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天使と悪魔・聖アナスタシア学園(00)

序章
 ~眠れる金星の子~

 ん、眠ってしまったようだ。

 え、この私が眠ってしまっただと!

 ハッとして立ち上がり、ルキは振り返ると自分の担当する門がわずかに開いているのを発見した。

 まさか?!

 私は神と金星の子として生まれ、明けの明星の別名「ルキフェル」と名付けられた大天使だった。父の跡を継いで大天使界を統べて、世界を守るはずだった。

 ところが父の寵愛を受けた弟の策略で父に疎まれ、その父の命でもう6700年ほどこの地獄の門番を務めている。

 お陰で人は私を悪魔と同義のサタンと呼んだり、地獄の門番こそが悪の根源とでも言わんばかりに地上では悪の権化とされている。

 しかし、それは断じて違う!

 従前、地獄の門番は母の弟とその飼い犬であるケルベロスが勤めていた。ところが、ある日、叔父はケルベロスを連れて散歩に出掛けたまま戻ってこなかったため、弟が叔父の帰還まで代わりを務めることになったのに、弟は父と天空を駆け巡るのが楽しいから、詩歌の作成に耽っている兄貴、つまり私だ、がしばらく代わりを務めたらいいと進言し、父はその通りにした。

 叔父は戻ってこないで地上に降り立ち、人間の女性と一緒にいるというし、弟は一向に交代しようとはせず、地獄には近づこうとはしない。

 このことを知らずに出かけたのは父だけでなく、母も銀河の果てまで出かけてしまっているらしい。

 そんなこともあって、真面目な私は門番を務め、ハーディスが連れてくる罪人を地獄に受け入れ、逃げ出さないように監視してきた。

 正直、飽きる。

 罪を犯した者は何とかしてここを抜け出そうとする。ある者は言い訳を連ね、ある者は私を誘惑し、ある者は私に見返りを提示する。もう6000年以上も門番をしていれば、ほぼすべての台詞を何千回も聞き、一切の面白みがない状況となる。

 ところが、先月珍しく清純そうな少女、と言っても大人になる手前と言ったらいいのだろう年齢か、が連れてこられて、永遠に閉じ込めておくよう伝達があった。

 彼女は地獄の門を通過してからも泣きながら私に訴えた。

「私は善意の第三者で絶対これは誤解なの!」
「友人の身代わりになったの!」
「あれは事故だったの!」

 何千回と聞いたセリフを三っつも連ね、暫くは私を困らせた。

 地上の裁き、裁判というらしいが、では彼女は無実となっていた。彼女が言う通り、事件は事故で、彼女は友人の身代わりとなって捕まったが、誤解が解けて、解放されていた。

 ところが天界の裁きは法律とは関係がない。彼女の心の中の悪魔とどのような契約を成していたかが問題である。

 彼女は嫉妬深く、友人に交際したいと思っていた男性を取られ、学業でも友人に後れを取り、事故に見せかけて友人を階段から突き落とし、その罪を自分の気持ちを裏切った男性に擦り付けようとした。

 全ては誤解と偶然のなせる業として、地上では結論が出た。それが人間界の限界だ。事実を重ね、審議して、何が合理的かを判断する。

 まことに結構だ。価値観が一つではない世界では、大多数の者が生活していくには必要なルールだ。

 しかし、天界は違う。心の中が問題なのだ。

 つまり、お前には悪意があったか?それを問うだけだ。

 人間界ではいまだに心=脳の中を覗いて、本当に何を考えていたかを見ることができない。だから、判断する者が騙されたり、精神鑑定などという「まやかしの科学」に頼って、凶悪犯を裁くことができず、下界を闊歩させてしまっているのだ。

 一度悪魔と契約を成し、悪事を働く者は何度でも悪事を働く。これを再犯というが、性犯罪などは人間の三大欲求に基づいているから矯正がほぼ不可能なのに、何年か刑務所に入っていれば、治るものだと勘違いしているところが私には不可解だ。

 そうした感情等を司る脳の一部を切り取ればいいと言っているわけではない。それも解決策にはならない。人間はそれほど単純ではない。

 だからこそ、地獄の門の前で公正の女神が突き出す天秤に両手を乗せ、下がった方に歩ませればよいのだ。右側が下がれば右の道を、左側が下がれば左の道を進み、その先にある門をくぐれば良いだけの話だ。

 公正の女神が目隠しをしているのは、裁かれる者の表情に騙されないようにするためだ。罪を犯しそうにない清純な顔つきの少女に騙されないようにする。

 人間というのは「見た目が9割」とか言って、見た目で判断することに何ら躊躇がないという恐ろしい社会を作り上げていて、最も公正に欠ける仕組みではないかと思う。

 まぁ、百歩譲って「見た目は5割」としたら、悪く見える人は悪い、良い人は良いが5割の確率で実現されよう。残りの5割は人間が一生懸命事実を重ねて審議して罪を確定すればよい。

 さっきも言ったが、公正の女神は目隠しをしている。罪の重さは心からあふれ出て、その者の両手を伝って秤の上下の変化に現れる。そして、下がった方の秤が示す道を辿り、門をくぐっていけばよい。

 その門が地獄の門なのか天国への門なのかは女神しか知らないし、日や時によって変わるから必ず右の道が地獄に繋がっているとは限らない。女神は森を抜け、平野を越えていく道が途中で曲がっていることを知っているが、必ず裁かれる者にとってふさわしい門に辿り着くようになっていることを知っている。

 しかし、困ったなぁ、私としたことが…。

 ちょっとだけ居眠りしてしまったと思っているのだが、本当は何年も眠ってしまっていたのかもしれない。取り敢えず、収容された者を確認して、万に一つ門から抜け出たものがいたら、連れ戻さねば。

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