて、ステージの真ん中に置いた。前奏の間、奥に行って何かを探していた。
ちょうど歌詞が始まるところに、ミニドレスの裾をまくって、羽でできたマスクを着け、胸元を広げ、ブラジャーの赤いレースを少し見せながら、バァンとパイプ椅子の上に右足を乗せ、歌い始めた。
アン・ルイスというより『1986年のマリリン』の本田美奈子的なポーズだったが、ステージ上の沙絵子は拍手喝采を受けながら注目を浴びた。
歌い終わると一番お金を落としてくれているらしい中年男性にウィンクして、胸元を直しながらステージを降りてバーカウンターに向かった。
「セブンナップ!
マスター、セブンナップちょ~だい!」
田中の横に来て、マスターに言った。
出てきた緑のガラス瓶をラッパ飲みしながら、田中の横顔を覗き込んだ。
「今度、皆におっぱいの谷間にお札を入れてもらわおっと!」
ケラケラ笑いながら、両腕で胸を寄せて、作った谷間を田中に見せながら言った。
田中もつられて、つい笑ってしまった。
3
「あれぇ、田中さん、飲んでないの?」
「最近、代行が値上げしたから、今日は自分で運転して帰る予定だよ」
「あと30分くらいでアガれるから、送ってくださるぅ?」
ちょっとウルっとした瞳で沙絵子は田中を見つめた。
田中はまっすぐ家に帰るだけだが、ちょっと困った顔をした。
「沙絵子さん、今夜はもうアガってもいいですよ」
会話を聞いていたマスターがいうと、沙絵子はニコニコして、田中の腕を掴んだ。
「ホント!?
ねぇ、田中さん、マスターがアガっていいって!」
「逆方向じゃ…」
田中の言葉を遮りながら沙絵子は掴んだ腕をさらにぎゅっとした。
「この後、お友達のところに行くのぉ。
送ってぇ」
田中は渋々OKしたが、本音ではそれほど嫌ではなかった。
沙絵子は、着替えたり、コートなどの荷物を取るため、奥に引っ込んだ。
田中は財布を出して、今夜の分を払おうとした。
「今夜は結構です。安全運転でお願いします」
マスターに言われ、田中は財布を引っ込めた。
「沙絵子さんは裏から駐車場に行きますので」
マスターに言われ、田中は表から店を出て、右奥の駐車場に向かった。
沙絵子はどれが田中の車か知らなかったので、駐車場の入り口に立って田中を待っていた。
田中はキーレスエントリーで鍵を開け、沙絵子はライトがピカピカと光った車に向かって歩き出した。
「田中さんの車、中、広そうネ」
沙絵子は自分で助手席に乗り込んでから、キョロキョロして、田中に聞いた。
「シートベルト、しなくちゃダメ?」
「法律だし、安全上、した方がいいよ」
沙絵子は行き先を告げた後、静かに寝息を立てていた。田中は信号で止まった瞬間、半開きのハンドバッグから沙絵子の財布を抜き取り、素早く学生証を見た。
学生名:藤原幸子 フジワラ・サチコ、と名前と読み方が印刷されていた国立大の学生証だった。商学部マーケティング学科か。本当に大学でマーケティングの勉強をしているんだ、しかもここの国立に編入したのなら結構勉強もできるんだというのが田中の素直な感想だった。
「あ、ごめんなさい、最近試験勉強で寝不足なの」
次の信号で沙絵子が目を覚ました時、謝った。
「サエちゃん、サエコって源氏名なの?」
「うん、そうよ。あたし、本当は幸子、藤原幸子。
前に働いていたクラブにサチコさんが既にいて、それ以来サエコにしているの。
まぁ、本名の子もいるけど、変なお客さんに付きまとわれたら嫌だなぁ、と思って使ってるの」
沙絵子は説明した。
「お店ではサエコでお願いしますね。
田中さんだけ本名知っているとなると他のお客さんの手前、ちょっとね」
「あぁ、そうだね。気を付けるよ」
田中は沙絵子/幸子の秘密を知り、他の客に対する優越感を持った気がした。
4
市内のやや大きなマンションに着いて、綾乃は礼を言って降りた。ここから田中のマンションまでは車で5分程度だった。
田中が帰宅した時には、既に妻も子も寝ていた。ここ数か月、妻は起きて出迎えすらしてくれない状況だったが、急に両親の葬儀で気苦労を掛けたこともあり、ずっと妻をそっとしてきたのだ。
綾乃は志賀の部屋でノートPCの画面に表示された"GPSトラッカー4"をクリックし、田中の車の動きを見た。車はまっすぐ家に戻っていった。トラッカーの電池は3週間ほど持つはずだった。
寝たふりをして、助手席の下にセットしていたが、田中は学生証を見ることに夢中で綾乃の手の動きには全く気がついていなかった。
さて、お店以外でどこで酒井と会っているのか、これで確認できると綾乃も志賀もニンマリした。
自動車ディーラーの酒井の方が大変だった。綾乃が寝そうになるとすぐに太ももや腕、胸を触ってきて、そのたびに起きて、ダメって言わないといけなかった。
田中みたいにハンドバッグの中身に興味を持ってくれればいいのに、いつも触ろうとしてきたので、お持ち帰りした他の女の子は大丈夫だったのか、ちょっと心配になった。自分よりもプロのホステスたちだったから、多分上手にかわしたり、いなしたりして、またお店に来るよう仕向けていたのだろうと思った。
もう一つ大変だったのは、酒井が3台の車を使いまわしていたことだった。つまり、3台とも違う時に送ってもらえる状況を作り出さないといけなかったのだ。幸い酒井は車を3台しか持っていなかったので、なんとか全部にトラッカーを仕掛けることができた。
もし、週末しか使わない車があったら、お店の帰りに設置するのは無理で、別の手を考えないといけなかったが、日替わりで乗ってきていたので、2週間ほどで3台とも設置が完了した。
その間、綾乃は3回以上太ももや胸を触られる状況を我慢しないといけなかったわけで、外や電車の痴漢だったら、ぎゅうぎゅうに腕を締めあげるのに!と志賀に愚痴を言って、頭から湯気を出していた。
志賀は綾乃が本気で怒ったら、"誤って"相手の腕をへし折っちゃうだろうと想像できたから、今回の任務では相当我慢しているなと思った。
次の2週間に田中と酒井は3回お店で会っていた。毎回沙絵子が呼ばれて同席したが、特に何かやり取りをしている様子はなかった。店以外で酒井と田中の車が同じ場所にいたことがなく、基本的にお店で会うことにしているようだった。
そして、その間に北朝鮮の貨客船・万国華号が一度入港し、北朝鮮へと出発していた。
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